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プロローグ【ルード】

 地獄が、視界いっぱいに広がっていた。


 俺、ルードを含めた護り屋と騎士、合わせて五十名に及ぶ護衛団は、護衛対象の乗る箱馬車を護りながら目的地であるマイア城を目指して森の中を進んでいた。


 日が沈み始めた頃、あともう少しで森を抜けるというところで地獄が始まった。護衛団が仲間同士で殺し合うという地獄が。


 さらに、どこからともなく現れた黒装束の集団が殺し合いに割って入り、夕暮れの赤に染まる森を、護衛団の血の赤で上塗りしていく。


 そんな地獄を前にしても、俺の世界はいつもどおりの静寂に包まれていた。

 生まれながらにして耳が聞こえない俺には、目の前に広がる阿鼻叫喚の地獄を真の意味で理解することはできない。

 仲間同士で殺し合う悲嘆も、この状況を生み出したであろう黒装束どもへの怒号も俺には聞こえない。


 だからというわけではないが、この地獄を前にしてなお俺の心には小波ほどの動揺もなかった。

 こんなだから仕事をともにした護り屋(おとな)に、十五のガキのくせに達観しすぎだの、可愛げがないだのと、わざわざ汚い字を書き起こしてまで文句をつけられるのだろうが……まあ、今はそんなことはどうでもいいな。


 状況を見る限り、護衛団は瓦解したも同然。

 この場に留まっていては、護衛対象を護りきるのはまず不可能だろう。ならば、護衛対象を連れてさっさとこの場から離脱するのが得策だな。


 護衛団のリーダーを務める騎士隊長か、副リーダーを務める護り屋代表の男に相談したいところだが、今は悠長に筆談をしていられるような状況ではない。

 そもそも、その二人が生きているかどうかも怪しいところだ。


 独断専行になるが、やるしかない。と思ったのも束の間、横合いから現れた騎士が、ランス片手に襲いかかってくる。

 戦いの最中に兜が脱げたのか、露わになった騎士の表情は一目見て正気を失っているとわかるほどに虚ろとしていた。

 繰り出される刺突。

 俺は外套(マント)を翻らせながらそれをかわし、騎士の側頭部に回し蹴りを叩き込んで一撃で昏倒させる。


 続けて襲いくるは、同業者――護り屋。

 護り屋がその手に持った長剣を振り下ろすよりも早くに、俺は腰の後ろに手を回し、横向きに差していた得物を抜いて斬撃を受け止める。


 手足の延長に感じるほどにまで使い込んだ片刃のブレード――それが俺の得物。

 長さは長剣とナイフの中間程度しかないため、今のように剣と剣を()り合わせるには不向きだが、その分取り回しに優れている。

 ブレードの利点も欠点も熟知していた俺は、力で押し込もうとする護り屋の圧力を斜めに受け流すことで鍔迫り合いを放棄。

 その結果、体勢が崩れた護り屋は前のめりになり、差し出されるようにして晒された後頭部を柄頭で殴打し、意識を刈り取った。


 なぜ味方であるはずの騎士と護り屋が襲ってくるのか……()()()()()()()()()()()()()、今はそれに対処している余裕はない。

 今最も優先すべきことは、護衛対象を連れて一刻も早くこの場から離れること。

 それ以外のことにかかずらっていては、護衛対象はもちろん、自分の命すらも危うくなる。

 おまけに、殿(しんがり)についていたため箱馬車とはかなり距離が離れているため、なおさら急ぐ必要がある。

 だから俺は、一も二もなく箱馬車を目指して走り出した。


 正気を保った仲間たちが奮戦する最中(さなか)を縫うように駆けていると、俺の意図に気づいたのか、行く手を塞ぐようにして現れた三人の黒装束が、殺気を漲らせながら剣を構える。

 黒装束どもは揃いも揃って頭巾で顔を隠しているが、この三人が今、獲物を見つけた狩人と同じ表情をしているのは容易に想像できた。

 先程無力化した二人とは違い、こいつらは紛うことなき敵。

 手心を加える理由はどこにもない。


 ――こっちが、狩ってやる。


 俺は踏み砕かんばかりの勢いで地を蹴り、一気に加速して黒装束どもに肉薄する。

 こちらの速さについてこれなかった黒装束どもが狼狽している隙に、中央にいた一人を(はす)に斬り捨てた。

 それに反応するように、左右にいた二人が慌てて剣を振り下ろそうとしているが、遅い……!

