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第7話-2 朝の一時【ルード】

 なんで俺は、あんなアホにみたいに笑ってしまったんだ?

 アトリさんからハンカチを返してもらいながら自問するも、答えの取っかかりすら見つけることができなかった。


 それにしても、あんな大口を開けて笑ったのはいつぶりになるだろうか。下手をすると、生まれて初めての可能性すらあるな。

 俺が喋っても発音が無茶苦茶なせいか、俺の声を聞いた人間は皆一様にして微妙な顔をする。

 そんな顔をされるのが鬱陶しくて、うっかりでも声が漏れないよう意識的に口を閉ざすようにしていたのだが、先程はなぜか(こら)えることができず、大口を開けて笑ってしまった。


 いや、まあ、洞の中の湿気のせいでアトリさんの髪が四方八方にビヨンビヨン伸びていたのは、ツボに入ってしまったと認めざるを得ないが。

 あと、アトリさんが頬を膨らませながら両手でポカポカと叩いてきたのがかわいらしすぎて、楽しくなってしまったことも認めざるを得な――……ああ、そうか。笑ってしまうほど楽しかったのか。

 それでアホみたいに笑ってしまったのか、俺は。

 ……本当にアホみたいだな。


 それにしても、笑ったことで俺の口から声が出ていたはずなのに、アトリさんは全然微妙な顔をしてなかったな。

 怒っていた彼女が俺に気を遣うとは思えないから、たぶん、俺の笑い声は健常者のそれと大差なかったのだろう。

 もしかすると『声を出して笑う』という行為は、人間の本能に刷り込まれた行為なのかもしれない。


 そんなことを考えながら、ブーツを脱いで川に入り、眼前を横切ろうとする魚を手掴みで確保する。

 川に来たのは、何もアトリさんの寝癖を直すためだけではない。

 主目的は、あくまでも朝食を調達することにあった。

 まとまった数を確保した後、薪になりそうなものを集め、火打ち石で火を(おこ)し、木の枝に突き刺した魚を焼いていく。

 魚の焼ける匂いが食欲を刺激したのか、例によってアトリさんが腹に手を当てて顔を赤くしていた。

 俺には絶対に聞こえないんだから、そういちいち気にしなくてもよさそうなものだが……まあ、それが乙女心というものだろう。以前読んだ娯楽小説にも、そんなふうに書いてあった。

 それに、まあ、アトリさんの恥じらう姿がかわいらしくて、何度見ても飽きる気がしないから、いちいち気にしてくれた方がどちらかといえば嬉しいしな。


 そうこうしているうちに魚が焼き上がったので、食べやすい大きさのものをアトリさんに渡し、今のうちにできるだけ精をつけたかった俺は、彼女に渡したものよりも二回り以上大きな魚を食べていく。

 魚を食べている時のアトリさんは、実に幸せそうな顔をしていた。

 昨夜干し肉を食べていた時も同じように幸せそうな顔をしていたから、存外、食べることが好きなのかもしれない。


 焼魚を全て平らげた後、革袋から取り出した地図と方位磁針(コンパス)を睨み、思案する。

 現状の行動指針は、昨夜考えたとおり、黒装束どもが待ち伏せしているであろうマイア城方面から離れる形で大森林地帯を抜けること。その決定に変わりはない。

 助けが来るまで待つことも一応考慮してみたが、この大森林地帯からたった二人の人間を見つけ出すのは困難を極める。

 ナトゥラの民とマイア城の間にあるような〝浅い〟ところならまだ見つけてもらえる望みはあったが、俺たちは黒装束どもから身を隠すために森の深いところまで来てしまっている。

 下手をすると数ヶ月経っても見つけてもらえない可能性すらあるから、そんな藁よりもか細い望みは捨てた方がいいだろう。


 大雑把に特定した現在地とマイア城の位置関係を考えると……どの進路をとっても森の奥へ向かうことになるな。

 ということは、森を出るのに三~四日……いや、アトリさんのペースに合わせるとなると、もっとかかると見た方がいい。

 アトリさんの体力次第では、最悪、俺が彼女を背負って行く……のは、別に最悪でもなんでもないな。機を見て背負ってあげたいくらいだ。


 それよりも問題は、アトリさんにどうやってこのことを伝えるか、だな。

 黒装束への警戒とかマイア城から離れる形で移動するとかは、とてもじゃないが身振り手振りで伝えられる内容ではない。

 伝えることが出来そうなのは『森を出る』くらいか?

 ……いや、駄目だ。

『森』を正確に伝えるジェスチャーが思いつかない。

 だったら……もっとシンプルにいくしかないな。


 考えがまとまったところで、地図と方位磁針を革袋に仕舞い、アトリさんに歩み寄る。

 アトリさんは、まるで俺のことを待っていたかのように、ちょこんと地面に座っていた。

 アトリさんの目の前で腰を落とし、彼女の手を取る。

 俺が何か伝えようとしていることがわかっているのか、俺に身を委ねるように、アトリさんは手を弛緩させていた。

 半開きになったアトリさんの手を俺の胸に当たると、そのまま彼女の手を引いて一緒に立ち上がる。

『俺を信じてついて来てほしい』――そんな想いを込めて。

 彼女はクスリと笑うと、俺の手を胸元に引き込み、優しく両手で包み込んだ。

 昨夜俺が、彼女の差し出した手を握った時と同じように。

 その瞬間に、俺は確信する。


 ――伝わった!


 思わず、空いた手で小さくガッツポーズをとってしまう。

 間違っている可能性は万に一つもないと思うが、念のため、確かめるようにゆっくりと、アトリさんの手を引いて歩き出してみる。

 すると彼女は当たり前のように、手を握ったまま俺についてきてくれた。

 ただそれだけのことが、すごく嬉しかった。


 状況は最悪と言っていい。

 無事に切り抜けられたとしても、報酬は期待できないだろう。

 もしかしたら、護り屋の経歴に傷がつくかもしれない。

 けど、


 ――胸が躍るとは、こういうことをいうんだな。


 できるだけ早く、アトリさんを安全なところに連れて行きたい。

 できるだけ長く、アトリさんと二人きりでいたい。

 相反する想いを抱きながらも、彼女の手をしかと握り締めて、俺たちは森の外を目指した。

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