第14話 目が覚めたら【アトリ】
どこからか差し込んできた、お日様の暖かさを肌で感じ取り、わずかに瞼を開く。
あぁ……これベッドだぁ……私今ベッドで寝てる……毛布もかぶってる……額に乗ってる布が濡れてて……ひんやりして気持ちいい……着てる服もこれ……ドレスじゃないよね……ネグリジェっぽいよね……今まで森の中にいたはずなのに……おかしいよね…………ふぇ?
お、おかしいなんてものじゃないよね!?
森の中にいてるはずなのに、なんで私ベッドで寝てるの!?
額に乗った布が飛んじゃうくらい勢いよく上体を起こした瞬間、聞き慣れない女の子の声が私の耳をつんざいた。
「あ―――――――――っ!! 起きた――――――――――っ!!」
パタパタとこちらに駆け寄ってくる音が聞こえたのも束の間、所在なさげにしていた私の手を掴んで、矢継ぎ早に女の子が訊ねてくる。
「ねーねー、耳が聞こえないおにいちゃんが言ってた――じゃなくて、書いてた? ま、どっちでもいいよね。とにかく、そのおにいちゃんが言ってたけど、目が見えないってほんとなの? ほら? あたし今目の前で手をふってるよ? やっぱり見えてないの? うわーほんとに見えてないんだー」
耳が聞こえないお兄ちゃん……ということはルードくん、本当に森を抜けて、人がいるところまで私を運んでくれたんだ……。
そんな無茶をさせてしまったことは本当に申し訳ないけど、今思うべきことは『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』……だよね?
それにしても……目が見えないことを、こんなに無遠慮に言われたのは初めてかも。
声を聞いた限り十歳もいってなさそうな感じだから……七歳か八歳くらいかな?
それくらいの年齢だと好奇心が強いのは仕方ないし、悪気がないのもわかるけど……う~ん、色々と複雑な気持ちになるからやめてほしいけど、この子が無邪気すぎて言いづらいぃ……。
「ミーシャ。客にはもう少し気を遣え」
少し離れた位置から、大人の男の人の声が聞こえてくる。
助け船を出してくれたことは本当にありがとうだけど、客に気を遣えと言う割りには声や言い方に棘があって、ちょっとこわいかも……。
その男の人は静かな足取りでこちらに近づき、ミーシャちゃんを引き剥がす。
なんで正確に把握できたのかというと、私の手を掴んでいたミーシャちゃんが「きゃー」って、わざとらしい悲鳴をあげながら引き剥がされていったからなの。
「俺はこの宿屋の主だ。住んでた孤児院が潰れて行く当てがなくなったことには同情するが、宿代が払えなくなった時は問答無用で追い出すからそのつもりでいろ」
孤児院という、あまり縁のない言葉が出てきたことに困惑していると、大きな手のひらが私の額に触れ、思わずビクリと仰け反りそうになる。
「熱はだいぶ引いたようだな。目が覚めたらベッドの上だったって状況は目が見えないあんただと、なおさら混乱するだろうが、経緯を説明してやる義理は俺にはない。だから、そこで寝ている小僧が目を覚ましたら話を聞かせてもら――……ちっ」
今の舌打ち、私とルードくんの二人だけじゃ会話ができないことに気づいたみたい。
「ミーシャ。こいつらの世話をしてやれ。こいつら二人だけじゃ、ろくに話もできないからな」
「ミーシャそれ知ってる! 『つーやく』ってやつだよね?」
「ああ、そうだ。通訳だ」
「りょーかーい……だけどいいの、とうちゃ? おにいちゃんとおねえちゃんのお世話をしてたら、ミーシャ、とうちゃのお手伝いできなくなるよ?」
「これはこれで父ちゃの手伝いになるからいいんだよ。それに、どうせ他に客はいないから手伝ってもらうようなことは何もないしな」
「りょーかーい」
「そういうわけだ。困ったことがあったら娘に言ってくれ」
そう言い残すと、宿主さんはこの場から離れていった。
ミーシャちゃん、私たちのことは『お姉ちゃん』『お兄ちゃん』なのに、お父さんのことは『父ちゃ』なんだ。
宿主さんも自分で『父ちゃ』って言ってミーシャちゃんに合わせてあげてるし、実は声や言い方ほどこわい人じゃないのかも。
あっ、そういえば宿主さんが「そこで寝ている小僧」って言ってたけど、ルードくんどこで寝てい――
「ねーねー。おねえちゃんとおにいちゃんって旅をしてたんだよね? ね? どこから来たの? 目が見えなかったり耳が聞こえなかったりだと大変じゃない? あっ!! そうだっ!! 名前っ!! 名前おしえてっ!!」
またしても矢継ぎ早に訊ねてくるミーシャちゃんに、思わず苦笑してしまう。
外から来た人間が珍しいのか、それとも私やルードくんみたいな感覚が一つ欠けた人間が珍しいのか、ミーシャちゃんは私たちに興味津々みたい。
「お姉ちゃんの名前はアトリ。お兄ちゃんの名前はルードだよ」
「アトリおねえちゃんに、ルードおにいちゃんね! じゃーじゃー、おねえちゃんとおにいちゃんは孤児院ではどういうカンケーだったの? 恋人なの? それとも恋人なの?」
恋人一択になってるんですけど!?
