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第39話  逆鱗

「アトリちゃんッ!!」


 クダラの悲痛な叫び声を聞いたパノンは、戦いの最中にあるにもかかわらず、半ば反射的に孤児院の方に視線を向けてしまう。

 その一瞬の隙を見逃さなかった二匹のゴブリンが、その手に持った剣と槍で、前後から挟み込む形でパノンに襲いかかる。

 反応が遅れ、かわし損ねたパノンは右腕と左太股を浅く切り裂かれるも、すぐさま二匹のゴブリンのこめかみにダガーを突き刺して返り討ちにする。

 そして、


「乙女の柔肌に何すんねん!」


 威嚇も込めた怒号で、追撃をかけようとしていたゴブリンどもの足を止めさせた。

 

「……クソっ」


 肩で息をしながら、憎々しげに悪態をつく。

 パノンを包囲するゴブリンの数は、まだ二十匹以上残っていた。

 アトリに何かあったのか気になって仕方がないが、自分は自分でかなりまずいことになってると自覚した方がいい状況だった。


 どうにもこのゴブリンたちは組織的に動くことが常態化していたらしく、〝頭〟となる者がいなくても各々の役割分担がしっかりしており、数の多さも相まってやりづらいことこの上なかった。


(こっちが攻めたら盾持ってる奴で固めてくるわ、息切れしそうになったところをしっかりと狙ってくるわ、魔唱を使おうとしたら妨害してくるわ……今の今まで退治されることなく生き残ってたのも頷けるわ。まあ、〝頭〟がおらんから、さっきみたいに先走る奴もいるけど、そういうのに限って妙に勘が良いから腹立つ!)


 地団駄の一つや二つ踏みたいところだが、今は一刻も早く包囲網を突破して孤児院へ向かうことが先決だと自分に言い聞かせた。

 その直後のことだった。

 突然、包囲網の一角から大量の血飛沫が上がり、半瞬後、風すら置き去りにするほどの速さで現れた影が、パノンの傍に立つ。

 パノンよりも少しばかり小さいその影を見て、聞こえないとわかっていながらも思わずその名を叫んでしまう。


「ルード!」


 ほぼ同時に、四匹のゴブリンがルードに襲いかかってくる。

 仲間がやられたことを憤っているのか、その表情は怒りに充ち満ちていた。


 一方ルードは、静かに、あくまでも静かに腰の後ろに手を回し、ブレードの柄を逆手で握る。

 転瞬、月明かりを受けた刃が煌めき、パノンでも視認すらできない神速の斬撃が、刹那にも満たぬ間に四匹のゴブリンを斬り捨てた。


 ルードはブレードを鞘に収めながら、片目だけでこちらを見やる。

 右腕と左太股の傷が見えたのか、到着が遅かったことを詫びるように小さく頭を下げた後、足を使ったトン・ツーでこう訊ねてくる。


『状況は?』


 長々とトン・ツーで答えている余裕はないと判断したパノンは、ルードの双眸を睨むように見据えながら、孤児院の方角を指でさす。

 それだけで察したルードは、もう一度パノンに小さく頭を下げると、すぐさま地を蹴り、行きかけの駄賃にゴブリンの首を二つ刎ね落としながら孤児院へ向かった。

 おかげさまでゴブリンの数は十匹にまで減り、包囲網もすっかりスカスカになっていた。

 思わず、ニンマリと笑ってしまう。


「この数なら余裕やな。というわけやから、ちゃっちゃと済ませてルードのあと追わせてもらうで」



 ◇ ◇ ◇



 村で一番大きな建物を攻めていたゴブリンの一匹は、突然の出来事に呆然としていた。


 今より少し前、逃げ込んだ人間どもの怪我を治療しているメスの存在に気づいた同胞(はらから)が、果敢にも塀を乗り越えて建物の敷地内に侵入し、そのメスを剣で斬り伏せたことで、人間どもに絶望を、同胞たちに歓喜をもたらした。

 あの藍髪の人間……いや、化け物に(おさ)を殺され、アースギガントさえも葬られ、惨めったらしく逃げ回っていた恐怖が、憎しみが、晴らされる気分だった。


 あの化け物が現れる前までは、本当に最高の日々だった。

 人間どもが使っている魔唱なるものを独自に研究していた長の力により、最強の魔獣といっても過言ではないアースギガントを使役することに成功したあの日からは、本当に本当に最高の日々だった。


