第45話 親友【アトリ】
「で、膝枕したまま朝まで寝てしもたと?」
「……はい」
呆れた声で訊ねるパノンに、私は体を小さくしながら答えた。
現在、私とパノンは寝室にて、今日の夜に決行する国境越えの準備――実質旅の準備だけど――をしていた。
時刻は朝ごはんを食べてから少し経った程度だから、朝と呼ぶにも昼と呼ぶにも微妙な時間帯だと思う。
ルードはルードでやることがあるということで外に出ているらしく、二人きりになれたということで、パノンの尋問が始まっちゃったの……。
「にしても、ルードはルードでウチが来てんのに目ぇ覚まさんかったのは意外やな。普段のルードやったら、ウチがこの建物に近づいた時にはもう気づいて目ぇ覚ますのに。それともアレか? アトリの膝枕、そんなに気持ちええんか? ウチもお願いしてええ?」
「それは勘弁してぇ……」
うぅ~……色んな意味で顔が熱くなってきたぁ……。
「そんだけ恥ずかしがってるくせに膝枕をしたと? アトリって大胆なのかヘタレなのか、ようわからんとこあるよな」
パノンの方から、呆れたようなため息が聞こえてくる。
私自身、自分のことは小心者だと思ってるけど……最近は、ちょっとよくわからなくなってる……かも。
だから、反論のしようがなかった。
「でも、ええんか? 膝枕したことルードに内緒にしてて?」
「だって……恥ずかしいもん……。だから、座ったまま一緒に寝てたってことで、お願いします……」
「それでも結局は一緒に寝てたことになるけどな~」
茶化すように指摘され、ますます顔が熱くなっていく。
言われてみればそうだし、それはそれで恥ずかしい……。
「しっかしま~、あのルードが、ああも無防備な寝顔晒すなんてな。誰かさんが五日もかけて焦らしプレイかましたせいか、安心しきった顔で寝てたで」
「……焦らし、プレイ?」
なんのことかわからず、首を傾げてしまう。
「あ……あ~……アトリは気にせんでええで。今のは……なんつうか……アレや。言葉の綾ってやつや。さ、さ~て無駄話はこれくらいして、ぼちぼち準備を始めよか」
露骨にごまかした!?
焦らしプレイって、そんなに私に教えたくない言葉なの!?
結局、パノンは焦らしプレイについて教えてくれず、押し切られる形で国境越えの準備を開始する。
ミーシャちゃんに書いてもらった『ありがとう』と『わたしにまかせて』の紙がボロボロになっていたので新たにパノンに書いてもらったり、パノンが背嚢に詰め込んでくれた食料や水、寝袋などをチェックしたり……わかってはいたけど、私にできることはあんまりなくて、パノン任せになってしまって……。
「本当にありがと、パノン」
準備とチェックが終わった後、感謝をそのまま口に出してみる。
すると、パノンは、
「その言葉は、これを受け取ってからにしてほしいな」
そう言って〝何か〟を私の胸に押しつけた。
〝何か〟を手でまさぐり、掴んでみる。
これは……折りたたまれた紙、だよね?
「その紙には、ルードに直接教えてもろたトン・ツーの符号が書いてある。誰か親切そうな人に出会ったら、その紙見せて教えてもらい。それから、単純に暗号として使う意図があったのか、それとも会話がしやすいようにしてるのかは知らんけど、普通のトン・ツーとはちょっと違うとこあるから、その辺の本に載ってるような符号じゃ代用は利かへん。せやから、なくさんよう、しっかりと背嚢の奥に突っ込んどきや」
「パノン……」
パノンの優しさが嬉しくて……とても嬉しくて……少しだけ、涙が滲んでくる。
「あ~……あんま感激せんといて。教えよう思たらいつでも教えられたのに、意地張ってこんな形になってもうたんやから。ま、意地張るのは絶賛継続中やから、今教えてとか言われても教えてやらんけどな」
「それは……うん、しょうがないよね。だって、パノンもルードがことが好き……だもんね」
「ま、そういう、ことやな」
珍しく、歯切れ悪そうにパノンは答えた。
気になったので「ルードとなにかあったの?」と訊ねてみると、
「いや、別にルードとは何もないというか、何もなさすぎてヘコむくらいやけど……そうやなぁ……何かあると言えば、ルードとアトリの両方やな」
「私も?」
「せやで。意識してんのかしてへんのかは知らんけど、ルードもアトリも全然触れようとせえへんやん。アンタら二人が国境越えたら、ウチとはそこでお別れやってこと」
「……ぁ……」
言われて気づく。
国境を越えた後、パノンがついて来られないことを、あえて考えないようにしていた自分に。