ていうか、その前にしてた『どこから来たの?』って質問はどこいったの!?
そもそも孤児院って……たぶん、ルードくんが宿主さんにそう説明したんだろうけど……やっぱり、唱巫女であることは隠した方が安全ってことなのかな?
……うん、そうだよね。
唱巫女を狙う〝裏〟の人たちがどこに潜んでいるかわからないもんね。
あっ、それなら名前も偽名にした方がよかったのかな?
でも……私とルードくんじゃ口裏を合わせることはできないし、唱巫女の名前と顔を知ってるのはナトゥラの民のみんなと、マイアの国王様、大臣の方々といったごく一部の人だけだから……うん、名前については気にしなくてもいいよね。
それより、
「ねーねー教えてー。ねー」
ミーシャちゃんにどう答えよう……。
私とルードくんは別に恋人でもなんでもないけど……ないけど…………なんでだろう? きっぱりと『違う』って答えたくないのは……。
だから……うん、ここはごまかそうっ!
「と、ところでっ! ルードくんが近くで寝てるらしいけど、どこにいるか知らない?」
強引に話題を変えたせいで、ミーシャちゃんが「あー、ごまかしたー」って言ってるけど、ここは断固として聞かないフリをするっ!
そんな私の抵抗を面白がるようにミーシャちゃんは「にしし」と笑うと、私の手を掴んで、引っ張って……この感触は、髪の毛?
ということは、椅子かなにか座ってるのかな?
とにかく、〝誰か〟がこのベッドの端っこに突っ伏して寝てるみたい。
話の流れを考えると、この〝誰か〟は……もしかしなくてもそうだよね?
「『こんせつてーねー』にミーシャが説明させてあげるとー、ルードおにいちゃんは、アトリおねえちゃんが起きるまえまでー、ず~~~~~~~~~~っとアトリおねえちゃんの『かんびょー』をかんばってたけど、力つきて寝てしまいましたー」
ルードくん……宿屋まで私を運んでくれただけじゃなくて、看病までしてくれたんだ。本当に私、ルードくんのお世話になりっぱなしだよね……。
でも、なんでだろう?
看病までさせてしまったことを申し訳なく思う気持ちでいっぱいなのに、それ以上に、看病までしてくれたことが、すごく……嬉しい。
「それよりもさー、ルードおにいちゃん起こさなくていいの? アトリおねえちゃんが起きるの、ずっと待ってたんだよ?」
「いいの。このまま寝かせてあげて。ルードくん、すっごく疲れてるはずだから」
起こさないよう慎重にまさぐって位置を確認してから、ルードくんの頭を撫でてみる。
今まで何度も触れ合っていたからわかっていたことだけど、ルードくんの頭は私に比べたら大きいけど、大人と比べたら随分小さくて……たぶん、同年代の男の子と比べても小さいと思う。
そんな小さな体なのに、すっごく強くて、私を護ってくれて……ダメだなぁ、私。
ミーシャちゃんに寝かせてあげてって言っておきながら、ルードくんに早く起きてほしいって思ってる。
だってさっき、宿主さんがミーシャちゃんに私たちの通訳を頼んでくれて、ミーシャちゃんはそれを快諾してくれたから……私たち、お話しすることができるんだよ?
だからルードくんに『ありがとう』を伝えられる。『ごめんなさい』を伝えられる。
いっぱい伝えたいことが……ううん、話したいことがある。
私の体調が良くなったら、たぶんだけど、ルードくんはマイア騎士団の人たちに接触して、私のことを保護してもらって、マイア城へ連れて行ってもらうことになると思う。
そして、私は本当の護衛の人たちと一緒に捧唱の旅に出ることになり、ルードくんとはそこでお別れになる。
囮の護衛団を用意するという策が機能しなくなった今、私がワガママを言えば、もしかしたら、ルードくんを本当の護衛に加えてもらえるかもしれない。
だけど、そんな特別扱いみたいなことをしたら、ラライアさんのような人たちがルードくんに悪意をぶつけてくるかもしれない。
ただでさえ沢山の迷惑をかけたルードくんに、さらなる迷惑をかけてしまうかもしれない。
なにより、そのせいでルードくんが傷つくようなことになってしまったら……それだけは……それだけは絶対に嫌っ。
だから、ルードくんといられる時間は、あともう少しだけ。
だから、お別れの時がくるまで、できるだけいっぱいお話しがしたい。
でも、私のために沢山無理をしたルードくんには、ゆっくり休んでほしい。
『早く起きて』と『ゆっくり休んで』。矛盾した想いを伝えるように、私はもう一度だけルードくんの頭を撫でた。