第21話 密会
夜の帳が下りた頃、月明かりすら届かないカリストの路地裏を、フード付きのローブに身を包んだ女が一人歩いていく。
背丈に自信のない男の尊厳を踏みにじる長身に、フードの下から垣間見える銀色の髪と白い肌。
顔や体型が隠れているにもかかわらず、見る者に女だと確信させる妖しい色香。
どれほど治安のいい町であったとしても、夜の路地裏を一人で歩くのは不向きだと断じていい人種だった。
そして、予想どおりの火の粉が、女に降りかかろうとしていた。
女の進行方向から男が二人、近づいてくる。
まだ夜になったばかりだというのに吐く息は酒臭く、まともな職についているかどうかも怪しい風体をしていた。
二人は女を見とがめると、揃って下卑た笑みを浮かべ、横に並んで道を塞ぎながら女に迫ってくる。
普通の女ならば男たちの様子を見た瞬間に引き返すところだが、どうにもこの女は普通とは程遠いらしく、微塵も歩調を緩めることなく男たちに近づいていく。
あと数歩で男たちにぶつかるところまで接近したその時、女の朱唇が開いた。
「《どきなさい》」
刺々しくも美しい声音で命じた瞬間、男たちの表情が虚ろになり、通路の隅に貼り付くようにして拡がって道を開ける。
女が悠然とその間を通り抜けると、男たちはノロノロと、女の進行方向とは反対方向に歩き去っていった。
そこからもう少し歩き、十字路に差し掛かったところで女は足を止める。
直後、ゆったりとした拍手が路地裏に響き渡り、十字路の角から、砂塵よけの外套を羽織った男が姿を現した。
長く垂れ下がった蓬髪と落ち窪んだ眼窩が特徴的な、女とはまた違った意味で妖しい雰囲気を醸し出す男だった。
拍手をするために外套の下から伸びた右腕には手甲らしきものが、左腕には包帯が巻かれており、なんとも言えないアンバランスさが男の妖しさを際立たせている。
女が一人で路地裏を歩いていたのは、まさしくこの男と会うためだった。
「私の〝カーネイジ〟も人を操る魔唱デスが、いやはや、まさかたった一フレーズで同じ事ができる魔唱が存在するとは。さすが本場といったところデショウか」
男の言葉に、女は肩をすくめる。
「さっきのは魔唱じゃなくて、魔唱の応用といったところね。〝カーネイジ〟ほどの強制力はないから、あの二人みたいな俗物を操るのが精々よ」
「とはいえ、こちらとしては大変興味深い話デスね」
「興味深いのは私も同じよ。あなたの左腕、随分面白いことになってるじゃない」
男の落ち窪んだ目が、わずかに見開かれる。
「やはり、さすがデスね。一目見ただけで看破してしまうとは。その辺りも含めて、一つご教授願いたいところデスねぇ」
「あら、マイア屈指の殺し屋カルナン・バルカンに教えを請われるなんて、なかなかある話じゃないわね。いいわ。私の依頼を成功させたら、追加報酬として教えてあげるわ。ナトゥラの民でもごく一部しか知らない、魔唱の真髄をね」
「これはこれは、ますます仕事に精が出マスねぇ」
「出してもらわないと困るわ。前回のように取り逃がされたら、たまったものじゃないもの。まあ、護衛団は本命に比べたら雑魚の集まりだなんて余計な先入観を与えちゃった、私にも落ち度があるけど。まさか、耳の聞こえない子供が護り屋業界で五本の指に入るだなんて思いもよらなかったわ。たしか、名前は――」
「ルード、デスよ」
そう言って、カルナンは凄絶な笑みを浮かべる。
女の背筋に悪寒を伝わせると同時に、女の胸が期待に膨らむ、そんな笑みだった。
「どうせなら、そのルードも一緒に指名手配したいところだけど、あまりやり過ぎると大臣連中に睨まれちゃうかもしれないし、それに……プククッ、どれだけ凄い護り屋でも、耳が聞こえないんだったらアトリと相性最悪だから、そこまでする必要もないわね」
「その指名手配デスが、やはり生死問わずにしたのは失敗だったのでは? あなたが私個人にした依頼は、唱巫女アトリを拉致し、我ら〈大地屠る牙〉の拠点で徹底的に辱めを受けさせた後に殺す――というものデシタよね? 場合によっては、賞金目当ての人間にあっさりと殺されてしまうかもしれマセンよ?」
「それは仕方ないわ。あのまま手を打たなかったら、保護目的で手配書がバラまかれるのが目に見えていたもの。それなら生死問わずにした方が、アトリをより絶望の底に叩き落とせるというものでしょ?」
「なるほど……やはりアナタは面白いデスね。クヒ、クヒヒ」
楽しげに笑うカルナンにつられるように、女は妖艶な笑みを浮かべる。
「面白いという意味では、あなたも相当なものよ。〈大地屠る牙〉に属してるくせに、唱巫女を殺す依頼を受けてるんだもの。ところで、私がカリストに到着する前に、アトリと思しき女がルードと一緒に発見されたって話は本当なの?」
「カリストに潜伏している、信頼できる〝裏〟の情報屋から聞いた話デスから間違いありマセンよ。デスから、カリスト周辺にある村々を虱潰しに――」
「そんな間怠っこしいこと、する必要ないわ」
カルナンの言葉を遮り、女はますます妖艶に、邪悪に笑う。
「アトリの行き先は、キュレネ山かステュムパロス荒原のどちらかよ。過去に成し遂げられた捧唱の旅の記録から鑑みて、この辺りで大地が唱を求めそうな場所はその二カ所しかないわ。もし間違っていたら、依頼に失敗しても報酬を全額払ってあげるから当たってみなさい」
「それだけ自信があるということデスか。ならばその情報、ありがたく活用させてもらうとしマショウ」
「吉報、期待してるわよ」
「お任せくだサイ」
胸に手を当て恭しく一礼した後、カルナンは闇に溶け込むように、女の前から姿を消した。
女は、カルナンがいなくなった空間を満足げに見つめた後、語りかけるように独りごちるように、呪詛の言葉を撒き散らし始める。
「ねえ、アトリ。あなたにはね、苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんでから死んでほしいの。だってそうでしょう? 本来唱巫女になるべきこの私を差し置いて、あなたみたいなゴミクズが選ばれるだなんておかしいもの。だから――」
女は頤を上げ、建物によって切り取られた細長い夜空に向かって、さらなる呪詛を撒き散らす。
「この私、ラライア・カーロインから唱巫女の座を奪った卑しい盗っ人は、苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんでから死んでちょうだい! それがあなた責務よ! アトリッ!!」