第26話-2 怒れるピュトン【アトリ】
ルードが『戦いに行く』と『心配いらない』を伝え残し、私のもとを離れてから、かなりの時間が過ぎていた。
たぶん、一時間は経ってると思う。
『ここで待っていてくれて』って感じで、両肩を押さえつけるようにして座らされたからずっと待ってるけど、地震が起きたり、物凄い音が聞こえてきたり……いくらルードでも危ないかもって思って、でも私一人じゃルードに加勢するどころか、ルードが戦っている場所にたどり着くこともできなくて……ただ待っていることしかできないのが、とてもつらい……。
お願いルード、無事でいて……。
「……ん?」
今、足音のような音が……あ、やっぱり足音だ!
こっちに近づいてる!
ルードの足音だよね?
絶対ルードの足音だよね!?
でも……いつもと比べて少し足音が変かも。
まさか、怪我……してたりなんかしないよね?
しばらくして、足音が私の傍までやってくる。
なんとなく感じる気配だけでルードだと確信した私は、それだけでホッとしちゃって、思わず笑みを零してしまう。
遅れて、ルードが安心したように長い長いため息を吐き出して……座った? ……うん、やっぱり座ってる。
さすがにルードも疲れちゃってるみたいで、呼吸もどこか苦しそう……。
それに、この匂いは……血の匂い!?
や、やっぱりルード怪我をしてるの!?
何で言ってくれないの――って、ルードが言えるわけないじゃない!
おおおおお落ち着いてっ!
落ち着いて、深呼吸して、唱わなくちゃ。
だって回復系の魔唱は、一つの傷に対して一度しか癒やしの効果を与えることができない。
だから、失敗しないよう、落ち着いて……唱わなくちゃ。
「《愛を 愛を 傷つき倒れし者に無窮の愛を》」
暖かい光の波動が患部を包み込み、自己治癒力を劇的に促進させることで治癒する魔唱〝ホーリーヒール〟。
光の波動を目にしたことはないけど、転んで怪我をした時とか、なにかとお世話になることが多い魔唱だから、光の波動の暖かさと、癒やしの力の凄さは知っている。
ルードの方から、感心と安心が入り混じったような吐息が聞こえてきたから、やっぱりルードは怪我をしていて、今の〝ホーリーヒール〟で治った……と思っていいのかな?
怪我自体、私の早とちりって可能性もあるから、ちょっと自信ない……。
あ、ルードが私の手を取った。
それから手のひらに……二重丸?
とにかく『◎』って書いてきた。
これって、もしかして『ありがとう』なのかな?
でも、この解釈の仕方は、私がルードの役に立てたって思い込みたいだけなのかもしれないし…………そうだ!
ローブの下に着ている、ドレスの右ポケットから『ありがとう』と書かれた紙を取り出し、ルードに向かって拡げ、指でさし示しながら首を傾げてみる。
『ありがとう』の紙と、首を傾げる動作を組み合わせることで、ルードに『ありがとうだよね?』と訊ねてみる。
するとルードは、紙を持っていない手を掴み、手のひらに『○』と書いて答えてくれた。
やたっ! やっぱり合ってた!