 俺はその身を旋転させながらブレードを振るい、剣が届く前に二人の手首を刎ね落とした。


「■■■■■■■■■■■■!!」


 激痛のあまり絶叫しているのか、二人は頭巾の下で大口を開ける。

 経験上、大口を開けている敵を放置していると他の敵が集まってくることを知っていたので、ブレードで二人の喉笛を掻っ切ると、すぐさま走り出して箱馬車を目指した。


 あともう少しで箱馬車にたどり着くというところで、空気の流れが不自然に変化したことを肌で感じ取り、警鐘を鳴らす勘に従って、一歩で疾走の勢いを殺しきる。直後、右手側から飛んできた風の刃が眼前の空を切り裂いた。


 機能しない聴覚を補うようにして鋭敏化した触覚と、幾多の死地を乗り越え、培ってきた勘に従わなければ、真っ二つに切り裂かれていたところだった。

 続けて、箱馬車に近寄るなと言わんばかりに第二、第三の風の刃がこちらに迫り、飛び下がることでそれをかわす。


 風の刃が飛んできた方向を見やると、やはりというべきか、そこには一人の黒装束が立っていた。

 頭巾では隠しきれないほどに長く垂れ下がった蓬髪(ほうはつ)と、頭巾の隙間から垣間見える落ち窪んだ目が特徴的な黒装束だった。


 顔は見えないが体型からして十中八九、男。

 得物は右手の袖口から伸びる刃。右袖の前腕部がごわついているところを見るに、手甲に刃を内蔵した武器――手甲剣の類だろう。

 自然体に近い立ち姿に隙はなく、先の三人とは比べものにならないほどの手練れと見てまず間違いない。

 おまけに、


 ――魔唱(ましょう)使い、か。

 

 魔唱とは、特別な(うた)を唱うことで超常の力を発動する、有り体に言えば、御伽噺や娯楽小説に出てくる魔法と似たような代物だ。

 先程飛んできた風の刃も、護衛団が仲間同士で殺し合っているのも、全ては魔唱の力によるものだ。

 文献によると、魔唱の多くはフレーズが短く、唱の体を為していないものがほとんどらしいが、だからこそ魔唱は実戦において強力この上ない武器になっている。


 耳が聞こえない俺には唱声(うたごえ)という予兆を感じ取ることができないため、魔唱を使う人間と相対した場合は、先程のように肌で感じるか、相手の唇の動きから魔唱の発動を察知するしかなく、普段の戦闘よりもはるかに神経を使わされる。

 隙のない佇まいも含めて、厄介極まりない相手だと言わざるを得ない。


 蓬髪野郎はゆっくりと歩き出し、俺と箱馬車の間に割って入る位置で足を止める。

 黒装束どもの正体はわからないが、連中の狙いが護衛対象であること、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()はわかっている。

 蓬髪野郎が箱馬車を護るように、こちらの行く手を塞いでいるのが何よりの証拠だ。


 蓬髪野郎に視線を固定しつつ、ジリジリと間合いを詰めながら、箱馬車周囲の戦況を視界の端で確認する。

 騎士の矜持か護り屋の意地か、仲間の奮戦により、箱馬車の周囲に限れば戦況は拮抗してい――


「《■■■■■■ ■■■■■■■■■■■》」


 頭巾の下で、蓬髪野郎の唇が唱うような動きを見せ、俺は身構える。が、風の刃が飛んでくることはなく、目でも肌でも魔唱の発動を確認することはできなかった。

 だが、


 ――なんだ? 嫌な予感がする。


 その予感が正しかったことを証明するかのようなタイミングで、先程まで奮戦していた騎士が、護り屋が、一人、また一人と仲間に刃を向け始める。


 ――まさか……!


