行方
ただ成す術なく激流に流されて行ったショーン、慎一郎、玲の三人は、途中大きくカーブした地点が近付いて来るのを見て、ショーンが玲を見て手を振った。
「レイ!縄だ!」
玲は、必死に肩から縄を外すと、沈みそうになるのをショーンに支えられながら、構えた。
「上だ!上に!」
ショーンは、水に何度も沈んで喘ぎながら叫ぶ。玲は、ショーンが何を言っているのか分かった。段々に近付いて来る、その場所に棚のような形にせり出している箇所が見えたのだ。
その場所まで高さは数メートルあったが、玲はショーンを踏み台のようにして、そこへ向かってタイミングを計ってかぎ爪を放った。
ガツッという音が聞こえて、グイと肩にかけていた縄が締まるのを感じると同時に、ショーンと慎一郎の腕が、自分の体のあちこちを物凄い力で掴むのを感じた。
「ロープを!登るんだ!」
ショーンが水に半身を流されながら叫ぶのを聞いて、玲は腕を回して巻き付けていたロープをほどいた。腕にかかって来る三人分の重みを震える腕で支えながら、渾身の力を込めて上へと両腕で掴まった。
外れたロープの端が玲に掴まるショーンと慎一郎の前に垂れ下がり、二人は急いで自分の力でロープへと移る。一気に楽になった玲は、腕の力だけでスルスルとロープを上がって行くと、上に張り出した棚へと這い上がった。
続いてショーンが上がって来る。慎一郎は揺れるロープに四苦八苦していたが、少し時間を取り休みながらも、何とか自分の力で上へと這い上がり、そこで突っ伏して息を上げて倒れた。
「はー…。今度こそ、駄目かと思った。」
ショーンが、後ろの岩へと背を預けてへたり込みながら言う。玲は、ロープを巻き取りながら、言った。
「一時逃れただけかもしれない…見ただろう、あの魔物を。」
慎一郎は、仰向けにひっくり返ったまま、起き上がろうともしない。ショーンは、それを聞いて真面目な顔になった。
「…お嬢ちゃんのことは、残念だ。こんな旅じゃあ、自分の身を自分で守れるヤツが生き残る。ここじゃ魔法が使えねぇし、ここで自分の身を守れるヤツなんて少ないだろう。オレ達も、お前の言うように一時逃れただけだな。このままじゃ食われる。あれがもう腹いっぱいでもあれの仲間が探しに来るだろうしよ。」
慎一郎が、いきなり起き上がった。
「腹いっぱいなんて言うな!聡香は…最後まで助けを呼んでたのに!」
玲は、巻き取ったロープを脇へと置きながら言った。
「慎一郎、やめろ。お前のは八つ当たりだ。オレだってあの時は助けを呼びたかったよ。あんな時どうやって助けるって言うんだ。お前だって精一杯だったろうが。誰にもどうにも出来なかった。」
慎一郎は、黙って横を向いた。涙を堪えているのだということは、玲にもショーンにも分かった。なのでしばらく、三人は黙ったままで、これからどうしたらいいのかも思いつかずそこで座っていた。
一時間ほどして、体力も気持ちも落ち着いて来た頃、ショーンが言った。
「なあ。」慎一郎は動かなかったが、玲がショーンを見た。ショーンは続けた。「このままここに居ても、遅かれ早かれあの魔物が来る。ここではルール違反じゃねぇかと思ってたんだが、あっちでは巫女に伝わる術ってのがあってな。」
それには、慎一郎も顔を上げた。ショーンは続けた。
「あっちの神に仕える巫女に伝わって来た術なんだが、オレにもそっちの血が混じってるのか使えるんだ。ま、力さえあってコツさえ分かれば誰でも使える術なんだが…知性のある魔物となら、話せるようになる術があるんでぇ。」
玲と慎一郎は、息を飲んだ。
「そ、それは、魔物と話せるって?」玲が、驚いて詰まりながら言った。「じゃあ、あの、あのさっきのデカいやつともか?」
ショーンは、気が進まなさそうな顔で頷いた。
「大きさは関係ない。知性だって言っただろうが。魔物の中には、きちんとしたヒト顔負けの思考能力を持ったヤツも居るんでぇ。そんなヤツは、オレ達の国じゃあヒトと共存して生きている。その巫女の術があれば、魔物は話せるし人型を取れる。オレには人型にすることは出来ねぇが、意思疎通出来るようにする術は使える。もしヤツが知性を持った生物だったら、とりあえず話はすることが出来るんだよ。まああっちが話を聞くかどうかは分からん。魔物にもいろいろ居るし、粗暴なヤツもおとなしいヤツも居る。いきなり食いついて来たんだからあれは間違ってもおとなしくはないだろうがな。」
慎一郎が、口を開いた。
「…じゃあ、聡香がどうなったかも、そいつに聞けるってことだな?」
ショーンは、長く息を吐きながら頷いた。
