第25話-1 激闘【ルード】
カルナンの部下どもを片づけた後、血払いをしてからブレードを鞘に収める。
……妙だな。
部下どもが全滅したのに、一向にカルナンが仕掛けてくる気配を感じない。
この洞穴の中にいないのは間違いないが、だからといって俺を無視してアトリを狙いにいった様子もない。
カルナンはいったい何を考えて――
――ッ!?
洞穴内が――いや、山全体が揺れている!?
しかも、真下から迫ってくるこの巨大な気配……まさか〝奴〟か!?
気配の迫り方から〝奴〟が俺を狙っていると確信すると、アトリが隠れている側とは反対側の出入り口に向かって全速力で走り出す。
こんな化物をアトリのところに連れて行くわけにはいかない!
やはりというべきか〝奴〟は地中を掘り進んでいるらしく、それによって生じた振動で洞穴の天井が崩落し始める。
頭上から落ちてくる岩石をかわしながらも速度を落とすことなく走り続け、生き埋めになる前に洞穴から脱出する。
数秒後、洞穴の出入り口が爆発でも起きたかのように吹き飛び、〝奴〟――ピュトンが姿を現した。
もたげられた頭は洞窟の直径に比するほどに大きく、地中から延々と這い出てくる肉体は大地の神さえも絞め殺せそうなほどに長大だった。
皮膚は岩のように硬いという話らしいが、実物は『ように』どころの騒ぎではなく、岩そのものとしか思えない硬質感を誇っていた。
「■■、■■■」
ピュトンの頭の上に引っ付いていた半球状の岩壁――おそらく魔唱によって生み出したものだろう――が崩れ去り、中から蓬髪の男が不愉快極まりない笑みを浮かべながら姿を現す。
外套の下で見え隠れしている右腕の手甲……やはり、カルナンの得物は手甲剣だったか。
そして、聖痕によく似た、不可思議な紋様が刻まれた左腕……なるほどな。カルナンがピュトンを従えるようにして出てきたのは、そういうことか。
カルナンの左腕に刻まれた紋様は、呪信紋。
唱力に優れた人間の心臓を染料にして紋様を刻む、〝裏〟でもほとんど出回っていない外法中の外法だ。
呪信紋は、魔唱の威力を増幅させるだけでなく、耳の聞こえない人間には通用しない魔唱でも、呪信紋を刻んだ部位を接触させることで無理矢理通すことができる。
実際に接触したかどうかはさておき、護衛団を操り、殺し合わせた件の魔唱をピュトンほどの超大物に通せたのも呪信紋の力によるところが大きいだろう。
しかし、魔獣すらも操るとは……まさしく魔性の業だな。
カルナンに視線を固定したまま、ブレードの柄を握り、ゆっくりと鞘から引き抜く。
応じるように、カルナンは右腕を横に振るって手甲剣の刃を露わにする。
ピュトンという玩具を手に入れたことがそんなに嬉しいのか、カルナンの口の端は吊り上がる一方だった。
「■■、■■■■■■■!」
カルナンが何かを叫ぶと同時に、ピュトンが大口を開けて襲いかかってくる。
巨大なランスを思わせる大きな牙が届く寸前に、横に飛んで事なきを得るも、
――カルナンが消えた……!
ゾワリと背筋が泡立ち、最大級の警鐘を鳴らす勘に任せて身を沈めた刹那、いつの間にか背後に回り込んでいたカルナンが、半瞬前まで俺の首があった空間を豪快に切り裂いた。
低姿勢をそのままに、振り向きざまに足払いを放つも、カルナンは大袈裟なまでに高く跳躍してそれを回避。
その隙に俺は投げナイフを――
――ちぃ……!
カルナンの跳躍に合わせるようなタイミングで、奴の後方から、長大極まりないピュトンの胴体が地面を蹂躙しながら迫ってくる。
二百メートルもあれば尻尾で薙ぎ払うよりも、胴体で薙ぎ払った方が早いというわけか……!
