行方
翔太は、亮介の後ろに従いながらアガーテを背負い、道を歩いていた。
ショーンの教えてくれた術は、その術を知っているものが放つ力に反応して、転々と光って皆を導いている。
その術を見て、背のアガーテは言った。
「…これは、我らの術。巫女に伝わる術を、なぜ主らが?」
翔太は、軽くアガーテを振り返った。
「巫女の?勘違いじゃねぇのか。これは大陸から来たかなり腕利きの術士という男から教えてもらったものだ。命の気を直接吸い上げて無尽蔵に使えるんだと本人は言ってたがな。」
それには、アライダが驚いた顔をした。
「なんと…大陸にも、アガーテ様やラファエル様のようなかたが?」
それには翔太も驚いた。
「え、アガーテもか?」
アガーテは、淡々と答えた。
「選ばれし者の証。その術士とやらも、ただ者ではあるまいの。ならばそれも、ウラノス様のお導きか。」
翔太は、海斗と顔を見合せた。
「…ラファエルの父親とかいう神か。それで肝心のラファエルと美夕は、今いったいどこに居るんでぇ。捕まってはいないんだな?」
アガーテは、頷いた。
「ご無事に逃げ仰せておられるはずよ。ウラノス様がついておるのだ。簡単にはあやつらに捕まることもあるまいて。ただ…地下水脈をご無事で越えられたのか、それだけが気にかかる。」
海斗が、眉を寄せる。翔太はアガーテから目を反らした。
「あの激流か。」
アガーテは、意外だったようで驚いたように翔太を見た。
「知っておるのか?」
翔太は、前を向いたまま答えた。
「地下水脈自体は知らねぇ。だが、ここへ来る途中仲間がそこへ向かうだろう水に飲まれて流されて行った。未だに行方不明だ。」
アライダが、息を飲んで同情したように翔太を見る。アガーテは、息をついた。
「ならばもう命はあるまい。誰も近寄らぬ場…アレクサンドルでさえもの。魔法も使えぬ死の水が流れておる。流されたら最後、生きて戻る事は叶わぬ。水から逃れたとしても、あそこには最大で体調20メートルはあるグルーランが居る。常に命の気に餓えておるゆえ、命を気取ると大挙して狩りに掛かる。魔法も使えぬのに、なす術はあるまい…。」
グルーランという名を初めて聞いた翔太は、またアガーテを振り返った。
「グルーランというのがあそこの魔物の名前か。」
アガーテは、重々しく頷いた。
「そうじゃ。我も一度、パルテノンに居た若い頃に見たことがある程度であるが、それは恐ろしい魔物で…仲間が必死に切り込んで行く中、逃されたのじゃ。皆犠牲になった…助かったのは、我ら若い巫女だけじゃった。あの当時、我はまだ主らぐらいの歳であったの。」
翔太は、黙った。ショーンは、オレがついてると言ったが、いくらショーンでも魔法が使えない中そんな魔物に襲われたらひとたまりもないだろう。それなら、もうあの四人は…。
重苦しい空気に包まれたが、それからは誰も口を開く事もなく、ただ仲間の待つ空洞へと、淡々と足を進めた。
そうして、二時間ほど、突然に広く開けた場所へと抜けた。
そこを出たのはほんの4時間ほど前、腕輪の時計を見てもまだ午後10時を過ぎたところで、いきなりに光が入って来たのに驚いた残りの6人が、慌てて起き上がるのが見えた。
「翔太?もう帰って来たの?」
真樹が、起き上がって言う。翔太は、背のアガーテを手近な場所へとゆっくりと下ろしてから、頷いた。
「ああ。真樹、白玉は間違っていなかった。神殿には、軍が襲撃していたんでぇ。それを気取って、白玉は行くなと必死に言ってたんだろう。」と、座らせたアガーテと、アライダを見た。「神殿の巫女の、アガーテとアライダ。美夕が世話になってたんだが、ラファエルと美夕が他の巫女達と逃げる時間を稼ぐために残って結界を維持してたらしいんだ。だが、みんな体の中の命の気を使い切って犠牲になり、残ったのはこの二人だけ。地下へと逃れて来ていて、行き会ったので連れて来た。」