 峡谷にいるだけで身の程を知らない人間(バカ)どもがアースギガントに挑み、返り討ちにあう様は笑いが止まらなかった。

 娯楽だけではなく、武器や盾、鎧といった戦利品まで提供してくれるのだから、なおさら笑いが止まらなかった。

 長が使役するアースギガントのおかげで、ゴブリンたちにとって人間は取るに足りない存在に成り下がった。

 自分たちに娯楽と物資を提供してくれる、言うなれば餌のような存在だった。

 そう思っていた存在に全てを奪われた。

 それも、たった一匹の人間に。


 人間の存在がこわくなった。

 人間の存在が憎くてたまらなくなった。

 だから、やめられない。

 脅威となる人間どもの村に奇襲をかけ、脅威を取り除くことが。

 情けなく逃げ回る人間どもを追い回し、略奪し、その命もろとも蹂躙することが。


 魔唱と思われる力で怪我人の治療をしていたメスを斬り伏せた際、人間どもは最高の反応をしてくれた。

 だらしなく悲鳴を上げ、みっともなく怒鳴り散らすその様は笑いが止まらなかった。事実、この場にいた全ての同胞が笑っていた。


 突然、(くだん)のメスを斬り伏せた同胞の首が宙を舞うまでは。


 いつの間にかだった。

 いつの間にか、件のメスの傍に一匹のオスが立っていた。

 体躯は自分たちよりも大きいが、人間の成体に比べたら随分と小さい、いかにも取るに足りない存在だった。


「ア゛オ゛イ゛ッ!!」


 今にも泣き出しそうな声をあげてメスの心配をしている一匹のオスを前に、自分も、他の同胞も動くことができなかった。


「大丈夫……だよ……ほら……《愛を……愛を……傷つき倒れし……者に……無窮の愛を》……」


 メスは苦しげに微笑を浮かべながら、訥々と唱をうたって傷を癒やすも、唱い方が悪かったのか完治には至らず、オスの顔が悲痛に歪む。

 オスは数瞬歯噛みした後、繊細なガラス細工を扱うように、そっとメスを地面に寝かせ、腰の後ろに差していた剣を抜き、こちらに顔を向ける。

 その直後だった。


「…………ッ!?」


 オスの内から暴力的なまでの殺気が放たれる。

 同胞たちが悲鳴をあげて失禁するほどに、喉元に刃を当てられている方がまだ生きた心地がすると思えるほどに、凄絶極まりない殺気だった。


 同じ、だった。

 長を殺し、アースギガントを葬ったあの化け物と同じ殺気だった。

 ただ一点違いをあげるとすれば、あの化け物は自分たちに毛ほどの興味もなかったが、あのオスは自分たちを殺すために殺気を放っている点だった。

 殺される――そう思ったのは自分だけではなく、全ての同胞がすぐさまオスに背を向け、だらしなく悲鳴をあげ、みっともなく怒鳴り散らしながら逃げ出していく。が、


「ヒェアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 先頭を切って逃げていた同胞が悲鳴を上げながら腰を抜かし、後続の同胞たちが慌てて立ち止まる。

 建物の敷地内にいたはずのオスが、いつの間にか、同胞たちが逃げた先に待ち構えていたのだ。


 悪夢としか言いようがなかった。

 オスから逃げたはずなのに、背後にはもうオスの姿はなく、すでに行き先に待ち構えていたなど、悪夢以外のなにものでもなかった。

 不意に、視界の中にいたオス――いや、化け物の姿が消える。

 ほぼ同時に、同胞の断末魔がそこかしこから聞こえてくる。

 気がつけば眼前に、剣を振り抜こうとしている化け物の姿があった。

 死んだ――そう認識する暇もなく、一匹のゴブリンの首が夜空に舞った……。



 ◇ ◇ ◇



 時間にして、わずか十二秒。

 戦いと呼ぶにはあまりにも短く、あまりにも一方的に、ルードは三十を超えるゴブリンを斬り捨てた。

 それを見ていた――いや、()()()()()()()()()()()()パノンは、ブレードの血を払うルードを、ただただ見つめていた。


 ゴブリンたちを鏖殺(おうさつ)したことで多少は落ち着いたようだが、それでもまだルードの顔には、魔獣さえも怯えさせるほどの凶相が浮かんでいた。

 こんな顔をしているルードを見たのは初めてだった。

 ここまで怒りを露わにしているところを見たのも初めてだった。

 パノンですら、近づくのも、声をかけるのも、躊躇ってしまうほどに。


(そんなにも……そんなにもアトリのこと、想ててんな……)


