表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
津軽藩起始 油川編 (1581-1585)  作者: かんから
第一章 津軽為信、側室を取る 天正十年(1582)夏
10/102

弟の腐心 第四話

 もう小笠原の家族しかいない。誰もがわかる。しかし事情を皆々知っているので、強く言えるはずもなく。長く離れて過ごしざるを得なかった家族と一緒に暮らし始めたばかりなのに、すぐに引きはがすような真似は……避けたい。



 周りが思い思いに悩む中、小笠原は目を瞑り……そして開く。一言、“わかり申した” とだけ言い、少しだけ下に俯く。顔色こそ隠せているが、やはり堪えているか。そこで乳井は


「お日柄のこともあるだろうし、今すぐという訳ではない。同じ津軽なのだから、いつでも会えるではないか。」


と隣の小笠原の肩を叩くのだ。無意味に近いが。



 一方で為信はというと、その娘とは親しくなる前であるので傷は薄い。大変惜しい限りであるが……大将と言えどこうなれば好き勝手できぬし、諦めるか……と天井を仰ぐ。この意味をその場にいる諸将は知りえないだろう。本人が言わない限りは。



 再び小笠原が頷いたところで、沼田は周囲を見回しつつ為信の前へ進み出る。特に恭しく申すのだ。


「ここで娘子の話が出ましたので、お耳に入れたき儀がございます。」



 他の者すべての目線は沼田へと注がれる。為信は “申せ” と応えたので、続けて沼田は言う。



「実は浪岡代官の白取様より、お話を頂戴しております。まだ内々の話にて、進むも引くも自由でございます。」


 すると沼田は懐より書状を出し、一同の真ん中にて長い紙を広げる。末には “浪岡御所山崎(やまざき)政顕(まさあき)下、南部 (つつみ)家臣 白取(しらとり)伊右衛門(いえもん)” の字が。






 浪岡御所は天正六年(1578)に大浦家が滅ぼして以降、一旦は大浦家の傀儡政権である水木御所に変わった。しかしこれも翌年の六羽川合戦で、御所号の北畠(水木)利顕が戦死。結果として大浦は南部に再従属に至ったため、南部氏は代わりに北畠遠縁の山崎政顕を御所号として傀儡政権を打ち立てる。その監視役が外ヶ浜(そとがはま)の堤氏であり、代官としてその家臣の白取氏が浪岡に入っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