シャルクス
地下水脈の中は、思ったより広く、上流へ向かうと何本もの支流が本流に流れ込んで来て出来ているのだと分かった。
シャルクス達は、10人のヒトを乗せたままその激しい流れなどものともせずに登って行き、途中翔太が見ている限りでは、シーラーンがある北東の方向ではなく、本流から外れて北の方角へと向かっているように感じた。腕輪の方位磁針は、確かに北へと向かっていると知らせていた。
そうしているうちに、狭くなって来ていたその地下水脈の流れが、急に広い、湖のような場所へと抜けた。
遠い地上には木々が茂っているのが見え、ちらりと空が見えるような気がした。しかし、僅かな隙間なので、恐らく上からはこちらが見えないだろうと思われた。
その地底湖を横切って行くと、脇の岸にある洞窟の中から、ショーンが走り出て来て、こちらへ向かって手を振った。
「おーい!ショウタ!」
翔太は、ショーンの姿に歓喜して両手を振った。
「ショーン!ああよかった、無事だったんだな!」
ラディアスが、翔太を岸へと押し上げてくれる。翔太は、ショーンが居る洞窟の前の岸へと上がり、ラディアスを振り返った。
「ラディアス、すまないな。感謝する。疑って悪かった。」
次々に、他の仲間も上陸して行く。
ラディアスは、フンと排気口を鳴らした。
『まあ、主らから見たら我らは魔物であろうしな。我らから見たら、ヒトこそ魔物よ。少し休めば良いわ。積もる話しもあろうしな。』
ラディアスはそう言い置くと、スーッとその湖の底へと他の仲間と沈んで行った。翔太はそれを見送ってから、ショーンを振り返った。
「びっくりしたよ、オレ達が地下水脈を越えようとしたらあいつらが現れて。てっきり殺されるんだと思って逃げ出そうとしてたんでぇ。」と、ショーンについて洞窟へと歩きながら、言い出しにくそうに続けた。「それで、他の三人は…。」
ショーンは、笑って言った。
「ああ、心配すんな。オレがついてるって言っただろうが。…とは言ってもオレももう駄目かと思ったんだけどよ。」
すると、洞窟の中から慎一郎と玲が走り出て来た。
「翔太!無事だったんだな、ラディアスが神殿の辺りは軍だらけだとか言うから、もう駄目かと思ってたんだ。」
翔太は、ボロボロではあるが元気そうな二人にホッとして笑った。
「ああ、オレ達もヤバいところだったんだが、白玉が騒ぐから様子を見に行って…ああ、紹介しとこう。アガーテだ。ラファエルを育てた巫女なんでぇ。」
翔太のすぐ後ろには、びしょぬれになってはいるが、それは美しいアガーテが杖を手に立っていた。ショーン、慎一郎、玲の三人は呆気にとられた様子で、アガーテを見たが、アガーテはそれは機嫌の良い様子で微笑んだ。
「主らがショウタの仲間か。我がアガーテじゃ。ショーンとやら、主、かなり強い血筋の末のようよな。その気は何ぞ?我ら巫女と通じるものがあるの。」
ショーンは口も半開きの状態で固まっていたが、名を呼ばれてハッと我に返って答えた。
「ああ…オレは大陸の、命に刻印がある男の末なんでぇ。というか、お前がアガーテ?ショウタからはかなり婆さんだと聞いてたんだが…。」
口は悪いが内容は玲も慎一郎も思っていたことらしく、二人も無言で何度も小さく頷く。アガーテは、腰に手を当てて膨れっ面になった。
「うるさいの。その通りよ、主らから見たら我はかなりの歳じゃ。というてまだ75であるし、魔法の腕は衰えておらぬぞ。これはショウタの手を煩わせぬため、己で己の面倒を見ようと術で若い頃の姿になっておるだけじゃ。これのせいで、この姿の間は他の術が放てぬのよ。」
そんなことが出来るのか。
また慎一郎と玲が茫然としているのを横目に見て、ショーンは納得したように何度も頷いて、アガーテの姿を頭の先からつま先までとっくりと眺めた。
「へえええ、自分の姿すらそうしちまうのか。それは凄いな…まあオレ達の所じゃ、魔物だって人型になってるぐらいだからそう驚きもしないがな。」
それには、翔太が驚いてショーンを見た。
「なんだって?魔物が人間の形に?」
ショーンは、奥へと皆を促して歩き出しながら頷いた。
「あんまりあっちのことは話さないでおこうと思ってたんだがな、ここで生き残ろうと思ったらオレのあっちでの知識も必要だと分かったからよ。シャルクス達とだって、結局あっちで使ってる巫女の術の、意思を通わせる魔法で話せたんだ。だからこうして助けられた。奥へ来い。話そう。」
そうして、10人は洞窟の奥へとショーンについて歩いて行った。
ショーンの話は、絶体絶命の中での破れかぶれの手だったことを翔太達に納得させる内容だった。
ショーンと玲、慎一郎が固唾を飲んで黒い水の中の光の上に見え隠れする黒く光る背びれらしきものを待ち構えていると、その背びれは一斉に三人が居る岩棚の前でピタリと止まった。
グルルルルという低い振動するような音と、キーッという音波のような音が聞こえる中、一斉に黒い頭が水面に飛び出した。
その頭は、シャチのそれだった。
ただ、目が鋭く大きくて、光っていた。
いろいろなことを経験しているショーンだったが、それでもこの魔物は初めて見るもので、一体これに知能があるのかなど、全く分からなかった。
だが、賭けてみるしかない。ショーンは手を翳すと、手近な魔物に向けて、その術を放った。
すると、相手はこの地下水脈で魔法を放って来るとは思わなかったのか、慌てて水底へと潜った。それを追おうとする術の波動を遮るように、一番大きな体の魔物がぐいと前へと出て、もろにその波動に当たった。
他の魔物達が、怒ったように一斉に唸り声を上げる中、その大きな魔物はショーンを見上げて、睨みつけるような視線を向けて、言った。
『…こんな場所で使える術を操るとは、お前は何ぞ?まさかアレクサンドルの手の者ではあるまいな。』
その、あまりにはっきりとした言葉に、ショーンは希望を持った。この魔物は、しっかりとした知性を持っている!