 地面に寝かされ、クダラの応急処置を受けているアトリを見やる。

 包囲していたゴブリンどもを倒し、孤児院に戻ろうとしたところで怒りに震えるルードに出くわしたため、詳しい経緯まではわからないが、どうやらアトリはゴブリンのせいで大怪我を負ってしまったらしく、それがルードの逆鱗に触れてしまったようだった。


(アトリ……怪我治す人間が怪我してどうすんねん)


 辛辣な独白とは裏腹に、パノンの表情には悲痛が滲んでいた。

 今すぐにでも駆け寄りたいところだが、パノン以上に駆け寄りたいであろうルードがその場に立ち尽していることが気にかかり、動くに動けない。

 もしかしたらルードは、アトリを傷つけたゴブリンだけではなく、アトリを護ることができなかった自分に対しても怒りを覚えているのかもしれない。

 大怪我をさせてしまったことに後ろめたさを覚え、アトリに合わせる顔がないと思っているのかもしれない。


(こんなルード見てられへんわ。けど……アカン。なんて声かけたらいいのか、ウチにはわからへん……)


「あぁっ!」

「おいおい大丈夫なのか!?」


 そんな声が孤児院の方から聞こえ、アトリに何かあったのかと思ったパノンは弾かれたようにそちらを見やり、瞠目する。


 アトリが立っていた。

 クダラに肩を貸してもらいながらも、アトリが立っていた。


 ルードも異変に気づいてアトリの方を見やるも、彼女の上衣を染める血の赤を見て、すぐに視線を逸らしてしまう。

 アトリは一つ息をつくと、クダラに付き添ってもらいながら、ゆっくりとルードに歩み寄っていく。

 そんなアトリを見てしまっては、さすがにルードも立ち尽しているわけにはいかず、すぐさま彼女のもとへ駆け寄ろうとするも、まるでその様子が見えていたかのように、アトリは首を横に振ってルードを制止した。

 私の方から行くという意志を示すように。


 まるで村そのものが固唾を呑むように、皆が皆、少しずつ少しずつルードに近づいていくアトリを見守っていた。

 とうとうルードのもとにたどり着いたアトリは、クダラから離れ、彼の手を握る。

 それだけで、憑き物が落ちるように、ルードの表情を塗り潰していた怒りが消え失せていく。

 手を掴んだことでルードの正確な立ち位置を把握したのか、アトリは寄りかかるようにして彼に抱きつき、


「大丈夫……まだ全然痛いけど……私は大丈夫だから……」


 聞こえないとわかっているはずなのに、絶対に伝わると確信したような声音で、ルードに言った。


 ありえない。

 届くわけがない。

 はずなのに、ルードは心底安堵した表情を浮かべ、ひしとアトリを抱き締めた。


 直後、歓声が湧き上がり、二人を囃し立てる声と指笛が夜空にこだまする。

 大勢の前で小っ恥ずかしいやり取りをしてしまったことに今さらながら気づいたのか、ルードに抱き締められていたアトリの顔はあっという間に朱に染まり、両手をアワアワし始めた。


「はぁ……こらアカンわ。ほんまに付け入る隙あらへんやん」


 ため息をつき、ガックリと肩を落としながら独りごちる。

 ルードとアトリの間には、伝えたくても伝えられない想いが山ほどあるだろう。

 けれど、一番大切な想いは、互いが互いを大切にする想いは、言葉や文字がなくてもしっかりと通じ合っていた。


「……なんか、思ったよりも失恋のショックがないことがショックやわ。アトリと出会う前から、散々袖にされてたせいか?」


 それはそれでなんだか腹立たしく思えてきたので、ルードへの嫌がらせと、羞恥の限界を迎えようとしていたアトリを助けるために、二人のもとに駆け寄ってルードを引き剥がした。

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