地下水脈の水
美夕が、我に返って口を開いた。
「そんな…っ、迷い込んで無事に出られる、方法はあるのですかっ?!魔法も使えないなら、ラファエル様にもどうしようもないのでは…!」
バルナバスは黙って下を向いている。恐らくバルナバスも思ったことだろうが、彼は口に出さなかった。ラファエルは、美夕を睨んだ。
「それでも、行かねばここから出ることは出来ぬぞ。今見ている所、地上へ上がる道も無いようではないか。地下水脈を抜けて行かねば、向こう側へ行くことは出来ぬ。どうしてもと申すなら、地上への出口を求めて更にあちこち彷徨うことになろうぞ。そも、それがあるのか分からぬというに。」
ラファエルの口調は、これ以上皆を疲れさせることになるんだぞ、という風に美夕には聞こえた。確かにあるかどうか分からないような地上への道を探してうろうろさせるわけにはいかない。だが、それ以上に生きて出られるのか分からない場所へと皆を連れて入る方がリスクが高いように思うのは、間違いなのだろうか。
美夕は、ラファエルにすがるような目で言った。
「ラファエル様、それでもですわ。今聞いたところ、地下水脈にこの人数で入るのはきっとリスクが高過ぎる。全てを無事に連れて行くなど、いくらラファエル様でも無理ではないかと思うのです。それならば、地上への道を探す方が、時間はかかってもきっと安全です。ああ、そうですわ。私と、バルナバスが探しに参りますから。皆は移動する必要はありません。探して来て、その道を皆に知らせて共に移動したら。それでいかがですか?」
バルナバスはまるで感謝するように目を細めて美夕を見たが、ラファエルは険しい顔で美夕を見た。
「主はなぜ、我に意見ばかり申すのだ。我が決めたことが間違っておると申すか。」
美夕は、それを聞いて急に悟った。
ラファエルは、生まれてこの方、他人に真っ向から反論されたことがないのだ。
アガーテは立派に育ったと言ったが、一つ間違っていた。あまりにもラファエルを大切に育て過ぎて、自分一人で全てを決めて、それで良いという考え方が身についてしまっているのだ。そして、自分は間違っていないのだと信じているのだろう。
美夕は、ここは踏ん張らなければ、と思った。今の自分だって、きっと間違っていない。現にバルナバスは自分の意見に賛成のようだ。ラファエルの凝り固まった考えを、崩せるのは今はきっと自分だけ。なぜなら、命に刻印を持つ同じ命だからだ。
美夕はスッと背筋を伸ばすと、ラファエルを真正面から見据えて、頷いた。
「はい。今のラファエル様は、間違っておられると思います。私は、今度ばかりは自分が正しいと思う。私は未熟かもしれませんが、それなりにこれまで修羅場もくぐって来ましたし、いろいろなパターンも経験して来ました。ラファエル様は、あの神殿で居られたのでしょう。では、私の方がこういうことには詳しいのではありませんか。」
修羅場と言っても、ゲーム内でのイベントなどのことで、現実の世界でのことではないが、美夕は確かにいろいろなパターンの障害を仲間と一緒に乗り越えて来た。今回のことに巻き込まれてからもそうだ。ラファエルよりは、ずっと経験値は高いだろう。
自分にそう言い聞かせてラファエルを見据えていると、ラファエルは悔し気に歯ぎしりした。そして、美夕を睨みつけた。
「…確かに、我はあの中に隠れ住んで来て外を書以外で何も知らぬ。今あるのは、書での知識だけ。我の知識など、皆誰かの受け売りやもしれぬ。だが、我は自分が間違っているなどと思ったことはない。地下水脈を通っても、我は皆を守り切れると思う。」
美夕は、鋭い言葉で言った。
「魔法が使えないのに?」ラファエルは、グッと眉を寄せる。美夕は怯まずその目を見据え続けた。「魔法が使えないという状況を、経験なさったことはありますか?私はあります。呪文を完全に覚えていなくて、打撃技だけで戦いました。グラント系の魔物に全く太刀打ち出来なくて、私は三回も死んで反魂術で生き返ったのだと後で聞きました。私は魔法が使えなかったけど、魔法が得意な仲間が側に居てくれたことが幸運だった。でも、地下水脈では全員が魔法を奪われるんでしょう。何があっても、誰も助けてはくれません。翔太が魔法も使わずグラントの足を切り落として私を救い出してくれたのだと聞いているけど…翔太のような戦士は、ここには居ません。」
