悪評 第五話
い、いや。それは誤解だ……。
「何が誤解だ。それとも誅殺でもなさるか。このように殿に向かって家臣が大声で叫んでいるのです。どうぞお殺し下さい。……ただしその後であなたがどうなろうが、知ったことではない。」
続けざまに話そうとするところを、横で聞いていた乳井が止めにかかった。続けて森岡がその場に立ち、多田を背中から腕をつかみ、目の前から引きずり降ろそうとする。森岡は……”許さん。多田はやはり信用ならぬ” とドスの利いた声を放ち、すると乳井は森岡に “余計なことは言うな” と首を振った。そして多田の前に乳井が立ち……
「同じ平賀の郎党だ。私がじっくり話を聞くから、一旦は下がろうぞ。」
その言葉に舌打ちをする多田。……この場にいる家来衆で一番歳の多いのは乳井だ。為信とは違って、風格なのか威厳というべきか、やはり彼の言葉が一番効くのだ。
多田は最後に小笠原の方を見た。小笠原は未だ座ったままで……何やら考え込んでいるような……無言なので、結局のところはどう思っているのかわからぬ。そうして多田は森岡に捕まえられたまま大広間を去ろうと……その後ろを念のため兼平が付き、心の収まらぬ為信の脇には八木橋が侍る。その実、為信と八木橋、そして多田は六羽川合戦の本陣において生き残った数少ない同志……。こうも険悪になると思いもよらず、連れていかれる後姿を眺めるしかなかった。
そして襖は放たれ、閉められるのか。その時だった。小笠原は連れていく森岡を呼んだ。森岡はその場で立ち止まり、小笠原の方を向いた。多田は……顔こそ向けないものの、じっと耳を澄まして聞く。
小笠原は……慣れぬ調子ながら、口を開いた。
「殿ではない。私が……遅らせたようなものだ。だから、殿ではない。」
親と娘、離れ離れで生きてきたのが、今やっと共に暮らせる。言葉足らずではあったが、言わんとしていることは全ての者に理解できる。荒立っていたその場の空気はしんみりとしたものへと変わり、目線は小笠原へと注がれた。
「殿が遅らせたのは……きっと私を思ってのこと。」
「待たれよ。今、娘を連れてくる。」
広間に暖かな日差しがさす。斜めに入る線状の光。窓の格子より入るそれは、立ちゆく小笠原の背を大人物のように際立たせる。結果として為信は、小笠原に救われた。
これより先は多田も大浦城へ出仕し、大浦(津軽)家のために尽くしたという。
ただし悪評は消えることなく、伝承として現代に残る。




