障害
美夕がラファエルに近付くと、ラファエルは振り返った。そして、息をついた。
「…ライデーンへは行かぬ。一時的に潜む場所などこれらに与えるつもりはない。これから向かう土地には、終生落ち着いて暮らす場所でなければならぬのだ。」
美夕は、胸を押さえた。心が読めるのだったっけ?…そうか嘘を見分けられるのだし…。
美夕の様子を見て、ラファエルはまた息をついた。
「嘘か誠か分かるが、心の中まで読めぬわ。聞いていたのだ。ならば会話の流れから、主が何を言いに来たのか予測はつこうが。」
それを聞いて美夕は少しホッとして、ラファエルの側に座った。
「仲間達の会話を見たのです。それで、ライデーンにも仲間が居るのが分かりました。潜む場所を見つけているようで、他の場所で困っている人達の保護を申し出ていたので、もしかしてと思ったんです。一時的にそこへ身を寄せて、落ち着いてから禁足地へ一緒に向かってもいいんじゃないかと思ったんです。皆疲れて来ているし…仲間は多い方がいいんじゃないかと思って。」
ラファエルは、首を振った。
「そうやって仮住まいを続ける方が皆の負担になるではないか。安住の地へ連れて行くのが我の役目。そのようなことをしておったら、あやつらを安定した地へと落ち着かせるのが遅れるではないか。」
ラファエルの言い方に、美夕はハッとした。もしかしてラファエルは、ウラノスから与えられた責務に早く向かい合うために、皆を早く落ち着かせてしまいたいと思っているのでは。
美夕は、ラファエルを見上げて声を落とした。
「ラファエル様…もしかして、責務のことをお考えですか?」
ラファエルは、それを聞いてグッと黙ると、美夕から視線を反らした。そして、言った。
「…主のように、安穏とはしておられぬ。こうしてあの場を出て来ねばならなかったのも、我があのような場で籠って一向に責務をこなす様子がなかったからなのではないのか。我が早うそれに気付いてあそこを出ておったなら、アガーテも皆もあの場で見つかることなく平和に待っておられたものを。この上ライデーンなどで休んでおったら更に皆を危険晒すのではないのかと案じられる。我は早う責務に向かう必要があるのだ。」
美夕は、ラファエルをまじまじと見つめた。一見さりげない風を装ってはいたが、ラファエルはラファエルで、あの潜んでいた神殿を追われたことを自分のせいだと思っていたのだ。
美夕が、自分のせいだと思っていたのとは、また違うもっと深い意味で。
美夕は、ラファエルの袖に触れた。
「ラファエル様…あれは、私のせいでした。ラファエル様は皆をしっかり守って責務を果たしておられたし、アガーテ様も今が時なのだとおっしゃっていました。ラファエル様の力が満ち、命に刻印を持つ私が到着し、全てが整ったからこそ起こったことなのだと。なので、アガーテ様は私のこともお責めになりませんでした。」と、小さくもせずにずっと手に握っていた杖を見せた。「次の力を持つ巫女に渡してくれと託されました。それまでは、私がラファエル様を助けるために使うように。私は、アガーテ様のお気持ちを無にしたくない。確かに責務は大切ですが、皆の体に鞭打ってまで遠い禁足地へ行くのは無謀だと思います。まずはライデーンへ向かった方が、一時ホッと息をつけるのでいいのではありませんか?地図を見て思ったのですけれど、地下を行くより、ライデーンから海を船で行った方が、禁足地には楽に行けるのでは。」
そう言われて、ラファエルは、じっと考え込んでいる。
すると、聞いていたらしいバルナバスが、いつの間にか美夕の後ろに膝をついていて、言った。
「ラファエル様、我らラファエル様の足手まといにはなりたくありません。今ミユが言ったこと、私は歓迎できることかと思いました。もしライデーンから船にさえ乗る事が出来たら、そこでラファエル様と別れて我らだけでも禁足地へ入ることが可能でしょう。ラファエル様は、予定より早くご自分の責務へと向かうことが出来る。私はその方が、良いかと思います。」
ラファエルは、驚いたようにバルナバスを見た。
「何を申す。禁足地には何があるか分からぬのだぞ。主らだけにすることは出来ぬ。行くなら我も共に。そこで主らが落ち着いたのを見てからでなければ、我はシーラーンへ向かうことなど出来ぬわ。」
バルナバスは、首を振った。
「そこまで、我らは無力ではありませぬ。ラファエル様ほどの力はなくとも、そこらの住人達より術は知っておるし魔物もこの数居れば敵ではありませぬ。私の力も、ご存知でしょう。」