 耳が聞こえない俺には全く効果がないようだが、間違いない。

 護衛団の正気を失わせ、仲間同士で殺し合わせる魔唱を使っていたのはこいつだ!


 そう確信するや否や、地を蹴り、蓬髪野郎との距離を刹那に潰す。

 勢いをそのままに喉笛目がけてブレードを振るうも、先の雑魚どもとは違ってしっかりと俺の動きについてきた蓬髪野郎は、手甲剣を縦に構えて斬撃を受け止めた。

 続けざまに、腕を、目を、心臓を狙って刺突と斬撃を繰り出すも、蓬髪野郎はその悉くを巧みに捌き切り、こちらの攻撃が途切れる瞬間を見計らって横薙ぎで反撃してくる。

 回避が間に合わず、やむなくブレードで受け止めるも蓬髪野郎の膂力(りょりょく)は凄まじく、弾き飛ばされてしまう。


「《■■■■■■》」


 距離が空いた一瞬を見逃すことなく蓬髪野郎は魔唱を唱い、風の刃を飛ばしてくる。

 俺はそれを横に飛んでかわしたものの、結果的に箱馬車から引き離されてしまい、歯噛みする。


 ――やはり、最初の印象どおり簡単にいく相手じゃないな。


 こいつを倒せば仲間を襲う騎士と護り屋が正気を取り戻し、形勢を逆転させることができるかもしれない。

 だが、加速度的に状況が悪化する今において『かもしれない』に賭ける時間(チップ)は残されていない。


 ――ならば!


 覚悟を決めた俺は蓬髪野郎に突貫する。

 蓬髪野郎はこちらの行動を読んでいたかのように、突貫する俺の眉間目がけて刺突を放つも、


 ――読んでいたのは、こちらの方だ!


 刺突が届かないギリギリの間合いで立ち止まり、旅装のポケットから煙幕玉を取り出し、眼前に放り投げる。

 半瞬後、眉間の代わりに貫かれた煙幕玉から濛々と煙が吹き出し、視界を白色に塗り潰した。

 白煙に紛れての攻撃を警戒したのか、蓬髪野郎が迎撃に専念する気配を感じ取った俺は、腰のベルトに差していた投げナイフで牽制し、蓬髪野郎の警戒心をさらに強めさせ、狙い通りにこの場に釘付けにさせる。これで二十秒は稼げるだろう。


 護り屋である俺の本分は、あくまでも護衛対象を護ること。

 目の前の敵に時間を割いた結果、護衛に失敗しては本末転倒もいいところだ。


 ゆえに俺は、白煙の向こうにいる蓬髪野郎を無視して、気配を殺して箱馬車へ向かう。

 箱馬車の傍では、傷だらけの二人の騎士が、倍の数の黒装束を相手に死闘を繰り広げていた。

 死闘によって知覚が鋭敏化しているのか、気配を殺して白煙に紛れている俺の存在に気づいた騎士の一人が、覚悟を決めたようにこちらに向かって一つ頷き、黒装束どもに突貫する。


 この場から護衛対象を逃がす以外に、手がないことがわかっていたのだろう。

 傷だらけの騎士は護衛対象を俺に託し、決死の足止めを買って出てくれたのだ。

 相方の意図を理解していないもう一人の騎士も、最後まで付き合ってやりますかと言わんばかりに黒装束どもに突貫する。


 その心意気はもちろんのこと、蓬髪野郎の魔唱に抗い、正気を保ち続ける精神力も含めて、二人の騎士に敬意を送りながらも、静かに、あくまでも静かに、白煙に紛れて箱馬車に忍び寄る。

