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第20話  大地が唱を求める場所【ルード】

 アトリがきつく抱き返してくれたことが嬉しかった。

 耳が聞こえなくても、目が見えなくても、お互いの想いが通じ合ったことがたまらなく嬉しかった。

 だが、嬉しがってばかりもいられない。

 なぜなら俺たちは、()()()()()捧唱の旅を成し遂げるという、ある意味最も過酷な道を選んだのだから。


 文献や娯楽小説で見た限り、唱巫女と護衛の二人だけで捧唱の旅を成し遂げたという事例は一つとして存在しない。

 捧唱の旅を成し遂げた唱巫女は、最低でも五人以上の護衛をつけていた。

 おまけに今までの捧唱の旅とは違って、俺とアトリは世界の支援を受けることができない。

 それどころか、マイア国外にまでアトリの手配書が出回った場合は、世界中を敵に回すことになる。

 史上最も厳しい捧唱の旅と言っても過言ではない状況だ。

 耳が聞こえない俺と目が見えないアトリの二人だけで、捧唱の旅を成し遂げることができるのか……さすがの俺も不安がないと()()()嘘になる。

 だが、


 ――やるしかない……!


 アトリの生きる道は、捧唱の旅を成し遂げること。それのみだ。

 仮に全てを投げ出して、ひっそりと生を永らえたとしても優しい彼女のことだ。世界が緩慢に死にゆくことを、なんとも思わないはずがない。良心の呵責に押し潰されるのが目に見えている。

 だから、どれほど過酷だろうが、世界中が敵に回ろうが関係ない。

 アトリのために捧唱の旅を成し遂げるしかない!


 その決意を胸に抱いたところで、俺はアトリから体を離す。

 正直、もう少し抱き合っていたいところだったが、宿主とミーシャが見ているせいか、アトリが恥ずかしさに殺されかねないほどに顔を真っ赤にしていたので、ほどほどで離れることにした。

 やるべきことが決まったところで、やらなければならないことを木の板に書こうとしたら、こちらの考えを読んでいたのか、宿主は、文字を書こうとしていた俺の手を止め、全員まとめて自分の部屋に案内する。