やむなく高々と跳躍して薙ぎ払いをかわすも、
「《■■■■■■》」
予想どおり、すでにピュトンの胴体に着地していたカルナンが、逃げ場のない空中にいる俺に向かって風の刃を放ってくる。
腰から両断される俺の姿を幻視したのか、カルナンが勝ち誇った笑みを浮かべているが……甘いな。
風の刃が俺の腹部に届く直前にブレードを振り下ろし、それによって生じた遠心力を利用して宙返りを打つことで、すれ違うようにして風の刃を回避する。
それを見て瞠目するカルナンに、お返し代わりの投げナイフを投擲。
勝利を確信したせいで反応が遅れたのか、カルナンは投げナイフを完全にはかわしきれず、切っ先が頬を浅く切り裂いていく。
「■■■■、■■■■■■」
頬から垂れる血を舌で舐めとり、表情に喜悦を滲ませる。
ピュトンという圧倒的な戦力を従えているからか、自身の勝利を微塵も疑っていない表情をしていた。
実際、ピュトンの存在は脅威の一言に尽きる。
サイズ的にブレードで殺せるような相手ではない。
娯楽小説で見た、口から体内に入って中をズタズタにして倒すという手もあるにはあるが……必要に迫られない限りはやらない方が無難だろう。
だから、
――ピュトンは捨て置く。
地面代わりに踏みしめていた、ピュトンの胴体が跳ねるのに合わせて足元を蹴り、その勢いを利用してカルナンとの距離を刹那に潰す。
ピュトンの胴体を跳ねさせたのは、もう一度俺を空中に吹き飛ばすためだったのだろうが、
――生憎だったな、カルナン!
間合いに入るや否や放った斬撃を、カルナンは手甲剣で受け止める。
転瞬、俺は腰に差していた投げナイフを逆手で掴み取り、奴の喉を切り裂きにかかった。
「■■■!」
カルナンは仰け反ってナイフをかわしながらも横薙ぎの一閃を放ち、俺はそれを身を沈めてかわす。
筋骨隆々というわけでもないのに、カルナンの膂力は尋常ではない。
体勢を崩したからといって安易にブレードで防御したら、吹き飛ばされる恐れがある。
ピュトンの巨体を生かしづらい接近戦を維持するためにも、奴の攻撃は極力回避した方がいい。
もっとも、もうこれ以上反撃の隙を与えてやるつもりはないがな……!
ここぞとばかりにブレードとナイフを踊り狂わせ、圧倒的な手数でカルナンを攻め立てる。
相手もさすがというべきか、防御に徹することで吹き荒ぶ刃風を凌ぎ続けるも、俺の刃は少しずつ、確実に、奴の身を削いでいく。
――このままいかせてもらう!
と、思った直後のことだった。
突然、足場となっているピュトンの胴体が跳ねて、俺とカルナンは揃って空中に吹き飛ばされてしまう。
まさか、カルナンごととはな。先程とは違って完全に虚を突かれたせいで、モロに吹き飛ばされてしまった。
だが、焦る必要はない。
同じように空中に吹き飛ばされたカルナンとの距離は、互いの刃は届かないものの、ピュトンが追撃をかけるには近すぎる間合いだ。
自分が巻き込まれるようなヘマを、カルナンがするはずがない。
つまり、条件は五分。
魔唱を使おうとしたカルナンが口を開くよりも早くに、俺は持っていたナイフを投擲し、手甲剣で防がせることで唱を中断させる。
その隙にブレードを鞘に収め、両手の指の間に挟むようにして腰のベルトからナイフを六本掴み取り、その全てをカルナン目がけて一気に投擲した。
そのうち四本は手甲剣で防がれ、身をよじられてかわされてしまうも、残り二本は奴の右肩と左脇腹に突き刺さる。が、それで怯んでくれるような相手ではなく、揃ってピュトンの胴体に着地した瞬間、カルナンは突き刺さっていたナイフを二本とも引き抜き、間合いを詰めようとしていた俺の出鼻を挫くように投擲した。
「《■■ ■■ ■■■■■■■■■■■■■》」
俺がナイフをかわしている間に、カルナンは大きく飛び下がりながら魔唱を唱い、奴の右肩と左脇腹が白光に包まれる。
ちっ、回復系の魔唱を使われたか。
すぐさま疾駆して間合いを詰めようとするも、カルナンが立っている胴体がうねるように隆起し、奴を五メートルほどの高さまで持ち上げる。
俺は足を止めることなく凸型に隆起した胴体に突っ込み、限りなく直角に近い傾斜を駆け上がっていく。
隆起の頂上にたどり着いた瞬間、カルナンは後方に飛んで頂上から降り、落下しながら魔唱を唱って風の刃を放ってくる。
風の刃をかわした直後、ピュトンの胴体がさらに隆起し、頂上の高さを二十メートル近くまで一気に押し上げた。
逃げ場のない高所に招待されたか……となると次の手はやはり、ピュトン!
