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津軽藩起始 油川編 (1581-1585)  作者: かんから
第三章 狄狩り 天正十一年(1583)夏
22/102

力の向かう所 第一話   +芦町館絵図


 この頽落では、再び戦にいこうなど考えるはずはない。殿は色事にうつつを抜かし、以前のような真剣味が感じられぬ……。為信の評は特に他国者の間で悪くなっていた。どれが真でどれが嘘かなんてわからぬが、このような話が流れる時点で、昔とは違うのだ。



 “大浦家”として戦を起こす気がないのなら、我らはどうなる。戦こそ土地を手っ取り早く奪えるいい機会なのだ。なにを防風だ治水だと世迷言を……。何十年かかる夢物語を言われても、もううんざりだ。


 ……我らは津軽の殿様を求めてやってきた。最初の頃はどんどん戦を仕掛け領土を広げていたし、防風と治水にも期待を持っていた。ところがどうだ。戦はなくなり、防風と治水もやってみると大概時間がかかりすぎる。



 では“津軽”を見捨てるか……。日ノ本を探して他に、他国者に寛容な土地はあるか。さらに北ならば誰が来たとて大歓迎だろうが、何分苦労をしていると聞く。ならばどうせよと。




 ……ここは浪岡、長谷川(はせがわ)三郎(さぶろう)兵衛(ひょうえ)の屋敷。以前あった四日町(よっかまち)(現、字天王)の屋敷は代官となった白取伊右衛門に譲り、自分らは新しく横目町よこめまちの端(現、字浪岡)に移った。ここは浪岡町屋の西の果てで、体よく繁華街から追い払われた格好だ。しかしそれでも扱う商品は多く、他にこれほどの大きな商人はいないので、多くの民がやってくる。結果として賑わいがこちらへと移動し、城の周りが次第に廃れていったのは後の話……。


 商家長谷川は単に商品を扱うだけでなく、まだ浪岡北畠が健在だったころより、為信の調略の拠点でもあった。そして彼らは西浜出身という立場を生かして、積極的に他国者を浪岡へ流し、浪岡近郊に住まう他国者をまとめ上げていた。同じ西浜に勢力がある兼平(かねひら)配下の者も出入りし、南部支配下に戻ってしまった浪岡を監視し大浦家へ逐一報告している。



芦町館絵図

https://18782.mitemin.net/i410959/

挿絵(By みてみん)



2018/02/15  挿絵に関して


出典元:特集 津軽古城址

http://www.town.ajigasawa.lg.jp/mitsunobu/castle.html

鰺ヶ沢町教育委員会 教育課 中田様のご厚意こうい(あずか)りまして掲載が許されております。小説家になろうの運営様にも、本文以外でのURL明記の許可を得ております。


光信公の館

〒038-2725

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字種里町字大柳90

http://www.town.ajigasawa.lg.jp/mitsunobu/

TEL 0173-79-2535


鰺ヶ沢町教育委員会 教育課

〒038-2792

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字本町209-2

TEL 0173-72-2111(内線431・433)

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