記憶
翔太は、目を覚ました。
クリフとカーティス、スティーブと交代した時にはもう明け方3時だったが、真っ暗な洞窟の中明けて来る空に焦ることもなく、ぐっすりと眠ったと感じた。
だが、起き上がって腕輪を見ると、まだ眠ってから三時間しか経っていない事実に気が付いた。それでもそれなりにすっきりしていることに自分の体力がそこそこあることを知って、自分の体に感謝した。
体を起こすと、ブレンダが起き出して朝食の仕度をしているのが見えた。アライダが、それをぎこちなく手伝っている。
昨日貸した寝袋から出て、それをクッション代わりに座ったアガーテが見え、そしてその脇には、海斗が立って何やら言っているのが見えた。
言い争っているようではないが、海斗から一方的にまくし立てているようだ。
翔太は、起き抜けからまたいざこざがとうんざりしたが、このまま放って置くわけにもいかず、立ち上がって二人の方へと歩いた。
「海斗?何を言ってるんだ。」
海斗は、同じ時間に寝たはずなのに、もうすっかり起きているような様子で翔太に答えた。
「アガーテにレナートの記憶を聞いていたんだ。だが、アガーテはそれは個人のことだから話せないと言うから、レナートの記憶はそんな個人的な事ではないんだと説得していたんだ。お前も言ってくれないか。」
守秘義務ってやつか。
翔太は、息をついてアガーテを見た。
「アガーテ、海斗の言う通りだ。確かに個人の記憶だから、自分の口からはというのも理解は出来るが。」
アガーテは、翔太を見て頷いた。
「主には分かっておるのだの。我ら巫女は、一般の人々の心と体を癒す術を施す責を負っており、その人々の心の中にある秘密なども知ることが多いのだ。ゆえ、我らはそのように知ったことに関して、誰にも漏らしてはならぬと取り決められておる。癒すためには信頼関係が無ければならぬのだ。破るわけには行かぬ。」
翔太は、分かっているが言った。
「アガーテが言うことも分かる。だがレナート自身もあの時、思い出そうとしてくれていた。それは何のためかというと、海斗達と一緒に来た刻印持ちを探し出すためだった。次会う時までに思い出してもらえるように約束もした。レナートだって海斗に伝えたかったはずだ。そうでなければ思い出す意味がないからだ。レナート自身が生きるのに思い出す必要はなかったことなんだからな。だが、今はいつ会えるか分からない。ここにレナートが居ない以上、レナートの代わりにそれを伝えられるのはアガーテだけだ。何も他の記憶を教えてほしいと言っているんじゃないだろう。ただ、刻印持ちの情報だけだ。」そこで、翔太はハッとした。そういえば、刻印持ちの記憶はあったのだろうか。「…肝心なことを忘れていたが、刻印持ちをレナートは見ていたのか?」
アガーテは、じっと翔太を見上げていたが、その枯れ木のような指でコツコツと神経質に杖を叩き、考えた。そうして、言った。
「…居た。レナートは、確かに刻印を持つ命に会っておる。」
海斗は、それを聞いて翔太を押しのけて身を乗り出した。
「居たのか!それでそいつはどこに?!」
アガーテは、近寄る海斗に嫌な顔をして杖を振って下がらせると、答えた。
「レナート自身、気持ちが荒れていた時であった。妻と子を一度に失って心がすさみ、記憶の修復は難しく断片的にしか見えぬでな。見えたのは青い甲冑を着た男であるらしい腕…傷ついて血まみれになった紋章を見た。レナートはそれを介抱しようとしたようだったが、どうしたのか本人もはっきりと記憶に出て来ない。それからの記憶はシーラーンに囚われておる間のことであったし、段々に正気に戻っては参ったがその頃にはもう紋章など見てはおらぬ。あれでは我にもレナート自身にも、それがその辺で起こったことであるのか、シーラーンで起こったことなのか分からぬ。そして、その相手がまだ生きておるのか、もうレナートが見た時点で死んでおったのかもの。」
アガーテはそう言い終えると、フッと息をついて杖にすがって息を整えた。翔太は、心配そうにアガーテを見た。
「アガーテ?大丈夫か。これからオレはラファエル達を追って禁足地へ向かう。オレが背負っては行くが、揺れても問題ないか?つらいなら、どこかで待っててもいいがな。」
アガーテは、息を整えながら軽く翔太を睨んだ。
「もう死んでおってもおかしくはない歳よ。生きておるうちは役にも立とう。主の背に居る間は、主に傷を付けさせることはなかろうぞ。」
守りの術に長けていたのだったか。
翔太は、それでもアガーテを気遣っていたが、海斗はまたアガーテに詰め寄った。
「どういうことだ?!その男は、死んでるってことなのか?!」
翔太は、海斗をなだめるように肩を抱いてアガーテから離そうとした。
「海斗、落ち着け。今分からないと言っていただろう。アガーテ自身が見たわけじゃねぇんだ、これ以上は無理だ。」
海斗は、翔太の腕を肩から振り払った。
