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津軽藩起始 油川編 (1581-1585)  作者: かんから
第七章 浪岡無血開城 天正十三年(1585)三月一日
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禅譲 第一話   +青森御仮屋絵図

 天正十三年(1585)三月一日。雪は解け、草木は芽吹く。京都や坂東に遅れ、津軽にも桜が咲き始める頃……。大浦為信率いる “一団” は浪岡へ入境を果たす。これはあらかじめ津軽郡代の堤氏ならびに油川城の奥瀬氏からも許しを得た行動であり、むやみに世を乱すことではないと(おおやき)に示されていた。これは為信の娘である富子……八歳になったばかりの子供は、奥瀬善九郎の息子……十歳になったばかりの青年へと嫁ぐのである。父である為信も婚儀に参加するために、その進みゆく一団を取り仕切るのは自然なこと。



 ただしこれは偽り……。


 明日には武器を持った荒武者へと化し、油川へ乱入する手はず。




 為信率いる一団は、白昼堂々と浪岡城を開門させ、再び浪岡は為信の持ち物となった。これは南部氏に再服従して以来、六年目の出来事。辛苦を味わい、それでも津軽衆はかつての意気を忘れず、再び刀を持つことができた。高々と館に掲げられた大きな "卍" の旗。多くの兵の背中に刺されているのは錫杖の旗ざし。晴れ渡る大空に、津軽衆の声が響き渡った。鳥どもが逃げずに一緒になって辺りで明るく騒ぐ姿は、まるで為信のこれからを応援しているかのようでもある。



 浪岡城大広間にて待ち構えるは浪岡代官の白取(しらとり)伊右衛門。近づく喧騒を聴くと……ここぞとばかりに上座の御所号の身を両手でつかみ、下へと引きずりおろした。その様を見た久慈信勝は慌て、横たわる御所号の隣へ寄るが……次に目に入ったは襖が明けられた先。兄、為信の姿。どのような事態か全く飲み込めず、思わず御所号に問いかけてしまうが……御所号自身は信勝と目を合わせようとしない。“どうしてですか” と信勝は問いかけたが……すると御所号は仕方なしに口を開いた。



「もうよい。……これでただの農民に戻れるのだから。」



 信勝は思わず御所号の体を強く揺さぶり、改めて問いかけた。


「もしや……御所号は知っておいでで。」





それも涙ながらに。


「討たれて、惨めに死にとうはない。」



青森御仮屋絵図

https://18782.mitemin.net/i410963/

挿絵(By みてみん)


2018/02/15  挿絵に関して


出典元:特集 津軽古城址

http://www.town.ajigasawa.lg.jp/mitsunobu/castle.html

鰺ヶ沢町教育委員会 教育課 中田様のご厚意こうい(あずか)りまして掲載が許されております。小説家になろうの運営様にも、本文以外でのURL明記の許可を得ております。


光信公の館

〒038-2725

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字種里町字大柳90

http://www.town.ajigasawa.lg.jp/mitsunobu/

TEL 0173-79-2535


鰺ヶ沢町教育委員会 教育課

〒038-2792

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字本町209-2

TEL 0173-72-2111(内線431・433)

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