第4話-1 コミュニケーション【ルード】
俺は、彼女――アトリさんの意図を計りかねていた。
彼女は今、何かを求めるように、俺に向かって手を差し伸べている。
いったいこれはどういう意図があっての行動なのか……思考を巡らせようにも、浮き立つ心が邪魔をして一向に考えがまとまらない。
いや、まとまらないだけならまだいい。
俺の本能が理性を無視してこう叫ぶのだ。
さっさと手を握ってしまえ――と。
意図もわからないまま行動に及ぶなど、軽率もいいところだというのに。
今一度、彼女の顔を見つめてみる…………くっ、心臓の自己主張が一気に激しくなりやがった!
ということは、あまり認めたくないが、やはりこれはアレなのか?
娯楽小説で度々出てくる一目惚れというやつなのか?
……いや、違う。
俺はもっと理性的な人間のはずだ。
女を見た瞬間に盛る野郎たちとは、断じて違う。
思い出せ。
ガキのくせに達観しすぎだと同業者に文句をつけられていた今までの俺を。
年上だろうが年下だろうが、女と接しても小波ほども動揺しなかった今までの俺を。
今気にすべきことは彼女の愛らしい顔――じゃなくて、彼女の表情だ。
彼女は今、ただ手を差し伸べるという行為に己を全てを賭けているような、そんな覚悟が滲んだ表情をしている。
なぜ……いや、むしろ当然と考えるべきか?
目が見えない彼女には、俺がまだ敵なのか味方なのかもわからないはず…………って、馬鹿か俺は!?
はずじゃないだろ!
彼女は今、俺が敵か味方かを確かめるために手を差し伸べてるんだ!
味方ならば、その手を握ってくれると信じて!
よく見ろ! 彼女の手が震えてるだろうが!
そう思うや否や、俺はすぐに彼女の手を、優しく、両手で包み込むように握った。
俺は君の味方だと、もう安心していいという想いを込めて握った。
その想いが伝わったのか、彼女の手の震えが少しずつ少しずつ収まっていく。
それがなんだか嬉しくて、震えが完全に収まるまで、俺は彼女の手を握ることにした。
ようやく安心できたのか、手の震えが収まった彼女の頬に微笑が浮かぶ。
その微笑は、見た目の穏やかさとは裏腹に俺の心を揺さぶるほどに激しい力を有しており、心臓の暴れっぷりは肋骨を突き破らんばかりの勢いだった。
「■■■■■」
彼女が手を離しながら何か言葉を口にしているのを見て、今さらながら重大な事実に気づいた自分の間抜けさに心底うんざりする。
――これは、どうやってコミュニケーションを取ればいいんだ?
耳が聞こえない俺の会話方法は基本筆談だが、当然、目が見えない彼女には通じない。
護衛団に入った際に必要伝達事項として報されたため知っているが、彼女は生まれながらにして目が見えない。
だから、彼女の手のひらに指で文字を書いて伝えるといった方法も使えない。
なぜなら、生まれながらにして目が見えないということは、彼女が生まれてこの方、文字そのものを見たことがないことを意味しているからだ。
文字以外には、指で突いて『トン』、指を引いて『ツー』を表す、トン・ツー符号による会話方法があるが、こんなものを知っているのは俺の師匠を含めた少数の物好きくらいのもの。彼女が知っているわけがない。
一方、彼女の会話方法は、当然、普通に声を使って話すこと。
これも当然の話だが、耳が聞こえない俺には通じない会話方法だ。
師匠の協力のもと、娯楽小説で見た『相手の唇を読む』という技術に挑んだことはあるが、同じ唇の形で違う発音ができることを知った時点で修得を諦めた。
正直、実用に耐えうる技術ではない。
耳が聞こえにくい人間が補助的に使うのが精々だろう。
だから、先程彼女が何と言っていたのか、俺にはわからない。
表情と雰囲気で、お礼の言葉を言っているのだろうと推測するのが精々だ。
それにしても彼女の唇、肌と同様に色素が薄かったな――って、何を考えてるんだ俺は!?
と、とにかく、このままではまずい。
今は身を隠す場所を探すのが先決だが、どうやってそれを彼女に伝える?
もう一度強引に抱きかかえて移動することもできるが、突然何も伝えずにそんなことをしたら、また彼女に恐い思いをさせてしまうかもしれない。
できることなら、そんなことはしたくない。
いや、それ以前に彼女は、全く喋ろうとしない俺のことを不審に思っているかもしれない。
護衛団の副リーダーの……たしか……サイトとかいう馴れ馴れしいオッサンが、彼女に俺のことを伝えていたら不審がられることはないかもしれないが、いくらなんでもそれは希望的観測がすぎるというもの。
期待しない方がいいだろう。
――ん?
突然、彼女が顔を赤くしながら腹を擦る。
今の仕草を見れば、その音が聞こえない俺でもわかる。
空腹で腹が鳴ってしまったのだ。
それにしても恥ずかしがってる顔、かわいいな……じゃなくて……そうだ!
これなら彼女と意思疎通ができるかもしれない!
一筋の光明を見出した俺は、手始めに『身を隠す場所を探す』を伝えられるかどうかを試すことにした。