第37話 迫る危機【ルード】
俺は今、リュカオンを目指して馬を走らせていた。
この二週間〈オルビスの傷痕〉沿いの調査を続けた結果、〝テラアルケミー〟で橋を架ける場所は、アザーンの最寄りにある関所と、そこから十キロほど西に進んだところにある関所との中間地点で行うことに決めた。
正確には、中間地点よりも一キロほど西寄りの地点になるが。
〈オルビスの傷痕〉沿いは、荒野という程ではないがそこそこに大地が荒れており、身を隠せる樹木はほぼない。
かといって、岩場のようなものがあるわけでもなく、地形的な理由で騎兵の動きが鈍ることはない。
だから俺は、関所に常駐している兵の数と練度の差で、〝テラアルケミー〟決行地点を割り出すことにした。
余談だが、兵たちが所属する兵団は言うなれば騎士団の下部組織にあたり、そのほとんどが国境とその周辺にある町や村の防衛にあてられている。
二週間の調査により、国境都市アザーンの最寄りにある関所は、他の関所よりも兵の数が多く、練度も高いという情報を掴むことができた。
なんでも、アザーン最寄りの関所に常駐している兵たちは、関所だけではなくアザーン、リュカオンを含めた周辺の町や村を守ることも義務づけられており、数が多いのも練度が高いのもそうした理由があってのことだった。
それに、近くに町があるおかげで息抜きがしやすく、兵たちの士気が下がりにくいのも練度の高さに繋がっているとのことだった。
一方、アザーン西側にある関所の周りには本当に何もなく、遠くから様子を窺った際、警備についていた兵は揃いも揃って退屈そうにしていた。
練度までは確認できなかったが、あの様子だとたかが知れているだろう。有事の際、騎兵の動き出しも、さぞかし遅そうだ。
だから俺は、関所と関所のど真ん中よりも西寄りの地点に橋を架けることに決めたのだ。
本音を言うと、アザーンやリュカオンからもっと離れた場所も調べておきたかったが、どうしてもアトリの傍を長く離れることに不安を覚えてしまい、日を跨ぐような調査に踏み切ることができなかった。
もし、仮に、パノンだけでは対処できない脅威がアトリに迫ったら……そんなことを考えるだけで居ても立ってもいられなくなる。
今やっていることが、捧唱の旅に必要なことだと、アトリのために必要なことだとわかっていても、どうしても、一秒でも早く切り上げてアトリのもとへ戻りたいと思ってしまう。
実際、帰途についている今この時も落ち着かないことこの上なかった。
西の地平に沈む太陽がこの日最後の輝きを放ち始めた頃、右手側から、馬に乗った人間と思われる気配が迫ってくるのを感じ取り、警戒しながらそちらに視線を送る。
――あれは……。
馬に乗ってこちらに近づいてくるのは、リュカオンでなんでも屋を営んでいる青年――コジャだった。
パノンの口添えもあって、コジャには〈オルビスの傷痕〉沿いの調査を手伝ってもらっていたのだが……妙だな。
今日は遅くなるから、調査が終わったら先に帰っていいと伝えていたのに、わざわざ合流してくるとは。
やけに慌てているように見えるのも引っかかる。
何か緊急事態が起きたのかもしれないと思い、俺は馬首を巡らせてコジャと合流した。
合流するや否や、コジャは後ろに積んでいた荷物から水袋を取り出して一口煽ると、俺が持っている物とは別に用意した、白亜と木の板の筆談セットを取り出し、こう語りかけてくる。
『頼む。今すぐ村に戻ってくれ』
俺もすぐさま筆談セットを取り出し、コジャに訊ねた。
『何があった?』
『リュカオンから南に離れたところに二つほど村があるんだが、どちらもゴブリンの大群に襲われて壊滅的な被害にあったという情報を掴んだ。気になったから、ゴブリンどもの進路を逆算して辿っていったら、リュカオンに向かってるゴブリンの大群を発見した。数はたぶん六~七十匹くらいだと思う』
思わず瞠目してしまうも、まだ続きがあるらしく、コジャが先の文字を消して新たな文字を書き終えるのを待ってから木の板に目を通した。
『向こうが徒歩だったおかげで発見後は即行で逃げ切ることができたが、結果的にリュカオンから離れる形で逃げちまったから、先にあんたに伝えることにした。あのペースだと、ゴブリンどもはもう村を見つけて襲いかかってるかもしれねえ。あんた強いんだろ? 頼むから今すぐ戻って村を守ってくれ。いくらパノンでも、あの数を一人で相手にできるとは到底思えねえ』
パノンの傭兵としての実力は並以上ではあるが、凄腕というには物足りない。
十匹二十匹ならともかく、六十匹七十匹となると、コジャの言うとおりパノン一人では対処しきれないだろう。
すぐにでも戻らなければいけない。が、村の人たちのことを考えると、保険をかけておく必要がある。
俺とアトリにとってはマイナスにしかならない判断だが、この場にアトリがいたらきっと俺に同意してくれるはず。
いや、むしろ彼女の方から提案してくるだろう。
だから俺は、迷うことなくコジャにこう訊ねた。
『騎士団と関所の兵団は、この情報を掴んでいるのか?』
『騎士団が動いたという話は全く聞いてないから、たぶんまだ情報は掴んじゃいねえ。関所の方も、情報が届いているかどうか怪しいところだな』
『そうか。コジャはすぐに関所へ向かい、兵団にこのことを伝えてくれ』
『いいのか? あんたと唱巫女さん、捕まっちまうかもしれねえぞ』
『良いも悪いも村人を護ることが最優先だ。こちらはこちらでなんとかするから心配は無用だ』
『すまねえ』
『謝罪も無用だ。時間が惜しいから俺はもう行かせてもらうぞ』
コジャが俺の言葉を読み切るのを確認した後、筆談セットを革袋に戻し、すぐに馬を走らせる。
『間に合え』とは思わない。
――間に合わせる! 絶対に!
俺は馬の腹を蹴り、全速力でリュカオンを目指した。




