置き去り
翔太達が洞窟の外へと出て行くと、数頭のシャルクス達が湖面から顔を出してこちらを見ていた。
その姿がはっきりと見えるのは、彼らが目を光らせているのもあるが、どうやらまだ地上は日が昇っている時間帯のようで、高い天井の上から木々の間を抜けて日の光がわずかながらでもここへ届いているからのようだった。
一番大きいのがラディアスなのだと知っている翔太は、話しかけた。
「ラディアス?」
ラディアスは、首を縦に振った。
『そうだ。見分けが付かぬのか。…まあそうであろうな。』と、横を向いた。『我にはここ、目の横の白い模様が二本ぞ。そして誰より大きい。父もそうであった。他は皆一本で、その模様の太さで見分けるのだ。こちらに居るのが我の腹心であるキークで幾らか他より細い模様、こっちはその次の部下でマディーでかなりの幅広。』
両脇に居るシャルクスが、翔太達からも見えるように顔を横へと向けた。翔太は、覚えられるだろうかと思ったが、世話になった上これからも世話になるかもしれないシャルクス達のことなので、何とか覚えようと頷いた。
「こっちがキークで、こっちがマディーだな。分かった。で、仲間が見つかったって?」
ラディアスは答えた。
『恐らくはな。あの気は、軍人ではない。そっちの女のような気のする奴らよ。と申して、それほどに綺麗な気ではないがな。いくらか濁った気。』
そっちの女と言われたアガーテは、身を乗り出した。
「我の名はアガーテ。我に似たと申すと、それは我に仕えておった巫女ではないか。あれらが地下水脈に?」
ラディアスは、頷いた。
『いきなりに現れた。本当なら遠くからでもいくらか気取れるのだが、お前の仲間だと申すなら、あの気を遮断する結界を張っておった中から落ちたのやもしれぬの。三つほどの気が、別々に海の方へと流されて行くのを感じた。今は、五つほどの気が、脇の辺りにあるのが分かるゆえ、そこに居るのだろうな。しかし、そこへ軍人が近付いておるのだ。かなりの数よ。』
「…ラファエル様と共に逃れたのは修道士6人と巫女9人。」アガーテは、眉を寄せて考え込むような顔をした。「そしてラファエル様をお守りするバルナバスという戦士と、レナート、ミユぞ。全部で19人ぞ。」
翔太は、美夕が混じっているかもしれないと、焦って言った。
「じゃあ行かなきゃならねぇ!美夕に追手が迫ってるんじゃねぇのか!」
ラディアスは、今にも自分に飛び乗って来そうな翔太に、少し身を退いて言った。
『なに?ミユとはなんだ。人の名か?』
アガーテは、何度も頷いた。
「命の刻印のある神が遣わせた命ぞ。ラファエル様もよ!あの二人の命の気はそれは清浄で美しい、主らとは比べ物にならぬほど力強いものぞ!」
ラディアスは、隣りのキークと言うシャルクスの方を見た。クイクイと何か話している。相手は、クイクイと答えた。
『…そんなに良い気ではないぞ?我もそう思うたが、キークも同じようよ。他のヒトと特に変わった様子は見当たらぬ。』
亮介が、割り込んだ。
「だったら、二人は他の何人かと一緒に逃げたってことじゃないのか。その五つほどの気というのが気取れてるってことは、そこには結界を張れるヤツが居ないってことだろうが。」
「もしくは、ラファエル様達は結界の中に居られるか。」アガーテが、横から言った。「ラファエル様は、皆をお見捨てにはならぬ。側でどうしたら良いのか分からずに困っておられるのではないのか。案じられる。」
アガーテが顔を曇らせるのを見て、翔太は言った。
「だったら、助けてやらねぇと。ラディアス、協力してくれないか。オレ達じゃどうしようもないんでぇ。この水の中じゃ魔法も使えねぇし、お前達みたいには泳げねぇしよ。」
ラディアスは、ため息をつくように排気口から息を吹いた。
『しようのないことよ。だが、我らは軍人を殺す。それに口出しをせぬのならついて参れ。ヒトは己の敵でもヒトを殺すのに批判的だろうが。あちらも必死であるゆえ、我らも主らのことに構っておる暇はないやもしれぬぞ。それでも良いか。』
翔太は、もう足を湖の淵へとかけて何度も頷いた。
「いい!オレは別にどうでもいいんでぇ、仲間の命さえ無事ならな!乗せてくれ!」
