第49話-2 賭け【ルード】
グリッツに蹴り飛ばされた俺は、着地と同時に走った左腕の激痛に思わず舌打ちする。
――確実に折れてるな。
グリッツの猛攻を捌ききれず、やむなくブレードを持たない腕で奴の蹴撃を防御したが……まあ、左腕の犠牲だけで済んでよかったと見るべきだな。
戦ってみて痛感させられたが、奴の全身は凶器どころの騒ぎではない。まさしく兵器そのものだ。拳打にしろ蹴撃にしろ、一撃一撃が必殺の威力を秘めている。
極めつけは地面に大穴を空けたあの技だ。
足元の地面が吹き飛び、舞い上がった土砂の中から比較的頑丈な土塊を見出し、それを蹴って強引に穴の底に着地しなければ、土砂ごとはるか彼方に吹き飛ばされていたところだった。
あんなものをまともにくらえば、超大型魔獣ですらひとたまりもないだろう。
そう考えたら、左腕ごと命を刈り取られなかっただけ御の字というものだ。
――まあ、状況はかなり最悪だがな。
左腕がほとんど使い物にならなくなった俺とは違い、グリッツは右拳以外に怪我らしい怪我は負っていない。
その右拳も、そうそう止まるはずのない出血を自力で止め、平然と拳打を放ってくるものだから、怪我は怪我でも軽傷だと思った方がいいだろう。普通ならば、確実に重傷だということはさておいてな。
――左腕が折れた今、まともに戦っても勝ち目はない。
片腕だけでは手数で圧倒されるのは明白。
さらに、奴には肉体を鉄のように硬質化させる技があるため、半端な斬撃ではかすり傷一つ負わせることができない。
それらを片腕だけで突破するとなると、
――賭けに出る必要がある、か。
覚悟を決めたところで、今一度グリッツを見据える。
俺が勝負に出ようとしていることに気づいているのか、グリッツの表情は夕暮れを前にした子供のように寂しげな表情を浮かべていた。
はた迷惑な話だが、どうやら奴はまだまだ遊び足りないらしい。
俺が仕掛けてくるのを待っているのも、少しでも仕合の終わりを先延ばしにしたいという気持ちの表れだろうな。
――つくづく戦闘狂だな、この男は。
感心半分呆れ半分にそんなことを思いながら、ブレードを構える。
折れていることはごまかしようがないので、左腕は垂らすがままにし、激痛を意識の外に追いやる。
息を吸い込み、浅く長く吐き出した刹那、俺は地を蹴ってグリッツに肉薄。
すれ違い様に放った斬撃を、グリッツは劇的な反応で回避する。
踵を返すと同時に地を蹴り、再びすれ違い様に斬撃を放ち……後先考えない最高速度のヒット&アウェイを繰り返すことで、先程まで散々奪われていた主導権を強引に握り締める。
手を使った速さは後れをとったが、足を使った速さでは誰にも負けるつもりはない!