ラファエルは、それを聞いて黙って横を向いた。美夕は、初めて聞くことだったので、バルナバスを振り返って首を傾げた。
「バルナバスは、他の修道士より力があるの?」
バルナバスは、美夕を見た。さっきよりいくらか親しみのある表情だ。美夕がそれに少し驚いていると、バルナバスは答えた。
「私には、ラファエル様ほど大きな術を一度に放つ力は無いが、他の修道士にはない力があるのだ。こうして年齢も47と上がったが、その能力は衰えてはおらぬ。私には、体の中の気を使い切るということが無いのだ…地から、無尽蔵に命の気を吸い上げて力を使うことが出来る。もちろんラファエル様もそうだが、つまり他の者達のように、力がなくなるのではと気を遣って術を放つ必要がないのだ。」
美夕は、驚いた。ようは、自分達がゲームをする時に体力とは別に魔法ポイントがあって、魔法を放つと減る。無くなると回復させるまで魔法が使えなくなる。レベルが上がると多くなり、たくさん大きな魔法を使うことが出来た。もしかしたら、それの事なのかもしれない。つまり、バルナバスは、その魔法を放つためのポイントが減らないのだ。いや、正確には減るのだが、すぐに勝手に回復するのだ。
「すごいわ!普通の人にはそれはないわね。私まだ、そんな人は見た事がないわ。」
それを聞いたバルナバスは、少し顔をしかめた。
「そんなことはないだろう。アガーテ様もそうであるし、リーリアもだ。命に刻印があるのなら、ミユもそうではないか?」
そう言われて、美夕は思わず自分の胸を押さえた。そうなのかな…でも、ゲームでは普通にポイントは減ったし、無尽蔵に増えるなんてことはなかった。ここへ来てから、そんなに魔法を放ったことがないので、考えたこともなかったのだ。
「…分からない。前は、確かに減ったの。こちらの世界へ来てから、まだそんなに魔法を放ったことがないので、どうなのか考えたこともなかったわ。」
ラファエルが、無表情に答えた。
「主もそうのはずよ。もっと己を知ることだ。」と、バルナバスを見た。「考えてみるが、ライデーンへ行ったとしても船に乗るのは皆一緒だ、バルナバス。我は、主らが落ち着くのを見てからでなければ主らから離れることはない。我には責任がある。分かったの。」
バルナバスは、黙って頭を下げた。美夕は、ラファエルを見上げた。
「では、ライデーンに行くことも考えてくださると?」
ラファエルは、うんざりしたように答えた。
「それはこの後に考える。どちらにしろ河を越えねばならぬ。ライデーンと一言に申しても、恐らく主の仲間も街には居らぬだろう。軍が入っておるからだ。大きい方の、本流の向こうへと渡る。禁足地へ向かうにしても、ライデーンの者達と合流するにしても、その方が良いからだ。」
美夕は、それを聞いてバルナバスと顔を見合わせた。だが、バルナバスが何も言わないので、美夕が言った。
「あの…河は、どうやって渡るのでしょうか?ここは地下でしょう。辺りを見ても、近くまで来ているのは分かります。地下は、同じように洞窟が続いているとお考えでしょうか?」
それを聞いて、ラファエルはしばらく黙った。美夕とバルナバスがじっと黙って待っていると、ラファエルは重い口調で、答えた。
「…パルテノンに居た頃、地下の地形について調べた書があった。この辺りのことは、我もよう知っておるが…恐らくは、地下水脈の空洞があると思われる。それを横切って向こう側へ参ることになろう。」
美夕は、地下水脈と言われてもピンと来なかったが、バルナバスが息を飲んだ。それを見て、一気に不安になった美夕は、おろおろとラファエルとバルナバスを交互に見た。
「え?なに…?地下水脈って…?」
バルナバスが、その声に我に返ったようで、真顔になって美夕を見た。
「地下に流れる川だ。シーラーンを通って地下へと流れる水で満ちていて、その水は特殊で、命の気を含まぬ。そして、未知の変な気を発しているのだ。ゆえ、その水の中や周辺では魔法を使うことが出来ぬようになる。地下水脈に迷い込んで生きて帰った者は居らぬと言われておる…大型の、命の気に飢えた魔物が生息しておるからだ。」
美夕は、口を押さえた。魔法が使えないのに、大型の魔物が居る…?!しかも、飢えてるってことは、こっちを攻撃して来るってこと?!
美夕が急いでラファエルを見ると、ラファエルはただ黙って、そんなバルナバスと美夕を見つめ返していた。




