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第35話  グリッツ・リーバー

 岩と砂ばかりが目立つ渓谷を、端正な顔立ちをした男が一人歩いていく。

 女性の視線を攫う鮮やかな髪の色は藍色で、涼やかな双眸もまた髪と同じ色をしていた。

 その身には、殺風景な渓谷に似つかわしくない夜会服を纏っており、その顔立ちも含めて、社交界のパーティにいる方が余程似つかわしい容姿をしていた。


 やがて渓谷の最奥にたどり着くと、男は足を止め、匂いを嗅ぐように鼻をスンスン鳴らしてから不服そうに首を傾げる。


「おかしいな? この辺りから〝獲物〟の匂いがするんだけどなぁ」


 緊張感の欠片もない声音で、そんなことを呟く。

 渓谷の最奥に待ち構えていた、百に届かんばかりのゴブリンの大群を前にして。


 ゴブリンは人間の子供よりも多少大きい程度の体躯の者がほとんどで、見た目は(オーク)に似ているが、オークに比べたら戦闘力は格段に劣っている。

 その手に持った武器も、棍棒や刃毀れした剣、錆び付いた斧と、粗末なものばかりで、腕に覚えのない人間でも、単体ならばさしたる脅威にならない魔獣だった。が、これほどまでの数がいるとなれば話は別だ。

 いくらゴブリンでも数が三桁に届くとなれば、それは最早脅威以外のなにものでもなく、ベテランの傭兵でも迷わず撤退を選ぶ場面だった。

 もっとも、男が最奥に踏み入れた時点でゴブリンたちが退路を断っているため、撤退すらできない状況になってしまっているが。


「君たち、この辺りにアースギガントと呼ばれる魔獣がいるって話を聞いたんだけど、何か知らないかい?」


 人語を理解しているのかいないのか、ゴブリンたちが(こぞ)って笑い始める。

 呑気な〝獲物〟だ――そんな声が聞こえてきそうな、心底男を馬鹿にした笑いだった。


「やれやれ」


 と、男はかぶりを振り、


「ならば、もう少し協力的になってもらうとしよう」


 不意に、男の内から暴力的なまでの殺気が放たれる。

 ゴブリンたちの笑い声を止めるどころか、失禁する者まで現れるほどに、喉元に刃を当てられている方がまだ生きた心地がすると思えるほどに、凄絶極まりない殺気だった。


「キエエエエエエエエエエエエッ!!」


 悲鳴に近い声を上げながら、五匹のゴブリンが男に飛びかかる。

 男の殺気に耐えられなかったのか、五匹とも恐怖で錯乱している様子だった。

 間合いに入ると同時に、その手に持った棍棒を、剣を、斧を振り上げた瞬間、


 五匹のゴブリンの頭部が、全く同時に爆発した。


 同胞(はらから)たちが男に近づいた瞬間に、突然、頭が爆発したように見えたゴブリンたちが、いよいよ恐慌状態に陥っていく。

 ゴブリンたちの目には、男が微動だにすらしなかったように見えたものだから、なおさらひどい恐慌に陥っていた。


 そんな中、唯一取り乱していなかった、王族のローブような布きれを羽織ったゴブリンのボスが、その手に持った杖の石突きで、何度も何度も地面を叩き始める。

 叩く音に合わせるように地面が揺れ、叩く度に少しずつ揺れが大きくなっていき、ゴブリンたちの恐慌が収まっていく。

 

