試練
その頃、美夕達はバルナバスによって準備された滑車付きのロープの前で佇んでいた。
しかし、このロープがどれぐらい滑車の往復に耐えられるのかは分からない。
それを知っているだけに、自分が滑車を使うのだと誰も言い出せずに居た。
滑車の下には、バルナバスが背負っていた大きなリュックが吊るされ、ちょっとやそっとでは落ちそうにはなかったが、それに入って運ばれている間は気が気でないだろうと美夕は思っていた。
バルナバスが、簡単にそのロープだけであっちとこっちを往復するのは見ていた皆だったが、それと同じことが自分にも出来るのかと言われたら、いくら若くても長く地下の神殿で隠れ住んでいた者達の体力ではあまり自信がなかった。
それでも、バルナバスはラファエルの前に膝をついて、言った。
「ラファエル様、どうかお先に。私が向こうへ渡り、あちらからロープを引いてこのカバンをあちらへ渡します。ここは一番にラファエル様がご無事で渡られるのが重要かと。」
しかしラファエルは、そのカバンからバルナバスへと視線を移して、首を振った。
「我は皆を守る役目。地下水脈に居るという魔物は命の気を辿って参るのだろう。我が、ここで命の気を遮断する結界を張って皆を守るゆえ、主らはその間にあちらへ渡るのだ。古来の術であるから、命の気を使わぬし案ずるでない。」
バルナバスは、驚いたようにラファエルを見上げた。
「そのような!あちらへ渡っても、結界は張ることが出来ます。ラファエル様より先に皆を渡すなど!」
だが、ラファエルは聞かなかった。
「我に仕えておる者達を守るのが我の役目と常申しておるではないか。これだけは譲れぬ。主は我に仕えておるなら、我の考えに従って皆をあちらへ無事に渡すことを考えよ。」
バルナバスは、眉を寄せて拳を握りしめて下を向いた。バルナバスにしてみれば、ラファエルより大切なものなどないのだろう。つまりラファエルを助けるためなら、他の誰の命も犠牲にするのも厭わないのだとその時美夕は思った。
なので、美夕は割り込んだ。
「ラファエル様、ではその結界は私にも張れますね。」ラファエルは、それを聞いて美夕を見た。美夕は続けた。「私がこちらでその結界を張ります。ラファエル様は先にバルナバスとあちらで皆を渡す手伝いをなさってください。いくらバルナバスでも、たった一人で渡る者達を補佐するのは難しいのでしょう。しっかりとした男手が要るのだと思います。見たところ、他の修道士達ではそこまでは無理そうですし、皆を無事に渡すのならラファエル様はあちら、私はこちらで待機して、何かあった時は他の術が放てるように構えておくのが一番いいかと。」
バルナバスが、顔を上げた。ラファエルは、迷うように美夕を見ていたが、バルナバスに視線を移した。
「主一人では荷が重いか?」
バルナバスは、すぐに答えた。
「はい。お恥ずかしい限りでございますが、この人数をたった一人では私も自信がございません。申し訳ございません。」
素直なラファエルは、それを言葉のままに受け取ったようだ。軽く一つ頷くと、美夕を見た。
「では、こちらからの結界を主に任せよう。」と、バルナバスに頷きかけた。「我に遠慮はせぬで良いのに。己の力が及ばぬと思うなら、いつなりそう申せば良い。」
バルナバスは、深く頭を下げた。
「は!ありがとうございます。」と、カバンへとラファエルをいざなった。「では、こちらへ。人の体重には耐えられると試しておりますので、ご心配なく。」
ラファエルは、その袋へと立って入った。そうは言っても、実際に人を入れて動かすのは初めてなので、それがどうなるのか分からないが、バルナバスがラファエルを入れるぐらいだから恐らく絶対に大丈夫だという自信があるのだろう。
美夕は、杖を構えて、覚えたての古来の結界の呪文を唱え、前へと杖の先を差し出す。すると、美夕の目には杖の先から出た明るい光が見えて、それがまるで花火のように打ち上がり、丸くその辺りを包むのがはっきりと見えた。後ろに居た修道士や巫女達が、それを安心したような目で見ているのが分かった。
ラファエルがカバンに入ったのを見てから、バルナバスはまた、スルスルとロープを伝ってあちら側へと渡って行く。それがどんなに簡単なことなのか、皆に示そうとしているようだった。ここ数時間、ずっと皆の縋るような視線を受け続けて来た美夕にはもう、そうやって自信を持たせるのも必要なことだと、分かっていた。命の刻印を持つというだけで、回りはこれほどに美夕を頼りにしているのだ。だから美夕も、それに応えなければという使命感を感じていた。
「では、参る。」
ラファエルは、カバンに入ったまま、ブランとロープにぶら下がった。
カバンは、不安定に左右に揺れたが、そのうちに揺れは収まり、それを見たバルナバスが、向こう側から慎重にロープを引いて引き寄せて行った。
足の下では、ゴウゴウと大量の水が岩壁に打ち当たっては流れている。
その真っ黒い水の上を、光の魔法で頭を光らせているラファエルが、ゆっくりと移動して行くのを、こちら側から皆で見守った。
そうしていると、特に問題もなく、ラファエルは向こう側へと到達し、バルナバスもホッとした様子でラファエルを引き上げた。
「カバンを戻すぞ!」
バルナバスが叫び、空になったカバンはこちらへ向かってスルスルスルと素早いスピードで戻って来た。
次はどうするとなった時、皆の目が一斉に美夕を見る。美夕は、驚いた。もしかして、指示を待っているの?
