意地2
アーバンが渡り切ったのを見たディーンは、少し勇気を得たようだった。アーバンの時よりも落ち着いた様子で、思い切ってロープへとぶら下がっていた。
ディーンは、他の誰より体格が良い方で、案外に大丈夫そうだった。バルナバスは、アーバンの時と同じように途中まで行ったが、ディーンはバルナバスが真ん中へと到達する前に、かなりの距離を来ていた。バルナバスがディーンは大丈夫だと見て、次の名を呼んだ。
「次!マティス!」
いつまで経っても、巫女達の名は出ない。争っていた巫女のうちの二人が、無理やりにカバンへと足を突っ込んで、二人が我先にとその場から跳んだ結果、二人がカバンに入ったまま、地下水脈の上に張られたロープにぶら下がった。
二人分の重さが掛かり、ロープはジリジリという嫌な音を立ててたわんだ。
「きゃあああああ!」
大きく揺れて、二人は悲鳴を上げる。バルナバスは、額から玉の汗を吹き出しながら、そんな事が横で行われているのに冷静にディーンを岩の上へと引っ張り上げた。
「早く!早くそちらへ!」
二人は、必死にカバンの持ち手にしがみつくようにして、こちらを見て叫んでいる。美夕は、急いで滑車のロープへと手を伸ばしたが、引こうとしても、その重みで美夕の力では無理だった。
「ラファエル様!お手伝いください、私では無理ですわ!」
美夕が叫ぶ。しかしバルナバスは、息を上げながらまたこちらへ向かって来ているマティスを見て、言った。
「無理だ。このまま無理に引くと摩擦の強さにロープは持たない。恐らく、途中で切れる。あの二人で何キロの重さがロープに掛かっていると思っているのだ。」
そう言い捨てると、バルナバスはロープを降りて行った。美夕は、驚いてラファエルを見上げた。ラファエルは、もはや人形のような無表情でそこに立っている。次に美夕は、岩と滑車に接触している場所のロープを見た。
ギシギシと、擦れるたびに嫌な音を立てているそこは、思ったよりささくれてジリジリと編んである糸が一本、また一本と切れている様が目に入った。
「動かないで!」美夕は、巫女達に叫んだ。「駄目よ、動いちゃ!」
二人が怯えて動く度に、滑車を通ったそのロープの面は行ったり来たりして皮肉にも危険さを増しているのに気付いたのだ。
「早くそちらへ!二人を一度にそちらへ送れば、すぐにみんなそちらへ行けますわ!」
洞窟の出口に居る巫女達が叫ぶ。だが、そんなはずはなかった。今ぶら下がっている二人すら危ないのだ。
「ロープがもたないのよ!ここが切れそうになってる…動く度に千切れて来てるの!二人とも、隣りのロープへ移って!もうこっちは無理よ!」
カバンに入ってぶら下がっている二人は、顔色を青くして首を振った。
「そんな!無理だわ、早くカバンをそちらへ!」
そう言っている間にも、バルナバスに誘導された四人目の修道士であるマティスも、こちらへ到着した。美夕は、修道士達に訴えた。
「このままじゃロープが切れて巫女達が流されるわ!助けてあげて!」
しかし、四人は美夕の言葉にも、じっと下を向いて苦渋の表情でこちらを見ることもしない。美夕は、またラファエルを見上げた。
「ラファエル様!」
ラファエルは、元々白い顔を更に真っ白にして、口を開いた。
「…あれらは、己の命の危機に瀕して心の闇を現わした。我が命を懸けて守るべき者は、清くいつの時も皆のためを思う命。我が命を懸けて守るべきものは、同じように己の命を懸けて皆を守ろうとする命。アガーテのように。今、あれらは我に、己がそうではない事実を目の前で見せたのだ。我はあれらを助けることは出来ぬ。己のために己が戦うのは良い。だが、それは皆のための命ではないので、我が守るべき命ではない。」
つまり、ラファエルは自分と同じような命として皆を守っていたが、今は自分のことしか考えない命だと分かったので、そういう命のために自分の命を懸けてまで助けられない、と言っているのだ。
誰も、それに異を唱えるものはいない。
美夕は、全員がそう思っているのだとそれで分かった。
「そんな…!」美夕は、下を覗き込んだ。「早く!無理でもそっちのロープから渡れなければ助からないの!もう、ロープが…!」