 そして、俺では確認しようがない音を立てないよう、慎重に、ゆっくりと箱馬車の扉を開けた。


 ここから先はスピード勝負だ。

 箱馬車に乗り込んだ俺は、護衛対象である〝彼女〟の様子を確認しないまま抱きかかえ、五秒とかけずに箱馬車から脱出。

 濛々と立ち込める白煙を最大限に利用し、誰に見とがめられることなくこの場から離脱し、全速力で森の奥へと奥へと逃げていく。


 少しして、太陽が地平という名の毛布を深々とかぶり、夜の闇が森を支配する。

 それでも俺は、速度を落とすことなく森の中を走り続けた。

 この森には魔獣が跋扈しているが、今はあえて考えないようにしながら、ただひたすらに走り続けた。


 走り続けている間、〝彼女〟はずっと震えていた。

〝彼女〟の境遇を考えると、今の状況が恐くて怖くてたまらないことは容易に想像できた。

 何か言葉をかけてやりたいところだが、耳が聞こえず、自分の声すら知らない俺には、文字どおりの意味で〝彼女〟にかけてやれる言葉を持ち合わせていない。

 可哀想だが、安全なところに着くまではこのままにしておくしかない。


 しばらく走り続け、ここまで来ればもう大丈夫だろうと判断した俺は〝彼女〟を地面に下ろす。

 念のため、追っ手が来ていないことを確認するために、地面に掌をつけ、そこから伝わる振動に意識を集中させる。


 ……人が走っている振動はなし。

 

 ……不自然に足音を殺している振動もなし。


 ……どうやら、追っ手は来ていないようだ。


 ようやく一息つけたところで、半ばかっ攫うようにして連れてきた〝彼女〟を見やる。

 俺よりも一つ年上――十六歳の〝彼女〟は、真っ黒なドレスに身を包んでいた。


 ドレスが無駄に黒いのは葬儀があったとかそういう理由ではなく、〝彼女〟の顔を隠す、黒いベールの付いたトークハットに合わせるために着飾ったものだった。

 もっとも、俺が散々走り回ったせいか、トークハットの顎紐はもうほとんど解けており、ちょっとした拍子で顔を隠す役目を放棄しそうな有り様ではあるが。

 その今にも落ちそうなトークハットの下から伸びる、夜闇にあってなお鮮やかに映える銀髪は肩に届かないほどに短かった。

 体型は、同年代と比べて小柄な俺よりもさらに小柄で、正直、長時間抱きかかえて走ってもたいした苦にはならなかった。


 今の今まで雲に隠れていたのか、不意に差し込んできた月明かりが肌を撫で、俺は思わず声――おそらく「あっ」とかそんな感じだろう――を漏らしながら月を見上げる。

 その声に驚いたのか、視界の片隅にいた〝彼女〟がビクリと震えながらこちらに振り向き、その拍子にトークハットが落ちて素顔が露わになる。

 今回の仕事に就いてから、まだ一度も〝彼女〟の素顔を見たことがなかった俺は、好奇心に突き動かされるように視線を月から〝彼女〟に戻し……目はおろか、心までもが釘付けにされてしまう。


〝彼女〟は、俺に我を忘れさせるほどに可憐で愛らしかった。


 月明かりに照らされた肌は抜けるように白く、触れれば消えてしまうのではないかと思わされるほどに〝彼女〟を儚く見せていた。

 可憐な顔立ちは、稀代の人形師が命を削って完成させた神品(しんぴん)を思わせるほどに整っており、俺の心を掴んで離さない魅力に充ち満ちていた。

 そして、銀色の髪とは対照的な輝きを宿す金色(こんじき)の瞳は、その眩しさとは裏腹に、()()()()()()()()()()

 そう、〝彼女〟の瞳は光を失っていた。

 生まれながらにして目が見えないのだ。

 それなのに……こんなことがありえるのか?

〝彼女〟の可憐さに魂を抜かれていた俺は、かろうじて取り戻した自我に縋りながら自問する。


 ――〝彼女〟は目が見えないはず。


 ――なのに、どうして俺は今〝彼女〟と見つめ合っている?


 偶然と言えばそれまでの話だが、俺はどうしてもその一言で片づける気にはなれなかった。

 彼女と見つめ合っているだけで体の内から湧き上がる熱さが、心の内から浮き立つ甘さが、偶然の一言で片づけることを全力で拒んでいた。


 そう……この時、この瞬間に、俺は恋に落ちてしまったのだ。


 生まれながらにして目が見えない少女――アトリ・スターフルに。

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