「なるほど。そういうことか」


 獰猛に、男は笑う。

〝獲物〟を見つけたとでも言いたげな、そんな笑みだった。

 転瞬、男は大きく飛び下がり、一瞬前まで男が立っていた地面が爆ぜる。

 続けてその下から、恐ろしく大きな人型の影が土煙とともに姿を現した。


「生み出されたのか、ただ飼われているだけなのかは知らないけど、まさかゴブリンの持ち物だったとはね」


 男は舌舐めずりしながら、地面から出てきた〝それ〟を見上げる。

 ゴーレムを思わせる岩の体に、五十メートルに迫る、超がつくほどに巨大な体躯。

 人間の目に当たる部分には空洞が二つできており、その奥には幽鬼にも似た青白い光がぼんやりと浮かんでいた。


「マイアに存在する魔獣の中で、ピュトンと双璧をなす超大型魔獣アースギガント……いいね。これなら、寄り道をした甲斐もあったというものだよ」


 アースギガントの出現により勝利を確信したのか、恐慌状態に陥っていたはずのゴブリンたちが、一転して余裕の笑みを浮かべ始める。

 アースギガント出現の余波で渓谷の一部が崩れ、何匹かの同胞が土砂の生き埋めになってしまったというのにこの有り様だから、さすがの男も苦笑を隠し切れていない。


 ォォォォォォォォォ――……


 そんな男の苦笑が癪に障ったのか、アースギガントは断末魔にも似た雄叫びをあげながら、人間一人を潰すには度が過ぎるほどに巨大な拳を男に向かって振り下ろす。


「甘いよ」


 そう呟いた瞬間、男に向かって振り下ろしたはずの巨拳が弾かれ、アースギガントはゴブリンを踏み潰しながら二、三歩後ずさる。


 またしても、だった。

 またしても、微動だにしない男に近づいた瞬間に〝それ〟は爆ぜた。

 ゴブリンたちに動揺が拡がる中、男は小さくため息をつく。


「やれやれ。こうもギャラリーが節穴だと、盛り上がるものも盛り上がらないね」


 そう言って、男は拳に付いていた砂埃を払うと、懐から真白い革手袋を取り出し、拳にはめる。

 そう……ゴブリンの頭を爆ぜたのも、アースギガントの拳を弾いたのも、全ては男の拳によるものだった。

 ゴブリンたちの目には映らない速さと、アースギガントをよろめかせるほどの重さを有した、超人的な拳打によるものだった。


 男は浅く開いた左手を前に突き出し、固く握った右拳を脇に構えると、藍の双眸を爛々と輝かせながらアースギガントに向かって名乗りを上げる。


「君に自我があるかどうかは怪しいが、一応名乗っておこう。僕はグリッツ・リーバー……誠に勝手ながら、僕の欲を満たすために君を壊させてもらうよ!」


 瞬間、グリッツは地を蹴り砕き跳躍。

 その高さはおよそ三十メートル。

 アースギガントの腹部に到達する高さだった。

 

「そぉらっ!」


 刹那にも満たぬ間に繰り出された拳打は十を超え、同じ数だけアースギガントの腹部に蜘蛛の巣上の亀裂を走らせていく。


 ォォォォォォォォォ――……


 グリッツを敵として認めたのか、アースギガントは地鳴りのような雄叫びを上げながら踏み止まり、中空にいるグリッツを拳で叩き落とした。

 殴られたグリッツは音速に迫る勢いで地に激突し、衝突点を中心に地面がすり鉢状に陥没する。

 普通の人間ならば、原形すら留めないほどに強烈な一撃だったが、


「いいね。腕が痺れるほどの攻撃を受けたのは久しぶりだよ」


 左腕をプラプラとさせながら、平然と立ち上がる、グリッツ。

 アースギガントの拳を受けた左袖だけがボロボロになっているだけで、たいしたダメージは受けていない様子だった。


 それを見て、いよいよボスゴブリンは狼狽する。

 防御など意味を為さない巨大な拳を防御し、平然と立っているグリッツは、アースギガントを使役するボスゴブリンから見ても化け物じみていた。

 ボスの狼狽は他の者たちにも伝播していき、ゴブリンたちにどよめきが拡がっていく。


 そんな小人どもの心配を払拭せんとばかりに、アースギガントは片足を上げ、グリッツを踏みつけようとする。が、そんな鈍重な攻撃をくらうようなグリッツではなく、疾風の如き速さで横に飛んで踏みつけを回避。

