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第27話-3 大地に捧げし唱【ルード】

 アトリが魔唱を唱い切った瞬間、彼女の両手から放たれた光の奔流がピュトンを飲み込んだ。

 光の奔流は、極大の一語に尽きるほどに凄絶だった。

 もし遠方からキュレネ山を眺めていた人間がいたとしたら、光の奔流が一本の線となって、空を真っ二つに切り裂く様を目のあたりにしたことだろう。


 ほどなくして光の奔流は収束し、消失する。

 光の奔流に飲まれたピュトンの体は、そこかしこに転がる肉片を残し、文字どおりの意味で消し飛んでいた。


 ……凄まじいな。

 この魔唱の前では、堅牢さで知られるマイア城すら一発で消し飛びかねないぞ。

 確実に葬るためにピュトンの頭を狙ったが、そんなことをする必要すら感じられないほどの威力だ。

 まあ、ピュトンの頭を狙っていなかったら、帰り道まで消し飛ばしていた可能性があったから、結果的には間違いではなかったが。


 ――ッ!?


 突然アトリが腰が抜けたように座り込みそうになったので、慌てて抱き支える。

 まさか、それほどまでに消耗する魔唱だったのか!?――と思ったが……よかった。

 単に緊張の糸が切れて、力が抜けてしまっただけのようだ。

 あまり驚かさないでくれ。

 

 アトリは二、三度深呼吸をした後、俺から離れ、一人で、覚束ない足取りで歩き始める。

 慌ててアトリの手を握り、一緒に歩こうとするも、彼女はゆっくりと首を横に振って『一人で行く』を伝えてくる。


 ……そうか。

 ここから先は、唱巫女一人でなければないけないということか。

 だったら、俺のやるべきことは一つだな。


 俺は『了解した』を伝えるためにアトリの掌に『○』を書いた後、彼女の手を、両手で包み込むように握って『がんばれ』と念じる。

 俺の『がんばれ』が届いたのか、アトリが笑って首肯してくれて……それだけで嬉しくなった俺は、頬が緩むのを自覚しながらも彼女の傍から離れた。

 

 アトリは再び歩き出――あッ……ぶないところだったが、どうにか踏み止まってくれたか。

 歩き出してすぐに転びそうになるとか、本当に勘弁してくれ。

 下手すると、ピュトンと相対していた時よりも心臓に悪いぞ。

 ゆっくりとフラフラと歩くアトリを、おっかなびっくり見守っていると、ほどなくして彼女は立ち止まり、俺の方に振り返る。

 そして、そっと胸に手を当てて……唱い出した。


 ――〝大地に捧げし唱〟、か。


 文献によると、大地の神オルビス自ら創造した唯一無二の魔唱で、名前はなく、便宜上〝大地に捧げし唱〟と呼ばれている……だったか。

 だとしたら……これは、その力なのか?

 それとも、アトリの力なのか?

 俺には〝大地に捧げし唱〟は聞こえない。

 アトリの唱は聞こえない。

 なのに……アトリが唱えば唱うほど、心が温もりで満ちていく。

 全く聞こえないのに、唱の内容がわからないのに、アトリの唱を感じることができる。


 不意に、一筋だけ、涙が頬を伝っていく。

 いったいどうして涙が零れたのか、俺には全くわからなかった。

 わからなかったけど、零れた涙もまた、どことなく温かくて……悲しいとか、つらいとか、そんな感情から零れた涙でないことだけは、理屈抜きで理解することができた。

 ああ……でも……くそッ……こんな風に思ったのは生まれて初めてだぞ。


 ――まさか、耳が聞こえないことを『悔しい』と思う日がくるなんてな……!


 耳が聞こえないことを、つらいと思ったことはあった。


 なんで俺だけ耳が聞こえないんだと嘆いたこともあった。


 不公平だとオルビスを呪ったこともあった。


 しかし、それらの感情には諦めにも似た感情も付随していて、心のどこかで『仕方がない』と割り切っているところがあった。


 だが、今は、どうしても割り切ることができなかった。

 アトリの唱が聞こえないことが、悔しくて悔しくてたまらなかった。

 アトリと出会ってから数多くの〝初めて〟を経験したが、これは極めつけだった。


 ――聞きたい……いや、()()()()……! アトリの唱を聴きたい……!


 だが、俺はその想いを、強引に、無理矢理に、ねじ伏せた。

 アトリの唱を聴きたいと思った次は、アトリの声を聴きたいと思ってしまう。

 アトリの声を聴きたいと思った次は、アトリと思う存分に話したいと思ってしまう。

 堰を切ったように、次から次へと欲が出てくる。

 それがわかっていたからこそ、俺はその想いを堰き止めた。

 これ以上望んでも、つらくなるだけだということを知っていたから。

 いくら恋い焦がれても、俺の耳ではアトリの唱を聴くことができないことを知っていたから。

 

 やがて、唱が終わり、俺の心を満たしていた温もりが、潮を引くように消えていく。

〝大地の声〟が礼を言っているのか、それとも賛辞を送っているのか、アトリはやりきった表情をしながらも、どこか照れくさそうに笑っていた。


 それにしても〝大地に捧げし唱〟を奉じたからといって、大地に何かしらの変化があるわけじゃないんだな。

 文献でも娯楽小説でも記述がなかったから想定内といえば想定内だが、せめてマイア国内だけでも、大地に明確な変化が起きてくれたらと思わずにはいられない。


 国王の目に入るほどの変化があれば、唱巫女アトリが〝大地に捧げし唱〟を奉じたことを、ちゃんと捧唱の旅を続けていることを伝えることができるからな。

 それでアトリの手配書が撤回されればと思っていたが、所詮は淡い期待だったか。


 アトリが俺のもとへ戻ろうとしていたので、慌てて傍に駆け寄る。

 手を握ると、アトリは安心したように握り返してくれた。

 アトリは、空いた手で北の方角を指し示す。

 確認するまでもない。

〝大地の声〟が、次はあそこで〝大地に捧げし唱〟を奉じろと言っているのだ。

 北の方角を指し示しているアトリが、目いっぱい腕を伸ばしているところを見るに、距離はだいぶ離れているようだ。


 ――となると、国境を越えることになるかもしれないな


 世界にはマイアを含め、七つの国が存在する。

 世界の中心と言われているナトゥラの民の集落を基準に、世界を大雑把に分割すると、中央部と西部がマイア、北西部がエーレクトラ、北部がターユゲーテ、北東部がアルキュオネ、南東部がケライノ、南部がアステロペ、南西部がメローペ、そして残された東部が〝海〟になっている。

 現在、俺たちがいるキュレネ山はマイア北西部。

 エーレクトラの国境に程近い位置にいる。

 そこから北側に大きく進むということは、次の目的地はエーレクトラと見てまず間違いないだろう。

 

 アトリが、握り合っていた手をクイクイと引っ張ってくる。

 これは……『次へ行こう』か、『進もう』といったところだな。

 確かめるように、ゆっくりと歩き出すと、アトリが嬉しそうにコクコクと首肯しながら付いてきてくれて、そんな彼女を見ているだけで俺も嬉しくなってくる。

 まだ捧唱の旅は始まったばかり。

 だが、俺とアトリの二人なら必ず成し遂げられる。

 根拠もなくそう確信しながら、俺はアトリの手を引いて歩き出した。

一旦終了。また書き溜まり次第アップする予定です。

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