『ありがとう』の紙を仕舞うと、ルードが手を握ってきて、立ち上がるよう催促してくる。
すぐに立ち上がると、ルードは大地が唱を求める方角に向かってゆっくりと歩き出し、私もそれに続いた。
キュレネ山に着いてからというもの、意識を集中させるまでもなく〝大地の声〟を感じ取ることができた。
『早くこの場所に来てくれ』という大地の焦りが、『この場所で唱ってくれ』という大地の願いが、『死なせたくない』という大地の叫びが、心の奥の奥に響いてくる。
大地は恐れていた。
自分が枯れたことで生きとし生けるものが飢えて死んでしまうことを、心の底から恐れていた。
途方もなく雄大な体を持っているのに、自分のせいで命が消えることを恐れる大地のことが……それこそ恐れ多い話だけど……ちょっとだけ私と似てるって思った。
だって私も、自分のせいで誰かが死ぬことが、すごくこわいから……。
ここに来るまでの間に、いったいどれだけの人が死んだのか、目が見えない私にはわからない。
……ううん、たとえ目が見えたとしても、見ないようにしてわからないことにしてたと思う。
捧唱の旅がそういう旅になるってことはわかってたし、覚悟も決めていたつもりだけど……やっぱり私は、人の死を受け入れられるほど強くはないみたい……。
私なんかを護ったせいで、護衛団の方たちが何人も……殺された。
護衛団の方たちを殺した、〝裏〟の人たちから私を護るために、ルードは、たぶん、きっと、その人たちを殺した……と、思う。
その人たちを殺したからといって、ルードのことをこわいなんて思ったりなんか絶対しないけど……護衛団の方たちの仇をとってくれてよかったとか、旅を邪魔する人がいなくなってよかったとか、そういう気持ちには全然なれなくて……。
護衛団の方たちを殺したり、ルードを殺そうとしたり、私を攫おうとしたりした悪い人たちなのに……死んでしまったことが、少しだけ、本当に少しだけ、可哀想だと思ってしまう。
駄目だってわかっていても、どうしてもそう思ってしまう。
だから、こわい。
唱巫女のせいで誰かが死ぬことが、すごくこわい。
こわいけど……唱巫女のせいで死んだ人たちから目を逸らしたくないから……私は、その人たちのためにも唱おうと思う。
大地のためだけじゃなくて、今を生きる人々のためだけじゃなくて、私を護衛したせいで死んだ人たちのためにも、私を狙ったせいで死んだ人たちのためにも、〝大地に捧げし唱〟を唱おうと思う。
たぶんそれが、私が死んだ人たちにしてあげられる唯一のことだから……。
「!?」
突然、地面が揺れ始め、立っていられなくなりそうになったところをルードに支えられる。私を支えるルードの手は、緊張で強張っていた。
ルードが緊張するなんて、まさか……ピュトン!?
この地震も、ルードが戦いに行っていた時に起きていた地震も、ピュトンの仕業だったていうの!?
宿主さんからピュトンが超大型の魔獣だってことは聞いてたけど、山を揺らしちゃうくらい大きいの!?
あっ! ルードが私を抱きかかえて走り出した!
「ひゃっ!?」
ち、近くで爆発するような音が聞こえた!?
爆発したのって、私たちがさっきまで立ってた場所だよね!?
しかも、これは…………いる!
目が見えなくてもわかるくらい、物凄く大きな〝なにか〟が、爆発が起きた場所にいる!
絶対に間違いない……この〝なにか〟がピュトンだっ!!
この場から離れるために、ルードが私を抱きかかえながら走る中、ピュトンがズルズルと地面から這い出てくる音が聞こえてくる。
たぶん、この音が終わったら、ピュトンは私たちを襲うつもりなんだと思う。
でなきゃ、ルードがこんなにも必死になって逃げるはずがない……!
やがて、ルードの足が止まる。
ルードが止まった場所は、まさしく大地が唱を求めている場所だった。
すぐに私を下ろそうとしないということは……ピュトンが来る前に〝大地に捧げし唱〟を唱うという算段じゃないみたい。
ということは……もしかして、もう逃げ道がないの!?
私を抱きかかえたまま、ルードは長く長く深呼吸する。
それからようやく私を下ろして、剣を抜く音が聞こえてきて……ルードは、ピュトンと戦うつもりだ……!
そんなことは……そんなことはさせない!
ピュトンがあんなに大きいとは思わなくて、物凄くこわくて、少し体が震えてるけど! ルードがピュトンと戦う方が、ずっとず~~~~~~っとこわい!
だから……だから!
こんな形では使いたくなかったけど!
でも! こんな形だからこそ!
私は左ポケットに入れていた〝言葉〟を!
ルードに頼り切りだった私の、ワガママと願望が詰まった〝言葉〟をルードに届けるんだ!