攻城弓が可愛く見えるほどに巨大な、尻尾による刺突が横合いから飛んでくる。
安直に飛び降りるのは危険だと判断した俺は、凸型に隆起した胴体を駆け下りて、尻尾による刺突をかわした。
そのまま一気に駆け下り、地面に近い高さまで来たところで胴体を蹴って、カルナンに突貫。
勢いをそのままに刺突を放ち、カルナンは手甲でそれを受け止める。
一歩も後ずさらなかったのはさすがだが、真っ向から受け止め切れるほど突貫の刺突は安くない。
手甲を貫いた切っ先は、しっかりと奴の腕に届いていた。
貫通には至らなかったが、滴り落ちる血の量が傷の深さを物語っている。
――とどめをくれてやる!
体が重力に囚われる前にブレードを引き抜き、その勢いを利用しながら空中で旋転し、脳天目がけて遠心力を乗せた一閃を振るう。
ほぼ同時に、
「■■■■■■!」
カルナンが何か叫びながら切り上げを放ってくる。
いくら膂力に優れているといっても、遠心力を乗せた一閃なら――くぅッ!?
一方的に吹き飛ばされただと!?
負傷した腕で、まだこれほどの力が出せるとは……!
続けて、ピュトンが大口を開けながら迫ってくる。
空中に投げ出された途端にこれか……!
だが、大口を開けてくれているのは助かる。
ピュトンの牙が眼前まで迫った刹那、残り二本となった投げナイフの片割れを奴の口に放り込む。
喉の奥にナイフが突き刺さったことでピュトンの動きが一瞬だけ止まり、その隙に眼前まで迫っていた牙を蹴って後方に飛び、胴体の上に着地する。
危機は脱した。が、その間に、カルナンは姿を眩ませていた。
今頃、回復系の魔唱を使って刺突の傷を癒やしていることだろう。
カルナンの気配を探ろうとするも、その邪魔をするように、ピュトンが俺を遠巻きにしながらゆっくりと動き始める。
当然、踏みしめている胴体も動き出したため足場が不安定になり、俺を閉じ込める檻を築くようにして縦横無尽に動いているため視界が制限されてしまう。
地面に下りてピュトンから離れることも考えたが、体に纏わり付いているからこそ奴の攻撃を制限できている事実は無視できない。
ここは我慢するしかない。
それにしても……マイア屈指の殺し屋という触れ込みは伊達ではないな。
全力で気配を探っているのに、その尻尾すら掴めないとは。
……まあ、いい。
気配が掴めないのなら、聴覚以外の全神経を集中させて、カルナンとピュトンが仕掛けてきたところを迎え撃つまでだ。
十秒……二十秒……三十秒…………
やがて一分の時が過ぎた頃、背筋に悪寒が走り、弾かれたように頭上を見やる。
視界には、ギロチンさながらに降り落ちてくる風の刃が、その後ろには、ピュトンの頭の上から飛び降りてくるカルナンの姿が映っていた。
同時に、踏みしめていたピュトンの胴体から、獲物を前に息をひそめる捕食者じみた殺気がかすかに溢れてくる。
極限まで高めた集中力が、思考を加速させる。
風の刃とカルナンは囮。
時間差攻撃を嫌った俺が大袈裟にかわしたところを、ピュトンで仕留めるというのが奴の算段。
ならば。
――この場で凌ぎきるまでだ……!
半身を引き、紙一重で風の刃をかわした後、時間差で放たれたカルナンの刺突をブレードの腹で受け止める。と同時に、ブレードを斜めに寝かせることで刺突の威力を余すことなく受け流した。
その結果、手甲剣は足場となっているピュトンの胴体に突き刺さり、カルナンは着地の衝撃で膝をついてしまう。
度し難い隙を晒すカルナンが、悪あがきをするように何かの魔唱を唱い始めるも、
――もう遅い!
奴の素っ首目がけて、ブレードを振り下ろ――
――なッ!?
ブレードを振り切る前に左腕を割り込ませて、斬撃を受け止めただと!?
斬撃の勢いが乗る前とはいえ、ブレードが前腕の中程で止まってやがる!
どういう筋肉して――……!?
なんだ……?
この強烈な眠気は……まさか、カルナンは魔唱を唱い切ったのか!?
だが、この手の魔唱は耳が聞こえない俺には効かないはず。
それこそ、呪信紋を刻んで左手で直接触れられない……限りは……。
――ちぃ……ッ!
いよいよ瞼が落ちそうになり、舌の先を噛み切って意識を繋ぎ止めようとするも、半端な痛み……では……意識が……保て……ない……。
このままでは……まずい……耐えろ……耐えろ……!