「■■■■■■■■■■……!」
グリッツが驚きと喜びが入り混じった顔をしながら足を振り抜き、風の刃を飛ばしてくる。
――思えば妙に縁があるな、風の刃攻撃に。
などと、くだらないことを考えつつも、横に飛んで風の刃をかわし、着地と同時にグリッツに突貫。
風の刃を放った直後の隙を突き、奴の胴を斜に斬り裂いて、すぐさま離脱する。
例の肉体硬質化に加え、奴がギリギリのところで反応していたため手応えは浅かったが、いい傷痕を残すことができた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■!」
今日一番の笑顔を浮かべながら、グリッツが追ってくる。
奴の間合いに掴まったら最後。圧倒的な手数で押し潰れされるのは必至。
俺は不規則にステップを刻み、奴から逃げる素振りを見せる。
「■■■■■! ■■■■■■■!」
狙い通り、グリッツが喜々として追ってきた瞬間、すぐさま反転し、すれ違い様に先程刻んだ傷痕を寸分違うことなく斬り裂き、わずかに流れた奴の血が、切っ先に引かれるように赤い弧を描いていく。
肉体が鉄のように硬かろうが、木こりが大木を切り倒すように全く同じ斬痕を刻み続ければ、いずれは骨に、やがては命に届くのは道理。
グリッツが倒れるまで、胴に刻んだ斬痕を寸分違わずひたすら斬り続ける……あのグリッツを相手に、そんな繊細な作業を繰り返すのは無茶もいいところだが、これ以外に奴を打倒する手立てはない。
主導権を手放さないために最高速度で動き続ける俺の体力が尽きるのが先か、積み重ねた斬撃がグリッツを倒すのが先か……これは、そういう賭けだった。
不意に、グリッツの笑みが深くなる。
どうやらこちらの意図に気づいたようだ。
普通の人間ならば、気づいた時点で守りを固めるところだろうが、
「■■■■、■■■■!」
グリッツは微塵の躊躇もなく、守りを捨てて突貫してきた。
――お前ならそうくると思ってたよ……!
こちらからもグリッツに突貫し、刹那にも満たぬ間に交わされた斬撃と拳打が、グリッツの首筋を、俺の頬をかすめていく。
胴の傷に意識が向いたところで首筋を狙ってみたが、やはり、そう易々と釣られてはくれないようだ。
しかしこれで、隙あらば胴の傷以外も狙うというこちらの意図は伝わったはず。
多少なりとも、奴の意識を散らすことができたら御の字だな。
――だが、あくまでも本命は胴の傷……!
グリッツと一定の距離を保ちながら並走し、胴の傷に刃をねじ込む隙を窺う。
全速力で動き続けたことでいよいよ肺が空気を求め始めるも、ここが踏ん張りどころだと自分に言い聞かせ、走り続ける。
足の筋肉が悲鳴を上げ始めるも、止まったら最後、拳打と蹴撃の嵐に飲み込まれてしまうと自分を叱咤し、走り続ける。
何か仕掛けようとしているのか、それともただの気まぐれか、グリッツが足を止める。 俺はグリッツを中心に螺旋を描きながら距離を詰めていき、ある程度近づいたところで直角に曲がってグリッツに仕掛けようとするも、
「■■■■■■■■■〝■■■■■■〟」
グリッツが掌底を繰り出した瞬間、凄絶なまでの風圧が発生し、俺の体を紙切れのように吹き飛ばした。
――次から次へと魔唱じみた技を……!
吹き飛ばされたことで強制的に足を止められたので、息を吸い込んで肺腑に空気を送り込み、身を翻して着地する。
掌底の直後に距離を詰めていたのか、眼前にはすでにグリッツの姿が。
すぐさま後ろに飛んで距離を離そうとするも、グリッツはここぞとばかりに地を蹴り砕き、追いすがってくる。
――こちらの体勢が整う前に仕留める気か……!
いよいよ、グリッツが拳の届く間合いに入り込んでくる。
まともにやり合っては奴の攻撃を凌ぐことすらできない。
ゆえに俺は、一度きりしか使えない〝手〟を使う覚悟を決めた。
「■■、■■■■?」
グリッツが拳打を放った瞬間、交叉法の要領でこちらも拳打を放つ。
グリッツの拳が顔の横を擦過していき、俺の拳がグリッツの頬を見事に捉え……左腕に激甚極まりない痛みが駆け巡る。
そう……俺は折れた腕で拳打を放ったのだ。
ゆえに、グリッツの虚を突き、拳を当てることができたのだ。
当然、この拳打でグリッツに与えたダメージは皆無。むしろ、俺の方がダメージを受けたくらいだが、
――この拳打はあくまでも布石。
拳打の勢いをそのままにその場で旋転し、胴の斬痕目がけてブレードを振り上げる。グリッツは体を仰け反らせてかわそうとするも間に合わず、確かな手応えとともに奴の血が舞い散り、夜会服の下に着ていた真白いシャツが血の赤に染まっていく。
直後、グリッツの目が嬉しげに楽しげに、爛々と輝く。
背筋に悪寒が走り、俺の勘が最大級の警鐘を鳴らし始める。
――アレがくるッ!!