「だから、相手が知性を持ってたらな。だいたい話せる魔物なんか少ないんだ、ほとんどは断片的な単語ぐらいしか伝わって来ねぇし意思疎通なんか無理なんでぇ。あっちでも二、三種類ぐらいしか居ねぇ。だから、あんまり期待はするな。これしかもう、方法はねぇからやってみるかと思ったんでぇ。オレだって死にたかねぇし、万に一つの可能性を考えてやってみる。」
玲が、何度も頷いた。
「話せるなら時間稼ぎぐらいにはなるかもしれない!こっちが分かるとなったら話ぐらいは聞くかもしれないだろう。」
ショーンは、玲に顔をしかめて見せた。
「あのな、今さら時間稼いでどうするってんだよ。どこにも逃げ場はねぇんだぞ?魔法だってこの調子だ。」ショーンは、自分の照明代わりのぼうっと光る髪を振った。「逃げる事なんて出来ねぇよ。相手が知性を持ってて話が通じる事を祈るしかねぇ。」
そう言っている間に、遠くから地響きするような低い唸り声が聴こえてきた。ショーンは、身を硬くした。
「…おいでなさった。」
目が慣れて来ていて、ショーンの髪の光だけでも結構な距離を見通せるようになっていた三人は、川上の方を見た。
大きな魔物の背びれらしきものが、幾つもこちらへものすごいスピードで向かって来るのがうっすらと見えた。
ロマノフは、リュトフから事のあらましを聞いた。
戦闘員を捕らえに行かせた部隊の大半はそこには居なかった。
残った者達もあちこちに傷を負っており、とても任務につけるような状態ではなく、皆救護班に治療を受けている。
だが、リュトフだけはロマノフの側に残り、ただうなだれて膝をついて控えていた。
もはや寝る事も考えられなくなったロマノフは、イライラと考えていた。あの、アレクサンドルが血眼になって探し続けている、紋章が腕にある戦闘員が、確かに奴らに混じっているという。そうなれば、なんとしても捕らえてシーラーンへ連れて行かねばならない。そうすれば、一体何をアレクサンドルが長年しようとしていたのか、その全貌が明らかになる…。
ロマノフが答えの出ない状態でそこに座っていると、聞きなれた声が入ってきた。
「シードル。」
自分をファーストネームで呼ぶのは一人しかいない。ロマノフはそちらを見ずに言った。
「なんだエドアルト。パルテノンの生き残りは?」
エドアルトは、寄ってきて首を振った。
「まだ見つからん。だが、崩れた岩を取り除かせていたら、通路らしきものが見つかった。そこを今探させている。」
ロマノフは、目だけでエドアルトを見た。
「…ならば早く捕らえてしまわねば。こっちは戦闘員達を追い詰めておきながら取り逃がした。」
リュトフが、ボロボロのままでうなだれているのに、チラと視線を向けてから、エドアルトは頷いた。
「そのようだな。だが、あいつらは一筋縄では行かぬのは分かっておるではないか。イライラしても始まらぬ。外でチラと聞いて来たが、地下水脈の方へ逃れたようではないか。そうだとしたら、生きているかも疑問だ。お前も知ってるだろう…グルーランからは誰も逃れられない。例え魔法に長けていようともな。」
ロマノフは、じっと黙った。確かに地下水脈は、一切の魔法が使えない死の場所だ。そんな場所があることを、ロマノフも小さな時から伝え聞いては居たが、実際に見たのは軍隊へ入ってからだった。
あの時も、エドアルトと一緒だった…度胸試しだと連れて行かれた地下水脈で、ロマノフを置き去りにするつもりだった同僚達。エドアルトには知らされていなかったが、気取って追って来てくれていた。突然に現れたグルーランを前に、同僚達はロマノフをエサに逃げ帰ろうとしていたが、反対に次々に餌食になり、ロマノフだけはエドアルトに助けられて這う這うの体で逃げ帰って来れた。
あの時の、小山のような黒い体と、光る大きな目は忘れられない。
魔法が使えないということが、あれほどに心細いものだとは思わなかった。
確かにあんな場所で、しかもあの激流に流されていたとしたら、絶対に助かることは無いだろう。
「それでも、お前と私は逃げたではないか。」ロマノフは、それでも言った。「あいつらは、変な運と力がある。逃げきれているかもしれない…探すことはあきらめぬ。」
長く知りたいと思っていたことが、もう手の届く所まで来ているのだ。
エドアルトは、呆れたように踵を返した。
「地下水脈までは行くなよ。オレも部下にはそう言ってある。もし地下水脈へ入ったとしたら、始末はグルーランに任せるつもりだ。もしお前の言うように運よく生き延びたとしたら、出て来たところを我らが一網打尽にすればいいだけのことよ。海の方へも警戒を広げる。」
そう言って、エドアルトは出て行った。
ロマノフは、歯ぎしりした。エドアルトの言うことは正しい。分かっているが、紋章を持つ戦闘員は自分が捕らえたい。どうしても、あのアレクサンドルを自分の手で見返してやりたいのだ。




