表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/79

第46話  国境越え【ルード】

 いよいよ、出発の時がやってきた。

 空のどこを探しても月の姿が見当たらない、人はおろか動物も、虫も、魔獣さえも寝静まる夜。

 アトリの傷が完治してなお一日待ったのは、大事をとってという理由もあるが、今宵が新月だという理由もあってのことだった。


 ――国境越え日和……は、さすがに語弊があるか。


 そんな益体もないことを考えながら、パノンに頼んでアザーンで買ってきてもらった馬の後部にアトリの背嚢を乗せ、続けて、俺はアトリとともにその馬に跨がる。

 背後から伸びたアトリの腕が俺の腹部を抱き締めるのを確認した後、パノンの方に視線を向ける。

 今まさに馬に跨がろうとしていたパノンもそうだが、アトリは黒色のローブを羽織っており、フードを目深にかぶることで顔を隠していた。


 アトリが顔を隠す理由は最早言に及ばないとして、パノンの顔を隠すのは、万が一巡回騎兵と遭遇しても、俺たちに協力している人間(パノン)がどこの誰だかわからないようにするための措置だった。

 俺も同じローブを羽織ることを考えたが、さすがに皆が皆そんなものを羽織っていたら怪しいことこの上ないので、いつもどおりの格好で行動することにした。

 それにローブがない方が、いざという時に動きやすいからな。


 ――それにしても……。


 ()()()()()を想定し、俺が外で一人感覚を研ぎ澄ませていた間に別れの挨拶でも済ませておいたのか、アトリもパノンもどこかサバサバした表情をしていた。

 アトリとパノンは、出会ってまだ一月も経っていないとは思えないほどに仲が良かったので、別れの際はどうなることかと思っていたが、この様子だと心配はなさそうだな。


 馬に乗っている上に新月で夜闇が濃く、トン・ツーによる会話が難しいため、あらかじめ決めておいた簡単なハンドサインを使って、パノンに出発の合図を送る。

 パノンの首肯を確認した後、馬の腹を蹴り、〈オルビスの傷痕〉を目指して走り出す。

 リュカオンに寄って、あらためてクダラおばさんたちに世話になった礼を伝えたかったが、兵士が駐留している以上、村に近づくこと自体が危険なため断念する他なかった。


 リュカオン、アザーン、関所を大きく避けながら移動し、やがて〈オルビスの傷痕〉が見えてくる。

 あとは〈オルビスの傷痕〉に沿って馬を走らせ、〝テラアルケミー〟で橋を架ける地点を目指すだけだな――と、思った矢先のことだった。

 東の方から迫る複数の気配を感じ取り、パノンに『待て』の合図を送る。

 状況によってはすぐに出発する可能性があるため、馬に乗ったまま、地面に意識を集中させて振動を読み取る。


 速度からして全員馬に乗ってるな……数は……駄目だ。それなりにいるということしかわからない。

 やはり、馬上からだとどうしても感知精度が落ちるな。


「■■、■■■■■■■!?」


 蹄の音でも聞こえたのか、パノンもこちらに迫ってくる集団に気づいたらしく、切羽詰まった様子で振り向いてくる。

 俺はすぐさまハンドサインで『静かに逃げる』を伝え、〈オルビスの傷痕〉から離れる形でこの場から離脱。夜闇に紛れてやり過ごす算段だった。


 ほどなくして、灯りに包まれた、馬に乗った集団が姿を現す。

 予想どおりというべきか、集団の正体は、ランプを腰に吊り下げた、総勢五騎の巡回騎兵だった。もっとも、集団で現れたのは予想外だったが。


 騎兵たちが馬足を緩めたので、パノンに『待て』の合図を送り、馬の足を止めて息をひそめる。

 いよいよ騎兵たちは、つい先程まで俺たちがいた地点にたどり着き、足を止める。

 様子を見た限りだと、俺たちの存在には気づいていないが、あの場に誰かがいたことには気づいている様子だった。


 ――まずいな。


 揃いも揃って、ランプの灯りで地面を照らしている。

 俺たちの蹄の跡を辿るつもりだ……!


 騎兵たちがこちらに向かって馬首を巡らせた瞬間、俺はパノンに『全力で逃げる』のサインを送り、馬の腹を蹴ってすぐさま走り出す。

 いよいよこちらに気づいた騎兵が声を上げたのか、俺の腹部に掴まっているアトリの手がわずかに強張るのを感じながら、全速力で逃げ出した。

 初動の差を利用して騎兵たちを引き離しながら、思考を巡らせる。


 ――なぜ騎兵が集団で……小隊を組んで巡回している?