「オレ達はそのアレクサンドルに追われてる!」ショーンは、早口にまくしたてるように言った。「今放ったのはオレの血筋に伝わる術で命の気を使わねぇんだ!意思を疎通させる術で、お前達が何を思ってるのか分かるようにしたんでぇ!」
相手も驚いたようで、しばらく黙った。回りに居る幾分小さめの魔物達は、クイクイと鳴いて話をしているようだった。
そのひと際大きな魔物が、言った。
『…意思を疎通できるヒトに会ったのは、お前で二人目ぞ。お前達が何を言うておるのかは、我らには分かっておった。前に会話出来たヒトから聞いて学んだからだ。だが、お前達は我らの言葉を理解出来なかった。分かっていたが、何も聞かずに殺すのは我らの流儀に反するのでな。とりあえずは話しかけることにしておる。で、アレクサンドルに追われておると?部下からまたヒトが紛れ込んでいると報告を受けて見に参ったが、あのヒトの女も同じようなことを言っておったの。あれと一緒に居たのはお前達か。』
それを聞いた慎一郎が、岩棚の上から身を乗り出した。
「聡香か!?聡香はどうしている、生きているのか?!お前らに食われたんじゃないのか?!」
ショーンは勝手なことを言ってくれるなと慎一郎を押し返したが、その魔物は、気分を害したように体を揺らした。
『生きておるわ。あのな、我らはヒトなど食わぬのだ。そう旨くもないし、いくらも命の気を持っておらぬではないか。あんなもの食っても無駄でしかないわ。お前達から悪い気を感じぬしこっちが話しかけようと口を開いたら水と一緒に口の中へ入ってきおって、こっちが息が詰まるかと思うたというに。あの後傷つけぬように吐き出すのにどれほど難儀したか。気を失っておるしあのままでは死によるし。その間に他の奴らは流されて行くしの。』
ショーンは、目を丸くした。
「え、じゃあ食おうとしたんじゃなかったのか。」
相手は、大きな頭を振って頷く仕草をした。
『そうよ。せっかく話を聞いてやろうとしたのに、騒いで勝手に怯えておったのはお前達の方ぞ。ならばあの時、さっさとこの術を放っておったらよかったではないか。回りくどいことをしおって。』
ショーンは、バツが悪そうに魔物を見た。
「あの時はそんなことを思うほど余裕がなかったんでぇ。いきなり見たこともないようなもんが目の前に現れたら、誰だってああなるだろうが。」
すると、慎一郎が横から真剣な顔で言った。
「では、聡香を助けてくれたということだな?ここに迷い込んだら生きて戻れないって聞いてたんだが、そうじゃなかったってことか?」
相手は、答えた。
『生きては戻れぬだろうな。主ら水の中では呼吸が出来ず死ぬだろう。我らはヒトなどに興味はないし、普通は放って置くのだ。だが、アレクサンドルの軍であったら話は別ぞ。食いはせぬが二度とここへ来る気が起きぬよう、全て殺して海へ流しておるわ。』
慎一郎と玲は、それを聞いて体を硬くした。殺していたのか。
ショーンは、それでも言った。
「だったら、お前達はアレクサンドルと敵対してるんだな?助けてくれと言ったら、助けてくれるか。」
相手は、気が進まなさそうだったが、渋々と言った感じに答えた。
『まあ…面倒だがしようがないの。あやつがまた何をしようとしておるのか知らぬが、思う通りにするのは癪よ。あのお前達の仲間の女も預かっておるし、助けてやってもよい。だが、お前達の状況を細かく話すのだぞ?我らとて詳しい情報が欲しい。この体では目立って潜んで情報収集など出来ぬで、せいぜいこの聴力を使って盗み聞くしかないので、イライラしておったのだ。ちょうど良いわ。』
ショーンは、他の二人に頷きかけた。玲と慎一郎はそれを見てもしかしてとギョッとした顔をしたが、ショーンは構わず魔物目掛けて飛び降りた。
二人が茫然とそれを見送っていると、ショーンは魔物を目指して飛び降りたのだが、相手はスッとそれを避けた。そしてボチャンと派手に水しぶきを上げて落ちたショーンを、下からすくい上げるようにして背に乗せて持ち上げた。
ショーンは、ゲホゲホとむせながら、文句を言った。
「こら!なんで避けるんだよ、思いっきり水飲んじまったじゃねぇか!」
相手は、涼しい声で答えた。
『我を何だと思うておる。ヒトなどが背に落ちて参ったら痛いではないか。助けてやるのだから贅沢言うでないわ。』と、上を見上げた。『お前達も。来ないなら置いて参る。』
二人はそれをビクビクと見ていたが、他に選択肢はない。
ショーンに倣って二人共に、意を決して水へと飛び込んで、そうして三人は、魔物達に連れられて地下水脈を遡って行ったのだった。




