第31話 リュカオンの孤児院【ルード】
情報収集を始める前に同業者――パノンに出会えたので、どうせだから彼女に色々と話を聞こうと思い、人気の少ない路地裏に移動する。
早朝だろうが深夜だろうが何かと賑やかなアザーンでは、路地にも街灯が設置されているため、路地裏は誰かに見られたくない筆談をするのに持ってこいの場所だった。
もっとも、パノンが相手の場合は筆談などという面倒な会話方法を用いる必要はないのだが。
爪先で地面を叩くことで『トン』を、爪先で地面に短く横線を引くことで『ツー』を表す、トン・ツー符号を用いてパノンに語りかける。
『久しぶりだな、パノン』
そう伝えると、パノンはなぜか仏頂面で、ズー!・ズー!・ズー!・ダン!……といった具合に、荒々しく地面を痛めつけながら訊ねてくる。
『その手、いつまで繋いでんの?』
……そういうことか。
自分でこう説明するのもなんだが、パノンは異性として俺に好意を寄せている。
それも『好き』だの『付き合って』だの、ド直球にぶつけてくるレベルで。
その度に丁重に断っていたのだが、どうやらまだ俺のことを諦めていなかったらしい。
パノンには悪いが、俺がアトリ以外の異性に心を動かされることは断じてない。
だが、さすがにそれを口に出すのは気恥ずかしいものがあり、パノンに対しては容赦ないにも程があったので、話を円滑に進めるためにも、事実だけを彼女に伝えることにする。
『彼女、アトリは目が見えない。だから、手を繋いでいることに関しては大目に見てくれると助かる』
「■■? ■■■■■■■!?」
わかりやすいほどに驚く、パノン。
その声に反応したアトリが何事かパノンに話しかけ、それを契機に二、三会話した後、パノンがこちらに向き直ってきたので訊ねてみる。
『何を話していた?』
『ただ自己紹介してただけや』
一瞬、「ウチがルードの彼女や」とか、アトリにあることないこと吹き込んでいないか心配しそうになるも、すぐにそれは有り得ないと思い直す。
なぜならパノンは、
『それより、この子唱巫女なんやろ。いくら捧唱の旅を放棄したいうても、目が見えない子を生死問わずで指名手配するとか、国は何考えとんねん』
理不尽なことに対して直球に怒りを露わにしていることからもわかるとおり、良くも悪くも『真っ直ぐ』な性格をしているからだ。
『真っ直ぐ』に好意をぶつけ、『真っ直ぐ』に怒りを露わにする裏表のなさ……俺への好意を抜きにしても、掛け値なしに信用できる〝他人〟だった。
『まず最初に断っておくが、アトリは捧唱の旅を放棄していない。今もまだ続けている』
『ちょっと待って。じゃあ、ほんまになんで国はこの子を指名手配なんかしたん?』
『当代の唱巫女が死ねば、聖痕が移譲され、新たにオルビスが選定した女性が次代の唱巫女に任命される。国は、目が見えないアトリでは捧唱の旅を成し遂げるのは無理だと判断し、切り捨てることを選んだのだ』
努めて冷静に伝えたつもりだったが、どうやらそうはいかなかったらしい。
パノンが驚きと少しばかりの怯えが混じった表情をしていることに気づき、自戒する。
『すまない。この件に関しては俺もだいぶ腹に据えかねていてな』
『みたいやな。アンタがそないにコワい顔するとこ初めて見たわ』
『ところで、指名手配後も俺が唱巫女の護衛を続けているという話は、どこで知った?』
『斡旋所の仲介人さんに特別に教えてもろた。ただ「かもしれない」って言ってたから、完璧には把握してないみたいやけど』
パノンの押しが強いのか、仲介人の口が軽いのかはさておき、やはり、斡旋所は俺が唱巫女の護衛を続けていると踏んでいるようだな。
当然と言えば当然の話だが、傭兵仕事の斡旋所は世界各国に、無数に存在している。
情報伝達に時間差が生じるにしても、俺がアトリの護衛を続けているという情報は全ての国の斡旋所で共有されていると思った方がいい。
傭兵の中には賞金稼ぎをやっている人間も少なくないから、今後は斡旋所に近づかない方が無難だな。
『アトリが指名手配されたことで、国境付近や関所に何か変化はなかったか?』
