殺戮
「きゃあああああ!!」
巫女達が、それぞれに出来る限りの大きさの声で悲鳴を上げた。
だが、逃げようにも腰が抜けていて足に力が入らず立ち上がれない。兵士達は、巫女達には構わず我先にと洞窟の奥へと向かおうと駆け出した。
狭い場所で一斉に同じ方向へと走ろうとしたので、肩が当たり足が絡まり、それなりの広さがあるはずの場所なのに、詰まってうまく向こうへ行くことが出来ない。
魔物の低い唸り声がした。
「グルルルルル!!」
ズン、とその洞窟の壁の全てが揺れた。
「あああああ!!」
巫女達も叫び声を上げたが、兵士達も悲鳴を上げた。
洞窟の天井がガラガラと音を立てて落下して来る。必死に側の岩に掴まりながら下を見ると、魔物達は一斉に、タイミングを合わせてそこの岸壁に激突していた。
次の振動が来る。
兵士達も、最早パニックになっていた。
「行けない!奥へ戻れない!」
兵士の一人が、半狂乱で叫んでいるのが聴こえて来た。どうやら、この振動は奥へと伝わって道が塞がってしまっているようだった。
しかし、魔物達は容赦なかった。
綺麗にタイミングを合わせて、魔物の背びれは同じ向きに上がり、そして潜った。
…来る!
それを見ていたジーナが岩にしがみついてグッと目を閉じると、思った通り激しい振動が起こり、気が付くと、足元の地面はもう、無かった。
「きゃああああ!!」
巫女達は、バラバラに落下して地下水脈へと飲み込まれて行く。
ジーナは、その体を包む冷たい嫌な気を含む水に気が遠くなりながらも、必死にもがいた。
「ジーナああああ!」
ソフィ―の声だ。ジーナは、自分も流されてどうすることも出来ずに足をばたつかせる。すると足が川底の岩に引っかかって、やっと水面に顔を上げることが出来た。ソフィーの声が聴こえた方向を見ると、ソフィーは流されて行くところだった。
「ソフィ―!!」
ジーナは叫んだが、ソフィ―はもう声もなく流されて行く。すると、誰かの声が言った。
「マディー!一人流された!」
すると、それには低い聞いたこともないような声が答えた。
『一人ではないわ。』
引っ掛かっているジーナの目の前で、大きな黒い背びれが通過してソフィーを追いかけて行った。そうして、向こうでソフィーと別の巫女が、その黒い背中に持ち上げられて、こちらへ戻ってくるのが見える。何が起こっているのか分からないジーナの目の前で、別の魔物が水を押しのけて浮上して来た。
見たことも無い大きな口からは水が流れ落ち、それがよだれのように見えた。
「…!!」
もはや、声も出ない。
ジーナがもう駄目だ食べられてしまう、とただそれを見上げていると、その背中に乗っている、銀髪を後ろで束ねた男が、髪から水滴を振って滴らせながら、手を差し出した。
「こっちへ!助けてやるから来い!」
ジーナは、訳が分からないながらも、反射的にその手を握った。ぐいと持ち上げられて、魔物の背に乗り上げるように上がると、力が抜けてぐったりとその、暖かく柔らかい何かに体を預けた。
「しっかりしな!掴まってないとまた落ちるぞ!もう助けてる暇はねぇ!」
知らない男の声が言うが、ジーナには状況が把握できていなかった。魔物が話しているような気もするが、そもそもそんなはずはなかった。
向こうに居る、ひと際大きな魔物が、声を上げた。
『女を乗せてるやつらは戻れ!他は我と来い!』
すると、目の前の男が言った。
「え。ちょっと待てラディアス、オレが居ないと術はどうするんでぇ!」
ジーナが何のことかと思っていると、今自分を乗せている何かがキーっと甲高い声で鳴いた。すると、別の魔物が目の前にぬーっと現れて、その姿を見たジーナは、ついに気を失った。
『そっちへ!我は王と行く!こやつを連れてお前は戻れ!』
ショーンを乗せている、マディーが言った。
とにかくラディアスの腹心とだけでも話せなければと、ショーンが術を放ったのでマディーとキークの言うことも今は分かる。
だが、そうなるとマディーやキークは話してはくれるがこっちの言うことを全然聞いてくれなかった。
聞いてはいても、「それは嫌だ」と言えばこっちに伝わるので、それでいいだろうという感じだった。
そうして、マディーは気を失っているジーナを自分の背から振り落とすと、すぐに他のシャルクスがそれを拾って背に乗せた。ショーンはなので、扱いが荒いと抗議したかったが無駄なのが分かっていたので黙っていた。
ジーナが拾われたのを確認してから、マディーはラディアスが去った方へと頭を向けた。
『しっかり掴まっておれ!』
ショーンは、覚悟して身を低くして背びれを掴んだ。
「頼むから手加減してくれよ!」
しかしマディーはいきなりに背を反らすと、その反動で背を丸めてという動きを物凄い速さで繰り返し始めた。
一応背中にショーンが居るので水面に背中を出すことに気を遣ってはくれているようだが、それでもその上下運動で頻繁に水に沈むのは確かで、ショーンは真面目に息が詰まるかと思った。胸元の白玉は、ただ怯えてショーンの胸にぴったりとくっついて、震えているのが伝わって来ていた。それでも、ショーンにはどうしてやることも出来なかった。