美夕は、自分の上着をはた目も気にせずまくり上げて、脇腹に残る白い筋になっている傷跡を見せた。細いが長い三本の筋は、その相手の爪の大きさを嫌でも想像させる。
ラファエルはそれを見て、スッと自分の腕へと視線を走らせた。それなりの筋肉はついているが、翔太とは比べ物にならないほど細い腕だ。自分の能力が、生まれた時から持っている魔法というものに対しての力の強さに少なからず依存しているのは、間違いなかった。
そしてそれを、失ったことなど一度もなかった。
バルナバスが、黙り込むラファエルに言った。
「ラファエル様、私も外で戦った経験のある戦士ですが、それでも魔法無しでこの腕だけで戦えと言われたら、いったいどれぐらい戦えることか。まして地下水脈を越えるには、その水流に負けないように泳ぐか、もしくは縄を張ってその上を自分の力のみで自分の体を運ぶ必要がありまする。ラファエル様にも私にも、他の者達を救うための魔法は出せない。皆をそんな危険に晒すのは、私も忍びないのです。全員が無事に渡り終えるのは、恐らく無理ではないでしょうか。今ミユが言ったように、ショウタ達ならば他を助けることが出来るのかもしれません。ですが、我らでは無理です。ましてそこへ魔物が襲撃したら、もう誰も生き残ることは出来ないでしょう。」
ラファエルは、悔し気に自分の腕を見つめていた。美夕は、それを見て心が痛かった。今まで、恐らくは敵の無い状態で、自分が皆を庇護するのだと思って生きて来たのだろう。そうして、それは成した。だが、それは魔法が使えてこその力であって、自分の体だけで皆を助けるには、全くの非力だと今悟ったのだろう。
意地のようなものがあり、上に立つ者の幾らかは自分の力の無さを指摘されると激昂することがある。
美夕は、ラファエルが意固地になってしまったらどう説得したものかと頭を巡らせたが、しばらく黙ったのち、ラファエルは決心したように顔を上げた。
「…分かった。我には力は無い。だからこその、ショウタ達のような仲間を連れたミユと出会ったのであろう。我が浅はかだった。我では地下水脈で、皆を守り切ることは出来ぬ。主らの考えを認めよう。」
美夕は、肩透かしをくらって茫然とラファエルを見上げた。
え…いいの?それは本心から…?
美夕はそう案じた。が、ラファエルからは全く邪な思いは感じられない。だが一向に疑う様子もないバルナバスが、膝をついたまま、頭を下げた。
「は!それでは、早急に地上への道を探しに出ることに。」
美夕は、ラファエルを見た。
「ラファエル様、よろしいんですか?私とバルナバスが、地上への道を探しに出ても。」
ラファエルは、頷いた。
「良い、頼む。我はここで、皆を守って待っておる。ここでなら魔法は使えるゆえ、我も無用の長物ではないゆえな。ここに染みておる水は、ライデーンへと流れる河からの水。魔法には何の影響もない。」
今の今まで悔し気にしていたラファエルは、すっかり落ち着いた風情で他意などこれっぽちも感じなかった。
美夕は、あっさりと事態を飲み込み自分という我を通さず認めることが出来るラファエルに、畏怖の念を感じた。これが、恐らくは神に遣わされた命なのだ。変な意地など無い。本当に真っ当な、皆を導くための命…。
美夕は、自分も同じだという事実に、また劣等感を持っていた。どうして、自分はこうなのだろう。ラファエルのように、真っ当な命になれるはずなのに。本当に自分は、命に刻印などあるのだろうか…。
だが、腕にはまだ冴え冴えとした紋様が出ていて、美夕はまた気持ちが沈んだ。
これが出るのは、責務を果たせ、自覚をせよという神からの啓示…。
美夕は、これが無くなる時が来るのかと心の中でまた自分と戦っていた。




