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第50話-3 〈オルビスの傷痕〉を越えて

 アトリが童謡にも似た魔唱を唱った直後、地響きとともに起きた現象にパノンは目を白黒させる。


 埋まっていくのだ。

 夜闇よりも昏い奈落を(たた)えた大地の裂け目が。


 アトリを起点に、裂け目の縁から扇状に大地が伸び拡がり、幅五百メートルに及ぶ奈落の色を大地の色に塗り潰していく。

『埋める』と表現したとおり、それはもはや橋ではなく、橋の下にあるべき空間さえも奈落の底まできっちりと大地で埋め立てられていた。

 道幅は〝道〟と呼ぶのも憚られるほどに広く、おそらく、裂け目の幅と同等――五百メートルくらいはあるだろう。

 アトリの目が見えないせいか新たにできた地面は少々荒れたものになっているが、そんなものは現在進行形で起きている奇跡の前では些事もいいところだった。


 やがて地響きが止み、パノンはヤクーから借りたランプを掲げ、眼前に見える新たなる大地を照らす。


「〈オルビスの傷痕〉が……埋まってもうた……」


 あまりにも呆然とした声を漏らしてしまったせいか、アトリが不安げに訊ねてくる。


「パノン……私、ちゃんとできた……よね?」

「ちゃんとも何も、できすぎなくらいできてるわ」


 その言葉を聞いて、アトリの表情がみるみる喜色に染まっていく。


「やたっ! これでエーレクトラに行ける!」

「そ、そうやな……エーレクトラに行けるようになったとか、そういう次元やない気がするけど」


 下手をしなくても歴史に残る出来事に立ち会ったことを実感したパノンが、ますます呆然としていると、背後から複数の馬の足音が聞こえてくる。

 ルードたちが、こちらにやってきた音だった。


「今夜は信じられない出来事の連続だと言ったが、これは極めつけだな……」


 パノンと同様、〈オルビスの傷痕〉を埋め立てた大地を眺めながら、ヤクーは呆然とした声音で呟く。

 他の騎兵たちも呆然とする中、ルードただ一人だけがアトリの偉業に驚くことも呆けることもなく、淡々とした様子でアトリの体に巻き付けていたロープを解いていた。


 ロープをパノンに返した後、ルードはアトリの手を取り、指を使って彼女の掌に何か書き始める。

 アトリが今日一番の笑顔を浮かべたところを見るに、『○』か『◎』でも書いたのだろうとパノンは推測する。


(ここ数週間、そういうやり取りしてるの、ちょいちょい見かけたしな)


 はいはいごちそうさまごちそうさま――と思っていると、ルードがアトリを連れてこちらにやってきて、トン・ツーで話しかけてくる。


『俺とアトリはもう行く。本当に世話になった。ありがとう』


 妙に簡略化されたルードの〝言葉〟を聞いて、気づく。

〈オルビスの傷痕〉を埋めるという「ド」が十個ほど付きそうなほどに派手なことをやらかしたのだ。

 マイア側の関所どころか、エーレクトラ側の関所も、調査のために兵士を動かすのは必至。

 のんびりしている時間は、ない。


『どういたしましてや。最後に、アトリに一言だけ挨拶させて』


 ルードが首肯を返すのを確認した後、パノンは、見えないとわかっていながらもアトリに向かってニッコリと笑い、こう言った。


「またな、アトリ」


 アトリは一瞬、泣き笑うような表情を見せるも、首をブンブンと横に振ることで〝泣き〟を振り払い、笑顔でこう返してくる。


「またねっ、パノンっ」


 短い挨拶を交わした後、ルードとアトリは馬に乗り、埋め立てられた国境を越えて夜闇の向こうへ消えていった。

 二人が乗る馬の足音が聞こえなくなったところで、パノンはヤクーに向き直る。


「ありがとな、小隊長さん。見逃してくれて」

「あの二人ならば捧唱の旅を成し遂げられる……そう思ったまでだ。それより、君にはさっさとこの場から消えてもらえると助かるのだが」

「え? ウチのことも見逃してくれるん?」

「半分は部下たちのためだ。唱巫女の行方を探るために泳がせていた人間がここにいては、我々が唱巫女を見逃したことが上の人間にバレてしまう恐れが出てくるからな」

「はは~ん……巡回してたら〈オルビスの傷痕〉が埋まっていくのが見えて、情報交換をするために小隊同士で集まったってことにするつもりやな?」

「そこまで察しているなら、さっさと行け」

「はいは~い」

 

 借りていたランプを返すと、パノンはすぐさま自分の馬に乗り、この場から離脱する。


「別れた後に、もっかいくらい泣くかな~って思ったけど、全然そんなことないな」


 一人、夜の荒野を駆けながら独りごちる。

 自分が乙女とよばれる人種からは大幅にズレている自覚はあるが、好きだった男の子に加え、親友になってくれた女の子とも別れることになったにもかかわらず、涙が全く込み上げてこないのは、乙女っぽくなさすぎて別の意味で涙が込み上げそうになる。


「いや……ま~……昼前にアトリと一緒に泣きまくったから……うん、ウチは乙女や。誰がなんと言おうと間違いなく乙女や」


 自分に言い聞かせるように何度も乙女乙女と呟く。

 ここまで来れば大丈夫だと思い、パノンは馬を止めると、〈オルビスの傷痕〉の方面に、その向こうにあるエーレクトラに馬首を巡らせる。


「このウチが旅の無事を祈ってやるんから、ちゃんと捧唱の旅を成し遂げて、ちゃんと二人でマイア(ここ)に帰ってくるんやで。アトリ。ルード」


 言葉どおり、二人の旅の無事を祈った後、パノンは再び馬首を巡らし、リュカオン目指して馬を走らせた。

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