激流
翔太達は、その頃やっと広くなって来た洞窟の幅に、ホッと一息ついたところだった。段々に広い空間になって行って、回りにはボツボツと開いた穴が見える。だが、方角が違うのでどれも見向きもせず、ただひたすらに方位磁針に従って、洞窟を進んでいた。
先頭を行くショーンが、振り返って言った。
「おい、また突き当たりで三つに分かれてるぞ。どっちへ行く?方角はどうだ。」
言われて、翔太は急いで腕輪を見た。真っ直ぐに西南西へと来た…ここは、左か。
「…左だな。ちょっと南へ反れるが、右は反対方向へ行っちまうし真ん中はえらく小さい穴だ。左で行こう。」
その穴でも、また狭い穴になるのは分かっていたが、方位磁針に従うとそれしかない。
ショーンは、頷いた。
「左だな。よし、ムークスはまだこっちへ来ていない。先を急ごう。」
ショーンは、2メートル近く上に開いているその穴へと、ふわりと浮いて上がって行った。聡香は今や玲が背負っていたが、その玲が言った。
「おおいショーン!聡香を引っ張り上げてくれ!」
ショーンは、他の皆を引っ張り上げながら、頷いた。
「待ってくれ。先に全部上げちまうから!」
ショーンは、次々に上へと人を浮かせるようにして引っ張り上げて行く。まるで体重を感じないような感じで、どれだけ怪力なんだと一見思うのだが、ショーンが皆を術で持ち上げているだろうことは、これまでのことを見ていても分かっていた。
玲と、その後ろの慎一郎がそれを後ろから見て待っていると、どこかから、何かが崩れるような音がした。
「…今のはなんだ?」
翔太が、もう上へと上がった状態で下を覗き込みながら辺りを見回す。下に居る玲と慎一郎は、横の方を見た。
「…あっちの方から聞こえたようだが…」
慎一郎が言うと、ショーンはそちらを伺って、そしてスッと顔色を変えた。
「…水…水だ!」と、手を差し出した。「水が来る!どこか崩れたんだ、あいつらが洞窟の中で魔法使って暴れるから!早く!」
玲が、急いで聡香を持ち上げてショーンの方へと押し上げた。ショーンは、その手を掴んで軽々と持ち上げると穴の中へと放り込み、聡香が倒れるのも振り返りもせずにすぐに手を差し出した。
「ほら、レイ!シンイチロウ!二人同時で大丈夫だ!早くしろ!」
翔太が聡香を助け上げながら音がした方を振り返ると、その方向にある穴から、ドッと物凄い量の水が溢れて来るのが見えた。その勢いで、その穴は崩れて瓦礫が激しい音を立てて崩れて行くのが一瞬のうちに見えた。
「うわ!」
ショーンの方を見て手を差し出していた玲と慎一郎は、突然のことに足を水にすくわれて転倒した。
「玲!慎一郎!」
翔太が叫ぶ。二人は、大量の水に流されながらも、その流される先を見ていた。流れて行くのは、無数の穴…小さな物に吸い込まれたら、呼吸もままならず死ぬしかないだろう。
翔太は、身を乗り出した。
「慎一郎!玲!」
しかし、流されている二人は見ている者達より冷静だった。
二人は、流されて行く先に剣を横向きに放って投げ、足をそちらへ向けて穴につっかえた剣を足場に踏ん張って堪えた。
「ああ…よかった。」
聡香が、後ろで言う。だが、ショーンが首を振った。
「駄目だ、そのうちに淵が崩れるぞ。一時踏ん張っているだけだ!」と、水をじっと睨んだ。「くそ…どこから流れて来た水だ、おかしな気が混じってて飛ぶための術が利かねぇ!」
海斗が、諦めたように言った。
「恐らく、シーラーンの方向だ。大滝の近くの水は命の気が濃いんだがあの土地を沁みて来る地下水はみんな一様に作物が育たない水なんだ。魔法も疎外される…。」
翔太は、首を振った。
「だったら体を使うしかねぇ!ザイルはあっただろう、ルートを確保してこっちへ!」
真樹が、慌ててカバンをひっくり返して探しているのが見える。
「確かにあったけど他にピッケルぐらいしかないんだってば!岩に固定する金具なんか全然持ってないぞ!」
翔太は、確かに垂直の山を登るような事態は想定していなかったため、申し訳程度にザイルとピッケルを買ったのを思い出していた。どうしたらいい…。
「…オレが行く!」翔太は、今にも流されそうな二人を遠めに見て、言った。「ザイルを二本、先をどこかに結べ!向こうとこっちにザイルを繋ぐんだ!」
海斗やショーンが、急いでそれに従った。翔太は、そのザイルの先を自分の腰に結び付けると、激しく流れる水の中へと、思い切って飛び込んだ。
「翔太!」
慎一郎の声が聞こえる。見ると、玲は自分が持っていたピッケルを岩に打ち付けて、体を垂直にして呼吸を確保しようと試みていた。慎一郎は、そんな玲の腕に引っ張り上げられているような状態だ。