そう確信するや否や、グリッツは異常なまでに強く握り締めた拳を、俺の脳天目がけて振り下ろした。
すぐさま後ろに飛んで絶死の拳をかわした俺は、この後に起きる惨事に備えてブレードを口で咥えると、まだナイフの残ったベルトを腰から外し、引き抜く。
グリッツの拳が地面を捉えた刹那、世界を終焉を思わせるほどの衝撃とともに大地が爆ぜた。
爆発によって舞い上がった土砂に飲み込まれるよりも早くに、グリッツに向かってベルトを振るい、奴の首に巻き付ける。
あわよくば首を絞めることができればと思ったが、グリッツは首に巻きついたベルトを気にする素振りすら見せずに、舞い上がる土砂に逆らいながら大地の底へ落ちていく。
俺は土砂に溺れそうになりながらもベルトを握り締め、グリッツに追従する。
ほどなくして土砂を抜け、グリッツが大地の底に着地した瞬間、
「■■!」
奴は首を思い切り前に振ることでベルトを引っ張り、いまだ空中にいる俺を拳の届く距離まで引き寄せようとする。
さすがに連発はできないのか、アレを放つ気配は感じられない。が、ただの拳打だろうが必殺であることに変わりはない。
――させるか……!
グリッツが拳打を放つ寸前にベルトを手放した俺は、口に咥えていたブレードを掴んで虚空を斬りつけ、それによって生じた遠心力を利用して空中で旋転し、奴の拳打を受け流す。
だが、完璧に受け流すには至らず、拳打を受けた脇腹が抉り取られたと錯覚するほどの激痛を訴え、胃の底からせり上がってきた血が口腔を鉄の味で満たしていく。
――受け流して、この威力か……!
――だが、だからこそ使える!
俺は拳打を受けた勢いを利用してさらに旋転し、全ての力をブレードに乗せる。
そして、拳打を放った直後の隙を突き、散々刻んだ斬痕目がけてブレードを振り切り、グリッツの胴を深々と斬り裂いた。
「■■■!?」
受け身すら考えずにブレードを振り切ったせいで左腕から地面に落ちてしまい、血とともに苦悶を吐き出してしまう。
遅れて、斬り裂いたグリッツの胴から血が沫き、俺と地面を赤く濡らしていく。
手応えはあった。
普通の人間ならば命にすら届く一閃だったが、グリッツが相手となると話は別だ。
事実、奴はまだ倒れていない。
俺はすぐさま立ち上がろうとするも、
――くッ!
左腕と脇腹はもちろん、酷使した足からも痛みが走り、膝を突いてしまう。
――まずい……!
そう思った時にはもう、グリッツは拳を振り下ろそうとしており、俺は相打ち覚悟で、最後の力を振り絞って切り上げを放ち――……奴に届くすんでの所でブレードを止めた。
――これは……本当に呆れるしかないな。
思わず、ため息を漏らしてしまう。
驚いたことに、グリッツは拳を振り下ろそうとした体勢のまま、気絶していた。
日が落ちるギリギリまで遊んだ子供のような顔をしながら。
おそらく失血が原因で意識が飛んだのだろうが……念のため、グリッツの首筋の脈を確認してみると異常らしい異常が全く見受けられないものだから、自分の見立てに自信が持てなくなってくる。どういう生命力してやがる。
そのおかげで殺さずに済んだわけだが、正直、素直に喜ぶ気にはなれなかった。
気絶してなお人外っぷりを見せつけてくるグリッツのせいか、それとも緊張の糸が切れたせいか、どっと疲労が押し寄せてきたので、俺はブレードを鞘に収めるとすぐに地面に座り込んだ。
こいつと仕合うのは、もう二度とごめんだ――と、心の底から思いながら。