美夕やバルナバスの目の前で、ロープの滑車に当たっている部分からバシッバシッという音が聴こえだした。ハッとして見ると、ねじるように編んであったロープの繊維がいきなり物凄い勢いで切れ始めていたのだ。
段々に切れて細くなり、ある地点で耐えられない太さまで来てしまったのだろう。
「ああ!!早くロープをせめて掴んで!!」
美夕は、そちらへ向かって叫ぶ。
だが、ヒュンヒュンという音と共に、ロープはぶっつりと切れて宙へ舞った。
「あああああ!」
二人は、美夕の剣幕にそれが嘘ではないと悟って、目の前の一本のロープへと手を伸ばしていたところだった。
ロープは切れて、それに支えられていたカバンは水流に流されて見る見る見えなくなって行った。
二人はロープを掴んで、手だけで地下水脈の上に宙ぶらりんになっていた。
「ああああ!助けて!助けてーー!!」
巫女達は叫ぶ。だが、こうなってしまっては、誰も助けることは出来なかった。バルナバスが動く様子もなく息を切らせて見ているだけの今、自分の力で、あちらへ帰るか、こちらへ来るしか助かる道はないのだ。
「そっちへ!戻った方が近いわ!早く…手がもたなくなるわ!」
だが、その瞬間、一人の巫女の手が離れた。
その衝撃でロープが揺れ、もう一人もそれを追うように水へと落ちて行った。
「ああ!」
美夕は思わず、目を押さえた。これでもう駄目だ…巫女達は、こちらへ来る手段を失ってしまった。巫女でこちらへ渡って来れた人は居ない。唯一戦闘員である美夕だけが、ロープで渡って来れたのだ。
そこに居る全員が、呆然とその状況に黙り込んでいる中、一人の修道士が、進み出て言った。
「行きます。それしかもう、方法はない。」
進み出たのは、アリスターだった。アリスターは、自分が次の順番なのだと、もう知っていた。なぜなら、魔法の巧みさで序列をつけるとしたら、次は自分だったからだ。
バルナバスが黙って頷くと、アリスターはロープへと向かった。もはや順番が分かっているので、最後の修道士であるアーロンもその後ろに従っていた。
「先に行く。すぐ後ろへついて来い。」
アリスターが、アーロンに言った。アーロンは頷き、緊張気味に構えた。
巫女達が、悲壮な顔で叫んだ。
「我らは!我らはどうしたらよいのですかっ?!」
こちら側では、アリスターとアーロンが、綺麗に等間隔に並んでこちらへとロープを進んで来ているのが見えた。ラファエルは、無表情で言った。
「追手が近い。潜むなら横穴へ。助けを待つのならなるだけ地上に近い位置で待つが良い。我ら、必ず戻って参る。主らの心根を知ったからと最後まで見捨てることはない。ゆえ、それまで生き延びることを考えよ。だが、間に合わぬやもしれぬ…己を助けるのは、己ぞ。本来、巫女とは己より他を助けるために存在するもの。今の主らは、巫女ではないのだ。我も、一般の人を一人一人助けておれる余裕はない。多数の人を助けるため、一刻も早く己の責務を果たさねばならぬのだ。」
ラファエルは、水音に負けないよく通る声でそう言うと、くるりと踵を返した。
「ラファエル様~!」
巫女達の、悲鳴のような声が聞こえる。ラファエルは、こちらへと渡って来た修道士達とバルナバスの前に来て、言った。
「参る。」
バルナバスは、頭を下げた。そして、今渡って来たアーロンとアリスターを手伝って引き上げると、まだ必死に叫ぶ巫女達には目もくれずに、そのロープの端をナイフで切った。
追手が、すぐに来られないようにしたのね。
美夕はそう思ったが、あまりに無慈悲な気がして、とても巫女達を見ることが出来なかった。
「では、こちらへ。」
バルナバスが、剣を光らせて足元の光を確保しながら先頭を行くのを見送って、その後ろをトボトボと修道士六人が続き、レナートも無言で従って行くのを見てから、美夕はやっと立ち上がった。ラファエルは、美夕のすぐ前を歩き出したが、そのラファエルが、小さく呟くのが聴こえた。
「…すまぬ。」
巫女達の叫びはまだ追って来ているようだった。
だが、もう誰も振り返らなかった。
リーリアを含めた三人の巫女が流され、そして6人の巫女が向こう岸に取り残された状態で、美夕達は無言のまま前へと進んで行った。