泳ぐというよりも、流されて二人の側の岩の壁へと足からぶち当たった翔太は、玲に向かってザイルを振った。
「これをどこかに!」
玲は事態を悟って頷くと、慎一郎を見た。
「ちょっと一人で耐えてくれ!」
慎一郎が、歯を食いしばって頷く。それを見た玲は、そのまま体をひねって翔太の方を見た。
「ハーケンがある!打ち込むからオレを支えてくれ、流される!」
翔太は頷いたが、自身も水圧に押されてその場でとどまっているのがやっとだ。玲はそれを見て、思い切ったようにこちらへと飛んだ。
玲は、翔太にぶつかって抱き着いた状態で止まった。翔太は、その衝撃で流されそうになったが、持っていたザイルのお陰でぐるんと回ってまた岩に足をつけることが出来た。翔太は、玲を後ろから支えた。
「そのまま!待ってくれ!」
玲は、翔太に支えられながら、渾身の力を込めてピッケルの背でハーケンを岩の隙間に打ち込んだ。カーンカーンと甲高い音が聞こえる間、翔太は自分の腕と足をよく鍛えておいたと自分をほめた。この力がなければ、同じように鍛えて重い体の玲をこの激流の中支えることなど出来なかっただろうからだ。
「よし、ザイルを!」
玲が言う。翔太は、腰に巻き付いているザイルの一本をほどいて、先を差し出す。
玲は、それを受け取ってハーケンの穴へと慣れたように通して、結んだ。
「よし!慎一郎!こっちへ来い!!」
さすがの慎一郎も、青い顔をしていた。必死に掴まっている指の先は白くなっていて、かなりの力が掛かっているようだ。
「待ってくれ…力が…」
翔太は、急いで言った。
「こっちへ!オレに掴まれ!」
慎一郎は、息を乱していたが、グッと眉に力を入れると、足で岩壁を蹴って、手を離した。
水流に押された慎一郎の体重が、一気に翔太の両腕と体に当たって掛かって来る。それでも、ガッツリと慎一郎を掴んだ翔太は、玲に頷きかけた。
「掴んだ!先に行け、玲!オレは慎一郎と一緒にあっちへ引っ張ってもらう!」
玲は頷いて、両手両足でザイルにつかまり、器用にスルスルと皆が待つ穴へと向かう。ザイルは水面に僅かに浮いているような位置だったが、玲は水圧の影響を受けないようになるべくザイルにくっつくように腰を上げて進んで行った。翔太は、慎一郎を見た。
「水流が強い。あいつらが引っ張るのも限界があるし、最悪ザイルが切れるかもしれねぇ。今玲が行ったザイルを行けるか?」
慎一郎は、上へと斜めにたわんだザイルを見やった。そして、首を振った。
「…無理だ。岩にへばりついていた時に、指の力を失ってしまった。力は入らない…お前は行ってくれ、翔太。」
翔太は、首を振った。
「何を言ってる!だったらオレが一人でお前を引きずって戻ってやらあ!」
翔太は、張られたザイルを掴んだ。腰のザイルがあるので、これ以上流されて行くことはない。だが、戻るには水流の勢いが強過ぎた。
翔太は、自分の腰のザイルを少しほどいて、慎一郎に巻き付けた。そうして、渾身の力を込めて、玲が使ったザイルを掴むと戻り出した。
慎一郎も、何とかザイルを掴んで進もうとしているが、手が何度も滑ってはザイルから離れている。翔太は、踏ん張っていた。それでも、繋がった腰の皮膚にかかる重みの痛さと、腕にたまる乳酸のせいで、段々に力が入らなくなって来ていた。
「翔太!こっちでもザイルを巻き取ってるから!がんばれ!」
真樹の声がする。だが水は翔太の呼吸すらも邪魔をして、思うように体は動かなかった。
「崩れる!踏ん張れ、ショウタ!」
ショーンの声がする。何が崩れるのか意識も朦朧としている翔太は、ショーンが見ている先へと自動的に視線をやった。
今まで水に押し付けられていた岸壁が、水圧に押されて無数に開いている穴の淵からガラガラと崩れて行くのが見えた。たった今繋げたばかりのザイルが、ハーケンが一緒に崩れ落ちたので最早あてもなく先がフラフラと水に揺れている。
一気に流れる場所が広くなった水流は穏やかになり、それでもまだ大量の水がそちらへと流れて行くのが見えた。
それでも重い水圧だったが、水面が下がったことで底に足がついた。翔太は、慎一郎を見た。
「慎一郎!歩くぞ、さあ!こっちへ!」
翔太は、慎一郎を促して壁際へと寄り、そこを岩に抱き着くようにして横へと進んだ。
「翔太…!慎一郎!」
上から、皆が覗き込んでいる。
「引っ張り上げてくれ!」
翔太は、慎一郎を先に行かせた。上から、ショーンと亮介が手を差し出して一気に引っ張り上げてくれた。翔太は、ホッとしながら自分もザイルに手を掛けると、自分の足と手で一歩一歩を上がって行った。
そうして、その穴へとたどり着いた時には、ホッと力が抜けて、その場へ崩れて倒れ込んだのだった。