ラディアスが、クイクイと言うと、側のキークが進み出て翔太の足の下へと入って、尻を持ち上げてくれた。ショーンが、慌てて進み出た。
「おい、お前一人じゃ無理だろうが!オレも行く!オレだって命の気を吸い上げて術は使えるんでぇ。確かにここじゃ弱ぇが、無いよりマシだろうが!」
「だったら」とアガーテは驚く素早さで真樹から白玉をつかみ取った。そんなことをされると思っていなかった真樹が反応できずに居ると、アガーテは白玉をショーンに差し出した。「白玉を!こやつは主に気を供給することが出来ようぞ。我らよりもっと術を使うことに長けておるはずなのだ。ラファエル様を、確かに守って連れて参ってくれ!」
白玉は驚いたようだったが、それでも素直にショーンに手渡されていた。真樹は、慌てて割り込んだ。
「待ってくれ!白玉をそんな危ないことに連れてくなんて反対だ!術っていってもまだ何も知らないのに!」
アガーテが、真樹を睨みつけて言った。
「何を言うておる!ただ人の主が連れておってもこやつの役目は果たせぬわ!特別なプーは、神の御子を助ける責を負っておる。ラファエル様をお助けせずで、白玉はいつ役目を果たすのだ!」
ラファエルの事となると、アガーテは人が変わったようになるようだ。
ショーンは、白玉を見た。白玉は、じっとショーンを見上げて、言った。
『しらたま、行くよ。だって仲間があぶないんでしょう?しらたまだって、魔法を飛ばせるもん。』
小さなプーの白玉が、一生懸命言うのを聞いたショーンは、そのけなげさに涙が出そうになった。元々、人情とかそういうものに弱いのだ。
「白玉…お前…。」
翔太が、情緒も何も無く怒鳴るように言った。
「どうするんでぇ!早いとこ行かないと、美夕達に何かあったらどうする!」
ショーンは、翔太のせっかちさに少しイラっとしたが、確かに言う通りなので、白玉を手にしたまま、真樹を見た。
「行って来る。白玉はオレが守るから大丈夫だ。だからちょっと貸してくれ。」
真樹は、白玉を見た。白玉は、真樹を見て言った。
『まさき、大丈夫だよ。しらたまだって役に立つもん。だから、待ってて。』
真樹は心配で仕方なかったが、白玉がそういうのだから仕方がない。白玉には、白玉の使命があるのかもしれない。
「きっとだよ。白玉に傷一つ付けずに連れて帰って来てくれよ。」
ショーンは頷くと、もう目の前で背を出して待っている、マディーの背に飛び乗った。ラディアスが、言った。
『では、参る。まあそう時は取らぬわ。』
そうして、地を這うようなグルルルルという音で鳴くと、他のシャルクス達も一斉に同じように鳴いた。
そうして、シャルクスの大軍は、地下水脈を物凄い勢いで下り出した。
「うわ…速ええ!」
翔太の声が聞こえる。
しかしショーンも、白玉を自分の胸元へと突っ込んで、必死に目の前にあるマディーの背びれに掴まるしか出来なかった。
その頃、残された6人の巫女達はパニックに陥っていた。
今まで、何かあってもアガーテやラファエルが解決し、助けてくれた。なので、自分達で何とかする必要がなかった。
15年前に逃れて来た時も、大人たちに庇われてあの地下神殿へと逃れて来れた。だから、今回も逃げる時にその当時自分達を庇ってくれた今は老齢に近い大人たちが、残って食い止める間に逃げろと言われた時も、むしろ当然だと思ってラファエルと共に逃げていたのだ。
この巫女達は、ラファエルが思っていたほど、巫女の資質を残して育ってはいなかった。神がそうするように、いくらか試練を乗り越えないと、普通の命は崇高には育たないのだ。
「どうすればいいの。ラファエル様は行ってしまわれた。我らが助かりたいと申したのは、悪いことだったの。」
ジーナという名の巫女が言うと、隣りの巫女が首を振った。
「いいえ。アガーテ様は主らは生きよとおっしゃった。我らにも生きる権利があるわ。ラファエル様は、あのバルナバスに騙されておられるからあのようにおっしゃったのよ!」
ジーナは、涙を流しながら相手を見た。
「でもソフィー…。ラファエル様はどちらにしろ行ってしまわれたわ。追手が来る。逃げなければ。」