美夕がどうしようかと戸惑っていると、リーリアがキッと顔を上げて、皆を見た。
「ここは、お年寄りから先でしょう。レナートさんに行ってもらいましょう。」
急にリーリアがそんなことを言い出したので、他の皆も驚いているようだったが、承認をえるためか美夕を見つめて来る。美夕は、皆に向かって頷いた。
「じゃあ、体力に自信がないからオレから行かせてもらうよ。」レナートは、皆の間を抜けて、カバンを手に取った。「後になるほど迷惑を掛けるだろう。あっちへ渡ったら、引き上げる手伝いぐらいは出来るよ。力だけは鍛冶で鍛えててあるから。」
レナートは、言い訳のようにそう言うと、カバンに入った。
「よーし、降りていいぞ!」
バルナバスがこちらの様子を見て、叫んで来る。レナートは、それを聞いて、思い切ったように水路の上へとカバンごと飛び出した。
カバンは揺れながら、またあちら側へと無事に運ばれて行った。キシキシと嫌な音はするが、それでもこちら側で見ている限りロープに異変は無いようだ。
だが、バルナバスが向こう側から言った。
「やはり滑車と接して少し傷んで来ている。ここからは自分で来れそうな者は私と同じ方法で来るんだ。ロープが完全に弱ってからだと、渡れなくなるぞ。」
ロープに手足でぶら下がって進んで行けということか。
美夕は、少し緊張した。ここに居る者達は、長くあまり運動もして来なかったのか、腕は細くて自分を支える力が果たしてあるのだろうか思わせる風情だった。常に魔法に頼って生きて来たので、力自体は無いようで、ここまで歩いて来る間も、お互いに治癒の術で癒しながらの道中だった。
色が白くて全体的に淡い色彩なのも手伝って、ひ弱に見えて美夕は心配だった。
そんな中、リーリアが前に出た。
「私が行きます!体力には自信があるから。」
美夕は、仰天してリーリアを見た。一番力が無さそうなのに。
「リーリア、あなたは待った方が良くない?両手の握力が自分の体重と同じでないと体を支えるのは難しいらしいわよ。無理じゃない?」
リーリアは、それを聞いて美夕を睨むように見た。美夕は、その強い視線に驚いて、黙る。リーリアは、吐き出すように言った。
「出来るわ!あなたのせいで…あなたがそんな腕輪なんかを見たいと言ったせいで、軍が神殿の位置を知ってしまったのに。あなたせいで、みんなこんな目に合って、あなたのせいでアガーテ様もアライダ様もここには居ないのに!命の刻印があっても、あなたはみんなに迷惑ばかりかけてる!私だって選ばれた巫女、あなたより出来ることがあるわ!」
他の巫女や修道士達が、困惑したように顔を見合わせた。ここのところの動きのせいでそういった原因をすっかり忘れていたようだったが、美夕がどういう経緯でこういう事態を引き起こしたのか思い出したようだ。
美夕は、それが真実なだけに、言い返すことが出来なかった。絶句している間に、リーリアはさっさとロープの方へと向かうと、サッとそれに掴まって、両手足でぶら下がった。
「リーリア!」
それを止めるようなラファエルと美夕の声が飛んだが、リーリアはキッと唇を引き結んで、一歩一歩腕を動かしてロープの下を進み始めた。