『警備に関しては露骨に厳重になっとるわ。関所のないところでも、騎兵が〈オルビスの傷痕〉沿いを巡回してるの見るようになったしな。てか、国境越えるつもりなん?』
『ああ。次に〝大地に捧げし唱〟を奉じる場所はエーレクトラだからな』
「■~■。■■■■■■■■■■■■■■」
パノンは感心するように何か言ったあと、アトリに比べたら貧相な胸を叩いて、このような提案をしてくる。
『その様子やと国境越える方法なんて、なんも思いついてないやろ? じっくり腰据えて考えるためにもウチの家に来おへんか? おばちゃんやチビたちも喜ぶやろし、歓迎するで』
◇ ◇ ◇
パノンの家の世話になるのは初めてではないうえ、アトリをベッドで休ませてやりたいという想いもあったので、俺はパノンの提案を受け入れることにする。
そうとわかれば時間も時間ということで、俺たちはアザーン郊外の厩舎に預けていた馬を回収し、パノンの住む村――リュカオンを目指した。
リュカオンはアザーンからそう遠くないところにあり、馬を走らせてから三十分とかからずに到着した。
アザーンの厩舎とは違い、無料かつ無人の厩舎に馬を繋いだあと、パノンの家を目指して、申し訳程度に整備された道を歩いて行く。
リュカオンは村としての規模はアルカスの倍近くあり、そのせいか、あるいはそこに住む人間の気質のせいか、建物は木造りのものもあれば石造りのものもあり、中には無数の石を積み重ねて漆喰で固めたものもあったりとバラエティに富んでいた。
この辺りの大地は肥沃と呼べるほどではないが、作物を育てることは充分に可能なので、村外れに目を向けると畑が広がっているのが見て取れた。
途中、村の中央に設けられた掲示板にアトリの手配書が貼られているのを見かけ、念のため、大丈夫なのかとパノンに確かめてみると、
『ウチのツレに手ぇ出すアホは、この村にはおらへんから気にせんでええよ。それにこの村やと、いくら捧唱の旅を放棄したいうても生死問わずはやりすぎやろって意見がほとんどやし、そもそも放棄したって話自体が嘘やってわかったら、むしろ歓迎される思うで』
とのことで、特段心配する必要はなさそうだった。
しかし、この村は相変わらずのようだな。
パノンも含めて村全体が情に厚いというかなんというか。
まあ、こういう村だと知ってたからこそ、パノンの提案をすんなり受け入れたわけだが。
しばらく歩き、パノンの家に到着する。
塀に囲まれた、村で最も大きな漆喰製の建物――そこがパノンの、いや、パノンを含めた孤児たちの家だった。
俺と似たような年齢で、なおかつ女でありながらパノンが傭兵をやっているのも、全ては生まれ育った孤児院を資金的に援助するためだった。
パノン以外の孤児は子供も子供で、もうとっくに眠りについているらしく、パノンは慎重な手つきで入口の扉を開き、
「■■■■~」
『ただいま』とでも言っているのだろうか、遠慮がちに口を動かしながら、そろりそろりと中に入っていく。
すると奥から、孤児院の院長を務めるクダラおばさんが、柔和な笑みを浮かべながらこちらにやってくる。
「■■■■■■■、■■■」
おそらく『おかえりなさい』と言っているのだろう、クダラおばさんは笑みを深めながらパノンに向かって口を動かした。
それからパノンはクダラおばさんと少しだけ話した後、俺の方に向き直り、
『おばちゃんが「また来てくれて嬉しいわ。ゆっくりしてってや」って言ってたで』
と教えてくれたので、革袋から筆談セットを取り出して『世話になります』と伝えた。
続けて、クダラおばさんはアトリに話しかけ、アトリが恐縮そうに頭を下げる。
パノンも会話に加わっているところを見るに、アトリが唱巫女であること、目が見えないことを説明しているのかもしれない。
話が終わると、パノンは満面の笑みを浮かべながら、こんなことをお願いしてくる。
『ウチとアトリちゃんは一緒にお風呂に入ることにしたから、ちょっと井戸まで行って水汲んできてくれへん』
この孤児院の風呂に必要な水の量を考えると『ちょっと』では済まない気がするが、アトリも風呂に入るとなれば是非もなく、なんだかんだで手伝おうとしていたアトリとクダラおばさんを制して、俺は一人、水を汲みに井戸に向かった。