「お前は!お前には美夕が居て平気だろうが、オレにはその男しか居ないんだぞ!そいつが居なけりゃ、帰れないかもしれないのに!」
翔太は、アガーテと海斗の間に遮るように立った。
「分かってるから落ち着け!言ってるだろうが、だからアガーテにはこれ以上分からねぇんだよ。逆に死んでいたとしたらお前がここに15年も囚われたままの説明がつくじゃねぇか。ラファエルが言っていただろう、もしかしたら刻印持ちを失ったお前達を救うために、改めて美夕をここへ送り込んだかもしれねぇって。死んでたら死んでたでシンプルに考えられるからいいんじゃねぇのか。」
海斗は、息を荒げていたが、それを聞いて自分を落ち着けようと深く息をした。ふと気が付くと、皆がこちらの騒ぎに気付いてみているのがわかる。ブレンダもアライダも、湯気の立つ鍋をかき回しながらじっと黙ってこちらを見ていた。
海斗は、それを見て冷静になり、アガーテを見た。
「…すまない、見えたことは教えてくれたのに。だが、オレも焦っているんだ。オレは元の世界に帰りたい。もうここで住もうと思っている者達のことは好きにしたらいいが、オレは帰りたいんだ。今から帰って、あっちの世界では大変だろう…それでも、こっちで骨をうずめるつもりはない。そのために、この15年潜んで戦って来たんだからな。」
アガーテは、杖にすがるように座りながら、何度も頷いた。
「さもあろう。誰しも己の生まれた地へ帰りたいと思うもの。まして世界を異にしておるとなれば尚更の。主らには難しいのかもしれないが、神を信じよ。ウラノスは決して非情な神ではあられぬ。そうやって努めておる主らを、見捨てずミユを遣わせたのだと我は思う。主も信じて、ショウタ達と共にラファエル様を助けて行動した方が良いのではないかの。」
あちらでじっと聞いていたカーティスとクリフは小さく頷いていたが、海斗は苦し気に視線を落としただけだった。元々、神を信じるような育ち方をしていないのだ…翔太には、それが分かった。あちらの世界で生活していて、翔太も生きていくのに精一杯で信仰など持つ心の余裕もなかった。どんな神でも、心の底からすがって信じるということが、すぐには出来ないのだ。
翔太は、もう一度海斗の、今度は背に手を当てて、言った。
「刻印を持つ者同士は引き合うみたいだぞ。今はとにかく、オレ達と美夕に合流することを目指そう。ラファエルと美夕が一緒に居る所に、その男も現れるかもしれない。少なくても、お前達が固まっているより、あいつらが固まってる方が会える可能性が高いんじゃねぇか?」
海斗は翔太に言われてやっと頷いたが、納得していないようだった。それでも、乱れてしまったこの場を収めるには、それしかないと思ったようだ。
不安は残るが、これ以上レナートの記憶にこだわっていても進展はない。なので、もうレナートの記憶に頼るのはやめて、前を向くようにするしかないのだ。
ブレンダが、重くなった空気を察して、表情を明るく変えて手を叩いた。
「さあ、話は終わった?じゃあ朝ご飯にしよう。干し肉と野菜でスープを作ったわ。これから先こんな広い場所で休めるのはいつになるか分からないし、料理なんて出来ないかもしれないんだよ?しっかり食べて、しっかり働いてもらうからね!」
わざと言ったのが分かった翔太は、顔をしかめながらそちらへ向かって言った。
「おいおい、お前なあ、お前こそこれから頑張って歩けよ?」
ブレンダは、ここまでスティーブに散々支えられて歩いて来たのだ。皆のペースが速いのもあるが、ブレンダ自身が変な意地を張って皆が自分のためにスピードを落とすのを嫌がったからだ。案の定途中からはつらくなり、それでも歯を食いしばっているブレンダに、やっぱりスピードを落とそうとも言えず、スティーブが苦笑しながら補佐して、時には引きずって進んで来たのだった。
ブレンダはぷいと横を向いて、答えた。
「あたしは歩くわよ?しっかり寝たし大丈夫よ。」
皆の空気が和んだところで、かわいい女の子の声が言った。
『まさき、しらたまも、あれ食べたーい。お野菜もパンも好きだけど、まさきがちょっとくれたスープもおいしかったの。私もほしい。』
真樹は、驚いたように胸に抱く白玉を見た。
「え、だって白玉、あれは干し肉で出汁を取ってるんだよ?プーって肉も大丈夫だっけ?」
それにはアガーテが答えた。
「プーは雑食よ。普段は野菜などしか食さぬが、こうして人と共に居るのなら何でも食そうが。本来おとなしいプーが、狩りをして小さな生き物を食すのも見られておるぞ。与えてやるが良い。」
真樹は頷いたが、アガーテとは目を合わせなかった。昨日真樹なりに一生懸命白玉の世話をしていたのを、下男のするような仕事とか言われたのが、まだわだかまっているようだ。
それでも、自分用に碗に入れられたスープを、白玉にも食べさせながら食事を始めた。
翔太も食事を取りながら、あの激しい流れの地下水脈を、魔法も使わずどうやって越えるべきかと考えを巡らせていた。