そう言っている間に、後ろの方が騒がしくなって来ているのを感じた。横穴とラファエルは言っていたが、それがここには見当たらない。もう少し、その音がする方向へ戻らなければ横穴は見つかりそうになかった。
「戻れないわ!追手が来てるのよ、追われてしまうわ!」
他の巫女が言う。ジーナは、慌ててその巫女を押さえた。
「シッ!ここに居ると気取られてしまう!」
だが、もう、遅かった。
「誰だ?!」
暗みの向こうから、怒鳴るような男の声と、ドカドカと多数の足音が入り乱れたような乱暴な音が近付いて来るのが分かる。
「ああ!」
巫女達は、その音に怯えて水路の方へと出来るだけ寄った。だが、そこにはもう、何もない。残っているのはあちらから切られてしまったロープで、それも水流の中へと力なく垂れ下がっていた。
だがもしこれがあちらへ繋がっていたとしても、渡る事など出来なかったであろうから、結果は同じことだった。
「どうしたらいいの…。」
そんなに乱暴な音を聞き慣れていない巫女達は、脅えて縮こまった。ここには自分達だけ、誰も助けには来ない。
そうして六人がそこで一塊になってただ震えていると、目の前には、手に光を持った甲冑を来た武骨な男達が、わらわらと現れた。
「白い髪…?お前達は、神殿から逃げた奴らか!」
男の一人が怒鳴るように言う。怒鳴るなどということを、生まれてこの方見たことがなかった彼女らは、ただ恐ろしくて目を閉じて顔を手で覆って座り込んでしまった。
すると、後ろから、ガッツリとした体格の、大柄の男が兵士達を掻き分けてズカズカと前へ出て来た。今怒鳴っていた男は、その男が来たのを見て、頭を下げた。
「将軍。」
相手は、巫女達を見た。
「ふーん。皆色素が薄い。これは噂に聞いておるパルテノンから逃げた奴らだな。」と、ずいと巫女達に寄った。「お前達だけか。他はどうした。」
巫女達はひたすらにしゃがみ込んでそちらを見ないように顔を覆っている。男は、そのうちの一人の腕をつかんで言った。
「答えぬか!」
腕を掴まれたのは、ソフィーだった。ソフィ―は、そんな風に扱われたことがなかったので涙を流しながら相手を見上げた。
将軍と言われた男は、じっとソフィーを見つめて言った。
「ふむ。こうして見ると普通の女だな。巫女だというからにはどんな気を持つヒトなのかと思っていたが、案外にそうでもないのか。」と、ソフィーを急に睨みつけた。「他の奴らはどこだ?!」
怒気を孕んだ声でそう言われて、ソフィーは詰まりながらも、やっと言った。
「あ、あちらへ…!我らは置き去りにされたのでございます…っ!」
ソフィ―が指した先は、少し上にある亀裂の方向だった。よく見ると、こちら側から渡してあっただろうロープが、ブランと力なくぶら下がっている。男はソフィ―を放り投げるように放すと、屈んでそのロープを手に取った。
「…渡ったか。これらは足手まといと見て置いて行ったとみえる。思ったより頭の良い奴らよ。こういう輩は誰も見捨てられぬと己まで犠牲になる愚かな者が多いのだが、この相手はそうではないようだ。我らが近付いておるのが分かっておっただろうしな。では…」
言いかけて、男は黙った。何やら、突然に水路の上流の方を見て眉を寄せ、何かを聞いているような顔をしている。
「エドアルト様…?」
兵士の一人が声を掛けると、男はサッと手を上げた。
「シッ!」と、また目を真っ暗な水路の上流へ向けた。「…来る。グルーランの気配が近付いて来る!」
グルーランと聞いてそこに居る兵士達が、一斉に慌てふためいたのが見えた。エドアルトと呼ばれた男は、サッと踵を返した。
「その女達を連れて来い!ここから離れる!」
そうして、奥へと駆け出して行く。
巫女達が何事かと水路と兵士達を代わる代わる見ていると、兵士達がジーナやソフィーの腕を掴んで引っ張った。
「早く来い!魔物が来るぞ!」
しかし、巫女達は兵士に恫喝された時に腰が抜けていて、足腰が立たない。
兵士達は、無理に巫女達を引っ張り上げようとして水路の方を見て、そして、固まった。
巫女達が何事かと振り返ったそこに居たのは、真っ暗だった水路に浮かび上がる、大きな光る目の魔物達の群れだった。