水流に乗ってトップスピードで進んで行くマディーの背から、向こうで激しい尾びれの動きと水しぶきが見える。
ラディアスと部下達が、流されて行く兵士達を激しく襲っているのだと、ショーンは悟った。
マディーも参戦しようと皆の間へと割って入ったが、その時にはもう、全員が顔を上げていた。
「…終わったか。」
ショーンが、呟くように言う。キークの背に居る、翔太が真っ青な顔をして、ショーンを見た。
「終わった。流れが速いから全部跡形なく流されてったよ。」
辺りに漂う血の匂いで、ショーンはそこで激しい殺戮が行われていたのだろうことは分かった。翔太は、その一部始終をキークの背に乗って成す術なく見ていたのだ。
『まだ残っておる。戻るぞ。』
ラディアスが言う。全員が、綺麗に指示通りに反転して再びあの場所へと戻ろうと申し合わせたように揃った動きで泳ぎ始めた。
「早く!早くここを崩してくれ!助けてくれえええ!!」
崩れた洞窟に、辛うじて残った兵士達は、むき出しになった崩れた箇所の岩を叩いて必死に叫んだ。
ほとんどが流され、残ったのは今この淵に立っている数人だけだ。
巫女達は数人が流されたようだったが、数人はエサとして蓄えるためかグルーランの背に乗せられて連れ去られて行った。
そして、残りのグルーランは崩れた岩と一緒に落ちて流されて行った兵士達を追って、川下の方へと向かって行った。が、いつ戻って来るか分からない。戻る前に逃げ切れないと、またここを崩すあの体当たりが始まって、今度こそあの魔物達に食い散らかされて海へと流され無残な姿をさらすことになってしまう…!
「こちらから崩す!下がれるか?」
向こう側から、エドアルトの声がする。こちら側の兵士は、見えないのを承知で首を振った。
「いいえ!将軍、もう僅かな足場しか残っていないのです!下がる場所もありません!」
エドアルトは、こちら側で歯ぎしりしていた。では、こちら側から少しずつ避けて行くしかない。
「急げ!奴らが戻って来る前に!」
エドアルト側に居る兵士達が、必死に術と手を使って岩を避け始めた。だが、エドアルトには見えていた…あのグルーランの大軍が、まだ息のある仲間達を虐殺し、そうしてこちらへ向けて戻って来ているのが。
だが、エドアルトには今この岩の向こうに居る部下達を見捨てることは出来なかった。
「…先に攻撃してやる。ここからなら、術が放てる!」
エドアルトは、剣を構えた。
兵士達は、それを見て更に急いで岩の撤去を進めていた。
ショーンと翔太は、シャルクスの背で上下に散々揺すられて眩暈を覚えながらも、あの崩れた地点を視野に捉えていた。
シャルクスのパワーは物凄いもので、ここに居るのは今10頭のシャルクスだったが、一斉に体当たりするだけで三度目には頑強な岩を崩してしまった。
恐らくは幾らか気を使った術を放ちながらの事だろうが、翔太の目には大きな鉄の玉をぶつけたように見えた。
無残に崩れ去った場所へと戻って来ると、そこには落ちた衝撃で亡くなった兵士達が、崩れた岩石が山になっている上に残っていて、翔太は思わず目を背けた。すると、上の方から大きな男の悲鳴が聞こえた。
「わあああああ!早く!早く!」
翔太がその声に上を見上げると、そこには崩れた岩の前に取り残された兵士が三人、岩に張り付いた状態で立っていた。そこを塞いでいる岩は、向こう側にも兵士が居るようで少しずつ岩が取り除かれているようだったが、まだ人が一人通るには狭すぎるようだった。
翔太は、仲間以外の命は知らないと言った自分を悔やんだ。同じ人間として、やはり目の前で助けを求めていたら、助けてやりたいと思ってしまう。それが、自分達を捕らえようと追ってきた兵士だと分かっていても、ヒトとしての良心がそう望むのだ。
『…あちら側にもまだ残っておるな。全て消してやるわ!』
ラディアスの声がする。
その後カチカチという音がして、何だろうと思っていると、シャルクス達は同じ方向を向いて、今泳いできた勢いのままにその岩壁に体当たりした。
シャルクスの背に乗っている翔太とショーンは、一瞬水へと沈む。
水中でのシャルクスは、甲高い声で合図をしあっていて、その連携は完璧だった。
水から上がると、体当たりした岸壁からは離れていた。
この巨体でこの素早さを持つシャルクスに、翔太はゾッとした。これが敵なら、とても逃げられるものではないからだ。
「うわあああ!」
振動は岩肌の上まで届いたようで、上から岩石がバラバラと落ちてくる。
兵士達の悲鳴に混じって、しっかりとした声が聞こえた。
「脇へ寄れ!」
ハッとして見ると、脇へ慌てて寄った兵士達の間、岩がいくらか避けられていて直径30センチほどの穴が開いていた。そして、その向こうで、光る剣を構えた何かが見えた。
「…駄目だ、ラディアス!攻撃が来る!」
ショーンの声がする。
翔太は防御のシールドを発動しようとしたが、命の気がない。どちらにしろ間に合わない。
その剣からは一直線に魔法が繰り出された。
駄目だ…!かなり大きな力の魔法…!!
翔太は、覚悟した。




