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津軽藩起始 油川編 (1581-1585)  作者: かんから
第一章 津軽為信、側室を取る 天正十年(1582)夏
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弟の腐心 第五話

 皆々書状に気を取られているうちに、沼田は為信に耳打ちをする。


弟君(おとうとぎみ)も頑張っておられます。ひたすらに兄の事を思いながら。」



 沼田は為信に微笑み、為信は……驚きのあまり、すぐに言葉を返せなかった。沼田はまったく刻を与えずして、書状の袂へと身を返した。



「これは南部と大浦の、末永い平和を願うものである。特に堤氏は大浦氏より娘をもらった過去があり、然れどもすれ違いで災難にあってしまった。その恨みを水に流し、新たなる世を築くため、先方より殿の側室にと仰せだ。」



 誰もが狼狽(うろた)えている。特に森岡などは “相手方がこのようなことを申すはずがないだろう” と沼田に迫った。確かにそうなのだ。森岡の思い浮かべるところは実際に当たっていった。ちなみに為信弟の久慈(くじ)五郎(ごろう)為清(ためきよ)は大浦家より去った後、南部家臣として浪岡に入った。その際に “信勝(のぶかつ)” と名を変える。こうすることでわざわざ浪岡を訪問しない限り、同一人物とバレることは無い。特に大浦家中の人間から恨みを買っているので……命を守るためでもある。風の噂で聞いても、為信の他の弟とでも思ってくれればいい。


 その信勝であるが、ひたすらに南部と津軽で戦が起きぬように心を配り続けた。そして必死の説得や介入によって、堤氏重臣の白取の娘を為信の側室にすることに成功したのだった。……普段は浪岡の奉行職の一人として、密かに沼田とだけやり取りを続けた。沼田にとってもかつての若い頃の至らぬ為信を見るようであったし、この繋がりはいずれ新たなる転機を生むかもしれない……。



 再び大浦家、いや津軽家として決起する時がくる。自身も他国者である沼田にとって、手っ取り早く身内に利するためには、戦争で土地を奪うこと。その場所こそ浪岡であり、その向こうは外ヶ浜。浪岡代官の白取を味方に付ければ……勝てる。



 沼田と信勝、二人の思惑は完全に異なるが、婚儀を進めることで一致をみた。


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