千徳の奮戦 第五話
なぜ大浦軍は千徳と南部軍の戦を悠々と様子見していたのか。実はこれは沼田祐光の献策であった。内偵から伝わった話によれば、城から兵を率いて突撃していったのは千徳の息子の方だとわかっていた。彼は何故か為信嫌いで有名……あまよくば彼が死んでくれれば不満分子を除けることができるだけでなく、現当主である千徳政氏の亡き跡は……その所領は自然と大浦家へと転がり込んでくる。なぜなら政康の他に男子はおらず、残るは為信の正室である徳姫のみ。
ただしあまりにも千徳兵がボロボロになると都合が悪いので、夕方になって浅瀬石城へと入った次第だ。”卍” の旗差しをみた南部軍は東へと引き上げ、千徳の兵は辛勝と相成った。しかしながら政康にとって何たる侮辱。……城に戻ると、為信と父親の政氏は本館の前で丁度立ち話をしていたのだが、政康は他を顧みずに……為信を睨みつける。為信と政氏両人ともこれに気づいたが、わざと彼に触れずに話を続ける。
「この度は祝着至極に存ずる。油川から参ったのが遅れたのは申し訳ないが、これからは外ヶ浜を気にする必要はなくなった。これより外ヶ浜の領有を高々と宣言しようと思っておる。」
「……と申しますと、すべてを統一を成されたのですか。」
「いや、未だ南部方の諸将はおる。しかし蓬田城の相馬が当主の首を差し出して参った。弟が兄を討ったというが……首が偽物だということは判っておる。それよりも我らにひれ伏したという事実が重要なのだ。」
これにより油川奪還の目途がなくなり、横内や平内の南部方も静かとなった。大浦軍が油川より千徳氏の救援に来ることができたのは、これがためである。そして浅瀬石城から南部軍が引き上げたことにより、しばらくは南部方は津軽に手出しはできまい……。
であれば、次の標的は田舎館千徳氏。浅瀬石千徳氏の分家にあたる。当主である千徳政武は南部方に付いたままだ。津軽の中で孤立してしまった彼を南部方が援けることできない以上……またとない機会が巡ってきた。加えて原子菊池氏や飯詰朝日氏などの旧北畠残党も討ち果たすべく、動き出す。
これよりは次編へ譲る。