〈オルビスの傷痕〉の調査をしていた時は、こんなことは一度もなかった。

 俺か、調査協力をしてくれたコジャのどちらかが下手を打っていた場合は、もっと早くに動きがあったはず。

 こんな今さらすぎるタイミングで、兵団が手を打ってくるのは不自然だ。

 それに、昨日パノンに〈オルビスの傷痕〉沿いの様子を確認してもらったが、たまに巡回している単騎の騎兵がいるだけだと、パノン自身が()()()()()

 グリッツが兵団に密告していた場合は、廃村の場所そのものがバレることになるから、それも有り得ない。

 それに、あの戦闘狂が狙った獲物を兵団に売り渡すとは考えにくい。

 だとすると、


 ――この六日間、パノンは泳がされていた可能性があるな。


 ……いや、これも所詮は憶測だ。

 それにこの憶測は、廃村から動けない俺たちのために奔走してくれたパノンを責めるようで、正直具合が悪い。


 不意に、パノンがこちらに近寄ってくる。

 そして、空中に点と線を描く形でトン・ツーを用い、短く『ごめん』と謝ってくる。

 どうやらパノンも、俺と同じ憶測をしていたようだ。

 パノンに向かって軽く手を振って『気にするな』を伝えつつ、さらに深く思考を巡らせていく。


 パノンは、尾行や監視には充分に注意を払っていた。

 事実、パノンがしっかりと尾行や監視をかわしてくれたおかげで、俺とアトリが廃村に身を隠していたことは、ついぞ兵団にバレることはなかった。


 ――考えられるとしたら。


 リュカオンに置いてある俺たちの馬を持ち出すことは、駐屯している兵士に怪しまれるため不可能だと判断し、昨日俺はパノンに、〈オルビスの傷痕〉沿いの様子を確認した帰りにアザーンで馬を買ってくるよう頼んだ。

 パノンは尾行を許すことなく馬を連れて廃村に戻ってきたが、もし兵団が、パノンがアザーンで購入したものを特定できるほどの情報網を有していたとしたら……馬なんて買おうものなら怪しまれるのは当然だな。

 近いうちに何かしら動きがあると予想し、巡回する騎兵の数を大幅に増やしてもなんら不思議ではない。


 この場合、アザーンで馬を調達するよう頼んだ俺の落ち度になるから、やはり、パノンが謝る必要はどこにもない。

 むしろ、俺が謝るべ――


 ――ちぃ……!


 行く手から別の気配が迫っていることに気づき、舌打ちする。

 ほどなくして、前方にランプの灯りが見えてくる。後ろから迫る騎兵小隊とはまた別の小隊が、異常に気づいて増援に来たのだ。

 これ見よがしにランプを吊り下げていたのは、味方に発見してもらうという意図もあったわけか……!


 実力で押し通るか?

 いや、マイアの兵士相手にそんなことをすれば、ますますアトリの立場を悪くなってしまう。

 実力行使は最後の手段にすべきだろう。

 だから今は、逃げの一手だ。


 パノンに目配せをした後、旅装のポケットから煙幕玉を取り出して地面に叩きつける。

 煙幕が視界を白色に塗り潰した瞬間、俺とパノンは左に馬首を巡らせ、前後から迫る騎兵たちから逃げていく。

 煙を利用して少しは距離を離すことに成功するも、やはり馬の扱いは向こうの方が一枚も二枚も上手で、抵抗虚しく俺たちは騎兵たちに包囲されてしまう。


 ――逃げ切れない、か。


 実力で押し通る覚悟を決めたその時、パノンが俺に向かって『待て』の合図を送ってくる。

 おそらく実力行使を待てという意味で使ったのだろうが……この場を脱する手が、他にあるというのか?

 トン・ツーを使って確認したいところだが、手を使っても足を使っても露骨に怪しい動きになるのは必至。

 そんな動きを見せてしまったら、騎兵たちは迷わず取り押さえにかかるだろう。

 そうなったら……結局実力行使になってしまうな。


 そんな俺の懊悩を見透かしたように、アトリが俺の腹部をスリスリと擦ってくる。

 騎兵たちを刺激しないよう気をつけながらアトリの方を振り向いてみると、まるでその様子が見えているのかのように、彼女は唇を引き結びながら一度だけ、力強く、コクリと頷いてみせた。

 これは……、


 ――『パノンを信じて』、だろうな。


 ならば、俺のやることは一つだ。

 パノンを信じることはもちろん、パノンを信じるアトリのことも信じる。

 アトリがそうしたように、パノンに向かって一つ頷いてみせると、パノンもまた頷き返した。

 ゆっくりと馬から降りたパノンは、俺とアトリをかばうようにして前に出る。


 ――頼んだぞ、パノン!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