真樹は、心細げに軽く会釈するアライダと、じっと目を細めてこちらを見ているアガーテの方を見た。白玉は、真樹の胸から目だけ出してじっと二人を見つめている。
アガーテが、それを見て驚いたように手を伸ばした。
「おお。」アガーテは、どこにそんな力がという風に身を起こすと、身を乗り出した。「おおこれは、神の遣いのプーではっ?」
真樹は、驚いて思わず身を退いた。
「え、いえあの、確かに頭のいい小さいプーですけど…。」
アガーテは、激しく首を振った。
「違う、このオーラはただの小さいプーではない!なんと…どこに居ったのじゃ、これは主のようなただの人が世話をし切れるものではないわ。」
ただの人、と言われて真樹は少しムッとした。
「確かにただの人ですけど、ちゃんとエサをやって洗ってやって世話してますよ。元気でしょう。」
アガーテは、軽蔑するような視線を真樹に向けた。
「そのような下男のする世話とは違う。主には、そのプーが何を言うておるのか分かるのか。」
真樹は、グッと詰まった。言うことが分かるかって…?
翔太や他の者達は、じっと真樹とアガーテを見つめている。真樹は、しどろもどろに言った。
「…そんな…魔物なんだし、言うことなんか誰にも分からないんじゃないか。」
しかしアガーテは、すぐに首を振った。
「神に選ばれし命の者達には分かる。我は選ばれたわけではないが、神から伝えられた術を使える。確かな意思を持つ生物全てと、意思疎通が出来る術を。」
と、アガーテは白玉をじっと見つめた。白玉は驚いているようだったが、脅えてはいないようだ。アガーテは杖を前に出すと、目を閉じて聞いたことのない文言の術を唱えた。
魔法陣も何も出なかったが、確かに力が放たれたのが分かる。アガーテは、目を開くと白玉を見つめた。
「そなたの、名は何か?」
白玉は、体をよじって真樹の胸元から出て来ると、高い可愛らしい女児の声で答えた。
『しらたま。マサキがわたしにくれた名前。』
真樹も、他の者達も仰天して思わず体を仰け反らせた。
「な、な、な、」
翔太も、驚きのあまり声が出なくて引きつったようになっている。海斗が慌てて翔太の背中をさする中、真樹は恐る恐る白玉を見た。
「白玉、話せるの?オレの言うことが分かる?」
白玉は、嬉しそうに真樹を見上げた。
『分かるよ。いつも、ずっと話しかけていたのに、マサキには分からなかった。でも、うれしい。ありがとう、マサキ。しらたま、他の仲間達にいじめられて、巣穴から追い出されていたの。もう戻る場所もなくて、おっきな魔物に食べられちゃうんだと困っていたら、マサキが抱っこして連れて来てくれた。ずっとお礼を言ってたの。でも、マサキには分からなくて、かなしかった。』
真樹は、まじまじと白玉を見つめた。この小さな毛玉でしかない白玉は、それなりに考えて感じていたのだ。
でも、まさかこんなにはっきりと話していたなんて。
アガーテが、優しい視線で白玉を見つめて、まるで孫にでも語り掛けるように言った。
「さもあろうの。他のプーでは主ほどの深い考え方も出来ぬし、力の強い主への妬みもあろうしの。他は全て主の言うことなど分からぬ風ではなかったかの?」
白玉は、悲しげに頷いた。
『そうなの…いつもいつも、偉そうだっていじめられたの。でも、危ないって分かるのに、みんな聞いてくれないんだもの…。パパもママもそうだった。ついにあの日追い出されてしまって中へ入れないまま暗くなって来たのに、誰も探しに来てくれなかった…。』
しょんぼりとする白玉の頭を、アガーテは優しく撫でた。
「案ずるでない。主は使命を帯びた特別なプー。ゆえ誰より賢く生まれたのじゃ。これよりはこの婆が、残りは短い命なれど身を護る術を教えてしんぜようほどに。」
白玉は、パアッと明るい顔をした。
『本当に?おばあちゃんが、教えてくれるの?』