「捧唱の旅が、めっちゃ長い旅になるのはウチも知っとる。せやから……無理や。ウチが傭兵になる前の孤児院はほんま火の車やったからな。古株でもあるウチが長いこと孤児院を空けるわけにはいかへん。……それに……」
やけに長い沈黙を挟み、パノンはどこか諦めたような声音で言葉をつぐ。
「……いや、なんでもあらへんわ。とにかく、そういうことや。歯切れ悪くなるのも勘弁――って、そういうのも勘弁してや……ほんま……」
なんのことわからず首を傾けた瞬間、頬に水滴のようなものが伝っていくのを感じ取る。
まさかと思い、目元に指を当ててみると、いつの間にか溢れ出た涙が指を伝っていって……。
おかしいなぁ……ミーシャちゃんの時は、笑ってお別れできたのに……どんどん……どんどん涙が……溢れ……溢れ……っ。
「パノォン……」
涙と一緒にパノンと別れたくない気持ちも溢れ出て、感覚を頼りに彼女に抱きついた。
ミーシャちゃんとお別れした時どころか、ナトゥラの民の集落を発った時も、こんなにも涙が溢れたことはなかった。
ナトゥラの民にも友達はいるけど、私の目が見えなかったり、両親を亡くしていたり、ラライアさんに目をつけられたりしていたせいか、なんとなく〝壁〟のようなものを感じたり……もしかしたら、私の方が〝壁〟をつくってるのかもだけど……。
とにかく、パノンほど仲良くなれた人はいなくて、集落を発つ前の夜にお別れした時は涙が滲んだけど、溢れるまでには至らなかった。
お爺様とお婆様とお別れした時は、今と同じくらいに溢れそうだったけど、心配させたくない一心で、なんとか堪えることができた。
唯一思い当たるのは六年前、魔唱の修行のために集落を訪れた〝お姉ちゃん〟と別れた時くらいだった。
今は、その時と同じくらい……ううん、もしかしたらその時以上に涙が溢れてる……かも。
「私たち……離れていても友達だよね……?」
「あ~……それなんやけどな……」
さっきとは別の意味で歯切れの悪い言い回しに、別の意味で涙が溢れそうになる。
「ちょちょちょちょっ! そんな顔せんといてや! ただな……あ~……小っ恥ずかしいから一度しか言わへんで。せやから、よう聞きや」
「……うん」
「ウチもまあ、それなりに友達はおるけど、アトリのような友達は初めてやねん。あ、唱巫女とか目が見えへんとか、そういう意味で言ったわけちゃうで」
「わかってる……でも、初めてって言うなら、私もパノンのような友達は初めて。だって私……他の友達と一緒にお風呂に入ったことないもん」
「それはウチかて一緒やで」
「えっ!? そんな感じはしなかったけど!?」
「そんな感じがせんかったのは、ウチ自身、裸の付き合いってやつをやってみたかったってのもあるけど、たぶん、ウチがチビどもを風呂に入れるのに慣れてたせいや思うで。そもそも、それなりに友達おる言うても仕事絡みでできたのばっかやから、村の外でしか会う機会ないし、孤児院に招待する機会もないしな。ま、ルードは無理矢理招待したけどな」
最後の言葉に、思わず苦笑を漏らしてしまう。
「せやから、アトリが初めてやねん。一緒に風呂入ったのも、お互いに足りへんとこ教え合ったのも……同じ男の子、好きになったのも」
同じ男の子……ルードのことが脳裏に浮かび、頬が火照るのを感じながらも頷く。
「それは、私も同じ……一緒にお風呂に入ったのも、お互いに足りないところを教え合ったのも――――…………」
「お? 最後のは恥ずかしくて言えへんか?」
図星をつかれて口ごもっていると、パノンが私の背中に手を回し、抱き返してくる。
「ま、恥ずかしくて、さっきからずっと肝心のとこが言えてへんのはウチも同じやけどな。せやから、いい加減言うけど……あ~……その……会って一月も経ってへんのに何言うてんねん思うかもしれへんけど……ウチはアンタのこと、友達は友達でも……し、親友やって……思てる」
親……友……。
「せやから……せやから……アカン、マジで恥ずかしくなってきたわ。と、とにかく! ウチとアンタは親友! 異論は認めへんからな!!」
その言葉を瞬間、居ても立ってもいられなくなり、パノンに抱きついていた腕を、ぎゅ~ってしてしまう。
「うん……うん! 異論なんてない! 捧唱の旅が終わったらまた会いに行くから――」
「その時は熱烈に歓迎したるわ」
私の言葉を遮って答える、いつもどおりすぎるパノンに思わず頬が緩む。
パノンと頬を寄せていた方の肩にポタポタと水滴が落ちたことに気づいた瞬間、なんだか余計に涙が溢れてきて……私たちは抱き合ったまま、お互いの気が済むまで、声を上げて泣き続けた。