 宿主の部屋は、左側の壁を埋めるように屹立する本棚と、右側の壁の隅にある大きな鳥籠が目を引く、俺とアトリが泊まっていた二人部屋に匹敵するほどに大きい部屋だった。

 机にテーブル、クローゼットなどもあるにはあるが、本棚と鳥籠のインパクトが強すぎて、いまいち存在感が薄い。

 本棚に――というか、そこに仕舞われた大量の本には惹かれるものがあるが、まあ、今は我慢するしかないな。

 そもそも情報屋としての資料がほとんどだろうから、読ませてもらえるとは限らないしな。

 鳥籠の方は、おそらく、情報伝達手段として使う鳥を飼うために用意したものだろう。


 宿主は窓際に置いてあった机を部屋の中央に移動させると、本棚から一枚の紙を取り出し、机の上に拡げる。

 紙には、俺が持っているものよりもはるかに詳細なマイアの地図が描かれていた。

 それを見て、宿主が俺の考えを読んでいたことを、いよいよ確信する。


 捧唱の旅は、唱巫女だけが耳を傾けることができる〝大地の声〟に従って大地が唱を求める場所へ赴き、〝大地に捧げし唱〟を奉じることで大地の活力を取り戻す旅。

 その上で重要になってくるのが、大地が唱を求める場所の特定だ。

 文献によると、捧唱の旅に出た唱巫女が最初に〝大地に捧げし唱〟を奉じる場所は、マイアで最も枯れた大地だと記されている。

 当然の如くそれを知っていた宿主は俺の考えを読み、詳細な地図を使って、大地が唱を求める場所を特定する手伝いを買って出てくれたのだ。

 こればかりは通訳なしでできることじゃないから本当に助かる。


 宿主は机の上に置いてある、先端部分以外を紐で巻いた細長い黒鉛で、紙に文字を書き記し、


『これから〝大地の声〟が聞こえる方角を特定する』


 と、俺に伝えた後、しばしの間アトリと話し合う。

 傍で話を聞いていたミーシャが欠伸を漏らし始めた頃、アトリは大森林地帯とは反対側の方角を指し示し、宿主は黒鉛と物差しを使って、地図に薄く線を引いていく。

 線はアルカスを始点に、アトリが指し示した方角――北西に向かって真っ直ぐに伸びていた。

 マイア北西部に隣接している国――エーレクトラとの国境まで線を延ばした後、宿主が俺にこう伝えてくる。


『この線が〝大地の声〟が聞こえてくる方角だ』


 だろうな――と、思いながら線上の地形を確かめていると、その途上にある大きな山の存在が気になり、名前を確かめてみる。


 ……キュレネ山か。

 たしか、魔獣退治専門の傭兵――掃除屋を何十人も返り討ちにした〝ピュトン〟とかいう魔獣が棲んでいる山だな。

 聞いた話によると、岩のように硬い皮膚と、全長二百メートルに及ぶ長大な肉体を持つ大蛇の魔獣らしい。

 ウェアウルフとは比ぶべくもない、超がつくほどの大物だ。

 正直、進んで相手したいとは思わないが、どうにも、この山が()()()のような気がしてならない。

 などと考えていると、店主がこう訊ねてくる。


『俺は、大地が唱を求める場所はキュレネ山だと睨んでいるが、お前はどう思う?』


 どうやら、宿主も同じ考えのようだ。


『同感だ』

 

 と伝えた後、俺はさらなる言葉を木の板にしたためていく。

 偶然ではあるが、俺とアトリが大森林地帯からアルカスまでに辿った道筋は、〝大地の声〟が聞こえる方角と合致していた。ならば、


『ここ――アルカスにいる時と大森林地帯にいる時とで〝大地の声〟に何かしら違いがなかったか、アトリに訊いてみてくれ』


 それを見た宿主が、すぐにアトリに訊ね、返事をよこしてくる。


『大森林地帯からアルカスに向かうにつれて大地の訴えが強くなっていったと、唱巫女は言っている』


 ならば、存外楽に大地が唱を求める場所を特定できるかもしれないな。


『アトリに地図を把握させる。俺がアトリに地図を指ささせるから、宿主はその位置に何があるかをアトリに伝えてくれ。地図を把握させた後は、アトリに「直感で構わないから、大地が唱を求めているであろう場所を指し示してくれ」と伝えてくれ』


『わかった。だが、それなら俺が全部やった方がい  』


 読んでいる途中に、ミーシャが宿主の言葉を書いた紙をふんだくり、裏面に別の文字を書いて俺に見せつけてくる。


『おっけー。わかったー。とうちゃがきがきかなくてごめんねー』


 ミーシャがいったい何の話をしているのか、俺にはさっぱりわからなかった。

 まあ、それ以前に、ミーシャが俺と宿主の〝会話〟をわかっているのかどうかも怪しいところが。

『気がきかない』と名指しされた本人はというと、呆れたようにため息をつく素振りを見せるだけで、ミーシャを注意しようとする素振りは見せなかった。

 薄々そうだろうとは思っていたが娘にはかなり甘いな、宿主。


 気を取り直して、アトリに地図を把握させるために彼女の右手首を優しく掴む。

 何の断りもなく手首を掴んだにもかかわらず、アトリはすぐに俺だと気づいて淡く微笑んでくれたことが、少し――いや、かなり嬉しかった。

 アトリが右手の力を抜いたのを確認してから、彼女の右手を指をさす形に変えて、大森林地帯を指し示させる。

 宿主が何か話し、アトリが首肯を返したのを見て、指をささせた位置が大森林地帯であることが伝わったことを確認すると、俺は片手だけでアトリの右手を掴んで固定する。

 続けて空いた手でアトリの左手を掴むと、同じ要領でアルカスを指ささせて位置を把握させた。


 それから俺は目配せをすることで宿主に、『直感で構わないから、大地が唱を求めているであろう場所を指し示してくれ』をアトリに伝えるよう頼み、宿主は一つ頷いてからアトリに話しかける。