アガーテは、何度も頷いた。
「おお素直であることよ。己の身を護る術を教えようの。」
白玉は、ぴょこぴょこと跳ねた。
『うれしい。マサキやショウタを守れるね。わたし、がんばる!おばあちゃん、教えてね。』
回りはただ茫然とその様子を見ているだけしか出来なかったが、アガーテは俄かに生気を帯びた視線になり、翔太はさっきまでの何かを諦めたような目を知っていたので、それもいいかと思いながらこれから先に思いを切り替えていた。
アライダは、ただ黙ってそんなアガーテと白玉を見て座っていた。
その数時間前、ロマノフが地上で夕暮れの中部隊を整えていると、エドアルトが破った入口の階段から出て来た。むっつりとしたその表情に、捜索の結果が現れていてロマノフは息をついた。空振りか。
そう思いながらエドアルトが歩み寄って来るのを待っていると、エドアルトはそれは不機嫌な顔で、ロマノフを見た。
「…死体が見つかった。20人ほどのよく似た白い風貌の男女だ。外傷はなく、体の命の気を使い切って死んだようだ。お前が言ったように、15年前の子供が育ったような男は居なかった…やはり、死んだのか。」
ロマノフは、頷いた。
「子供が生き延びるには過酷な環境であったろうしな。それより、白い風貌ということは、やはりパルテノンの生き残りが潜んでおった場所ということか。あの結界を張り続ける力を持っていたとは、侮れぬな。」
エドアルトは、それには怪訝な顔をして、顎を横に手でこすりながら、考え込むように言った。
「いや…。」
ロマノフは、眉をひそめた。
「なんだ?何か引っかかるのか。」
エドアルトは、そのままの体勢で宙を見つめながら頷いた。
「…いくら力が強いと言っても、あの数で張った結界を破るのにあれほどに難儀するだろうかとな。誰か一人、もっと大きな力を持った者が張った結界を、皆で守ったのだとしたら納得がいくと思っているのだ。」
ロマノフは、真顔になった。
「つまり、その大きな力を持つ輩は、仲間に結界を維持させておいて逃げおおせたと?」
エドアルトは、ロマノフを見た。そして、軽く頷いた。
「ああ。本人がそう命じたのではなく、恐らく命を失うまで力を使い切って結界を守り抜いたのを見ても、主人を逃がすために分かっていて残ったのではないかと。ならば地下を逃れて行ったのではないかと今、どこかに入口はないかと探させている。だが、あちらこちら壁が崩れていてそれらしい場所がない。まさか地上へ…とは思わぬが…。」
「地上は我が部隊が守っておった。」ロマノフは、気分を害したようだった。「それなりの人数が居たなら逃れることなどできない。」
エドアルトは、息をついた。
「変な意地など捨てろ。出入口がこの辺りとは限らないだろうが。離れた位置を、少人数で出ていたら気取れなかったかもしれない。地下を行くのはかなり危険だ…地下水脈に行き当たる可能性が高いからな。そもそも、15年前に逃げたという奴らは何人だった?今日見つけた死体は22人。それ以上が逃れていたのか?」
ロマノフは、押し黙った。15年前のことなど、深く知らない。アレクサンドルも、逃げた輩のことにはかなり憤っていて話すこともないからだ。その頃の上司からいくらか聞いたが、本当かただの噂なのかも分からない。エドアルトにそう言われてしまうと、反論することが出来ないのだ。
「…では、地上を探す。」
エドアルトは、絞り出すようにそう言うロマノフを見て、重々しく頷いた。
「後手ではあるが、探し始めたら相手も焦ってボロを出すかもしれない。とにかく、オレの部隊は地下の入口を探させる。こっちは地上を。もし何か通路を見つけたら報告する。」
ロマノフはエドアルトを見ずに頷くと、サッと指示を出すためにその場を離れて行った。
それを見送ったエドアルトは、また地下へと激しく崩れた階段を降りて行ったのだった。