 巨足に踏みつけられた地面が波を打つ。


「まずは、その足をいだたくとしよう」


 着地するや否や、明らかに足が届く距離ではないにもかかわらず、グリッツはアースギガントに向かって蹴りを放つ。

 刹那、鋭い風切り音とともにグリッツの足先からカマイタチが放たれる。

 カマイタチは空を切り裂き、アースギガントの左足首を切断。

 その向こうにいるゴブリンたちの首をも刎ね飛ばした。


 左足を失い、バランスを崩したアースギガントが、ボスゴブリンのいる方に向かって倒れていく。

 ボスゴブリンは恥も外聞も捨てて悲鳴を上げながら逃げようとするも間に合わず、周囲にいたゴブリン諸共、岩の巨体の下敷きになって押し潰された。


「エグレギウス流闘術秘技〝クシフォスラッシュ〟。それが君の足を断った技の名前さ。覚えておくといいよ」


 追撃をかけず、余裕に満ちた笑みを浮かべながらグリッツは言う。

 あらゆる生物の中で、自分こそが最強だと自負しているのような物言いだった。


 ォォォォォォォォォ――……


 グリッツの傲慢さに怒りを覚えたのか、ボスゴブリンを殺してしまったことを悲しんでいるのか、アースギガントの雄叫びが大気を震わせる。

 雄叫びに呼応するように切断された左足首から新たな足が生え、大地を震わせながらゆっくりと立ち上がり、グリッツを見下ろす。

 ボスゴブリンが死んだからか、それとも化け物同士の戦いに巻き込まれることを恐れたのか、残ったゴブリンたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。


「まさか足が生えてくるとはね。さて、お次は何を見せてくれるんだい?」


 グリッツの要望に応えるように、アースギガントは今一度雄叫びをあげ、顔から、腕から、胴体から、足から、全身のありとあらゆるところから岩の飛礫(つぶて)を乱射し始める。

 雨のように降りしきる岩の飛礫をかわしながら、グリッツは心底楽しげな笑みを浮かべた。


「飛び道具には飛び道具でお返しというわけか。君もなかなか洒落のわかる魔獣だね。だけどその攻撃、いつまで持つかな?」


 アースギガントは己の体を構成する岩を飛ばして攻撃している。

 必然、その質量は減りゆく一方――かに思われたが、


「これは……」


 アースギガントの質量はいつまで経っても減ることはなかった。

 さらに、岩の雨が地面に触れるのと同時に地中に飲み込まれていく様を見て、グリッツは確信する。


「なるほど。限定的ではあるが、この峡谷の岩と土の力を借りることができるというわけか。これほど強大な魔獣を使役しているにもかかわらず、ゴブリンどもが峡谷から出ようとしないのも、その辺りに理由がありそうだね」


 心底、心底楽しげにグリッツは笑う。

 獲物を見つけた肉食獣のように。

 玩具を見つけた子どものように。


「楽しませてくれたお礼に、僕のとっておきを見せてあげるよ」


 グリッツは岩の飛礫をかわしながら〝クシフォスラッシュ〟を放ち、アースギガントの両脚を切断。

 仰向けになって倒れようとするアースギガントを追うように跳躍する。


「エグレギウス流闘術奥義――」


 右の拳を強く、空恐ろしくなるほど強く、握り締める。そして、


「〝ジオスローター〟」


 その拳を、アースギガントの眉間に目がけて振り抜く。


 刹那、


 アースギガントの体が()()()()爆ぜ、粉々に砕け散った。


「言い回しは違えど同じ大地。〝ジオスローター〟は君には効き過ぎたみたいだね」


 満足そうに独りごちながら着地し、ボロボロになった革手袋を脱ぎ捨てる。


「礼を言わせてもらうよ、アースギガント。君はなかなか良い前菜(オードブル)だったよ」


 前菜――そんな言葉が出るのも頷けるほどに、グリッツの圧勝だった。

 強力な魔唱なしでの退治は不可能に近いと言われている、超大型魔獣を相手に。

『不可能』ではなく『不可能に近い』と言われているのは、まさしく、グリッツのような例外中の例外が極稀に現れるからに他ならなかった。


 もはやここに用はなく、来た道を戻って峡谷を出たグリッツは、ゴブリンたちのものと思しき無数の足跡を見つけ、片眉を上げる。


「まさか僕の向かう先に逃げていくとは。つくづく運のないゴブリンたちだね」


 そう言って、グリッツは鼻をスンスンと鳴らす。


「この、アースギガント以上に鼻腔を刺激する強者の匂い……もしこれが本当にルードのものだとすれば……なるほど。たしかに、クラウス・フォウンの弟子だという話は本当かもしれないね」


 獰猛に、楽しげに、グリッツは笑う。が、ボロボロになった左袖に視線を落とした瞬間、鼻白んだようにため息をついた。


「その前に、どこか町に寄ることにしよう。いやはや、楽しい相手であればあるほど、一張羅が台無しになってしまうのが悩みの種だね」

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