 少しして、アトリが首肯をするのを確認すると、俺は掴んでいた手を離した。


 この後やることは、大地が唱を求める場所の特定。

〝大地の声〟はおろか、声という声が聞こえない俺はお呼びではない。

 アトリは、アルカスを指さした左手を固定したまま、ゆっくりと右手を動かして大森林地帯とアルカスの距離を確かめる。

 それから右手をアルカスの向こう側――北西の方角に動かしていき、その途上でピタリと止めると、このあたりだと示すように指先で何度も円を描いた。


 円を描いた場所は、キュレネ山。

 俺と宿主が予想したとおりの場所だった。

 ピュトンの存在を考えると、外れてほしかった予想ではあるが。


 目的地が山に定まった以上、相応の準備をしたいところだが……現在、雑貨屋の店主がカリストにいるのが、あらゆる意味で痛いな。

 この村で旅や登山に必要な物を買える店は、その雑貨屋だけだからな。


 不意に、空からこの部屋に近づいてくる小さな気配を感じ取り、それとなく身構える。

 おそらく宿主が情報伝達に使っている鳥だろうと思っていたら、案の定、空から飛来してきた黒色の鳥が窓の桟にとまった。 

 宿主は、無邪気に窓に駆け寄ろうとするミーシャを制すると、一人、鳥に歩み寄る。


『近づかないように』とか『待っていなさい』とか宿主に言われたのか、ミーシャは唇を尖らせながらスゴスゴとアトリの隣に戻っていった。

 宿主は鳥を鳥籠に招き入れた後、足に装着された円筒から巻文まいぶみを取り出し、目を通すと、すぐさま紙に黒鉛を走らせていく。

 俺に直接巻文を見せないのは、内容が暗号化されているか、情報屋の機密に抵触するかのどちらかだろう。


『カリストに常駐している騎士団が、お前たちの捜索がてら唱巫女の手配書を配布するために大規模な動きを見せている。この情報が届くまでの時間差を考えると、さっさとここを発った方がいいだろう。それから、今のところお前は指名手配されていないが、騎士団内では要注意人物としてマークされている。気をつけることだな』


 と、書かれた紙を俺に渡しながらも、宿主はアトリさんに話しかける。

 おそらく、この紙に書いたことと同じ内容を伝えているのだろう。

 俺はすぐに宿主に返事をする。


『恩に着る。この村で馬を売ってくれそうな人間はいるか?』


『それなら俺の馬を売ってやろうか? 宿が繁盛していないから、多少足元を見させてもらうことになるがな』


『意外に根に持つな。だが、売ってもらえるならありがたい。買い取らせてもらおう』


『即決か。トップクラスの護り屋だけあって羽振りはいいみたいだな』


『路銀に余裕があることは否定しないが、後のことを考えるとできるだけ節約したい。足元を見るにしても常識的な値段でお願いしたいところだな』


『そこまでふっかける気はないから安心しろ』


 話がまとまったところで、すぐにここを発つことをアトリに伝えてくれと宿主に頼み、宿主の話を聞いたアトリがミーシャと別れの抱擁を交わす。

 ミーシャの明るさのおかげか、この手の別れにありがちな湿っぽい雰囲気にはならず、アトリも柔和な笑みを浮かべていた。


 俺もアトリにならって別れの挨拶をすべきかどうか悩んでいると、再び空から近づいてくる小さな気配を感じ取り、窓を見やる。

 ほどなくしてやってきたのは、やはりというべきか、黒色の鳥だった。

 どうやらこの鳥は宿主が飼っている鳥ではないらしく、円筒から巻文を抜き取ると、すぐにどこかへ飛び立っていった。

 巻文の内容が思わしくなかったのか、宿主は深刻な表情で俺にこう警告してくる。


『カリストで、カルナン・バルカンを見た者がいる。奴は〈大地屠る牙〉の実行部隊隊長でもある。間違いなく唱巫女を狙ってくるぞ』

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