シアラにて
結局、船を降りたのは男3人、女5人の8人だった。
女の方が賢明なのかそれとも思い切りがいいのか、女子の割合が多い。
最後に海に飛び込んだ二人も、寒さに震えてはいたが、元気だった。翔太が、沈んで行く船が消えた先に、この世界の漁船がたくさん寄って行って回りを捜索しているのを遠く見ていたが、息をついて皆を振り返った。
「じゃあ、とにかくはこれだけが生き残ったんだ。で、ここのことを説明するのか?」
玲が、濡れた髪をタオルで拭きながら頷いた。
「ああ、じゃあ軽くな。」と、降りて来た8人を振り返った。「ここでは、本当に死体になるぞ。オレは、仲間がみんな魔物に殺されて無残な死体になったのをこの目で見た。だからこそ、船が沈めば本当に死ぬと思ったんだ。」
50代の男が、眉を険しく寄せて言った。
「どういうことだ?体が、どこかへ来てしまったってことか?」
玲は、頷いた。
「オレにだってよくわからない。被害者なのはみんなと同じだ。ただ、ここでは食べることも出来るし体が現実のように自由だ。街の人はモブじゃない。」と、腕輪を上げた。「ゴールドが使える。これで宿に泊まれるし、物も買える。稼ぐのはゲームと同じ、魔物を倒すか、仲介屋で仕事を探すか。それで、帰れる方法を見つけるまで生き延びろ。オレが言えるのは、それだけだ。」
水浸しの女を介抱していた女が言った。
「でも、帰る方法って?」
玲は、冷たく首を振った。
「知ってたら帰ってる。これから探す。お前達も、頑張って自分で解決しろ。オレ達はオレ達で探す。」
50代の男が、進み出た。
「オレにはもうパーティはない。お前達の仲間にしてもらえないか。」
それには、玲は答えずに慎一郎を見た。慎一郎は、顔をしかめた。
「これ以上人は要らん。オレ達のパーティは今6人居る。ゲームと違っていくらでも増やせるようだが、そんな大所帯支えるような能力はないからな。お前達はお前達で、好きにまとまってくれ。」
皆は、顔を見合わせる。明らかに一人浮いているその男は、慌てて慎一郎に追いすがった。
「待ってくれ、オレが見ず知らずの若い子達に今更混じれるわけないだろう。オレを除いたらあんたが一番年上っぽいから言ってるんだ。」
慎一郎は、首を振った。
「オレは30代だぞ?正確には34、そっちのアイドルは18、筋肉馬鹿は22、美人は24、ピンクの甲冑は22、ええっとそっちの玲は…」
「28。」
玲が答えた。慎一郎は、頷いた。
「ま、そんな感じだ。何か出来るんなら考えてもいいが、あんまり体を使うのは得意じゃないだろう。うちはみんな、とりあえずいろいろ特技があってね。防御と回復が強い聡香、前衛でも後衛でもなんでもこなす攻撃型の翔太とオレ、オレ達二人のすぐ後ろを守る真樹、その後ろの美夕。それから、玲は消防士で身のこなしが軽くて強い。これから攻撃型でオレ達と戦ってくれるだろうって思うが、お前は?」
このゲームには、体力が要る。なのでそこそこのレベルに達しようと思ったら、それなりの体力なのだが、この男はどうだろう。
おじさんの割には、お腹は出てないな。
美夕がそう思って見ていると、相手は言った。
「オレはレベル92、魔法型だ。中・後衛だが攻撃も出来るし反魂術も持ってる。魔法だけでここまで生き残って来たしレベルも上げて来た。詠唱は速いぞ。それに、特別スキルで鍛冶屋を持ってる。」
翔太と慎一郎、玲が視線を交わした。結構興味を持ったらしい。
「攻撃魔法を放てる奴が欲しかったんだ。」翔太が、ちらと美夕を見た。「こいつの位置がそこなんだが、あまり強いのが放てなくてな。前衛のオレ達の打撃技重視な戦い方でここまで来たんで、不安だったんだ。風火水土、全部いけるか?」
その男は、胸を張った。
「いける。電気も出来るし状態異常の回復も、さっき言った反魂術も出来る。」
聡香が、顔を歪めた。レベルが追いついていなくて、まだ覚えていない技ばかりだからだ。玲と翔太、慎一郎は顔を見合わせていたが、一斉に頷いた。そして、慎一郎が言った。
「恐れ入ったね。鍛冶屋の特別スキルは今の状況で使えるかわからんが、それでもパーティのレベルは格段に上がる。」と、腕輪を見た。「だが…今の状況でその技がどこまで通用するのか、未知数だろう。玲だって仲間がブルっちまって術を詠唱することも出来なかったって言ってたんで、魔法を放つ瞬間は見てないんだ。ちょっと腹ごしらえしてから、軽く肩慣らしに出よう。それを見て、決める。」
相手の男は、満面の笑みで頷いた。
「ありがとう。ああオレは、…スタンリー。」
慎一郎は、苦笑した。
「アバターの名前はこの際使ってないんだ。オレは原慎一郎。」
相手は、ホッとしたように頷いた。
「良かった。この姿でスタンリーはきつかったんだ。オレは、本郷亮介。ちなみに49歳だぞ。よく白髪が多いから50代とか言われるが。」
慎一郎は、え、という顔をした。
「なんだ、そうなのか?ま、似たようなもんだろうが。」
「腹は出てないからな。」
亮介は言うと、腕の甲でポンと慎一郎の胸を軽く叩いて、歩き出した。
「さ、じゃあまずは着替えだろう。街へ行こうや。船の連中は、死んでないことを祈ってやるさ。」
そうして、チラッとまた海の方へと視線をやってから、皆でぞろぞろと街中へと入って行ったのだった。
玲に案内されて街の中へと歩いて行くと、そこはゲームの中では見慣れた一般的な港町だった。
だが、ゲームの中と違うのは、じっと立って話しかけられるのを待っているような住民が居ないということだ。みんな、極々自然にあちらこちらで生活している感じだった。
港町の常で、海に近い場所には屋台の店がたくさん並んでいて、野菜や魚、肉などが売られていた。
それもテレビなどで見る外国の市場のように、乱雑に置いてあって値札などない。ゲームでの買い物なら、画面に品と値段が綺麗に並んで見えるのだが、そんなことは一切なかった。
美夕がいつもと違う様子に委縮していると、言った。
「ここだけ見ても、ここがゲームの中じゃないと思うだろう?」と、目の前に見えるレンガ造りの建物を見上げた。「建物も、入れない場所なんかない。開けたら入れるし、だが入った所が他人の家だったら怒られるが、それでも現実と同じで何も変わらない。これをプログラムしたとしたらかなり時間が掛かっただろうし、そもそもイベントのためにここまで細かく作り込むなんておかしいだろう。何もかもが、ここが現実にある場所だっていってるんだよ。」
美夕は、まだ半信半疑だったが、頷いた。何より、さっき食べたリンゴの味が忘れられない。まだ口の中に微かな酸味が残っているような気がした。
市場の喧噪から離れて路地へと入って行った玲は、並ぶ建物の間を抜けて、大通りへと出た。ぞろぞろと歩く変わった一段に、通行人は好奇の視線を向けて来る。何しろ、二人はずぶ濡れなのだ。
少し恥ずかしくなっていると、脇の建物の一角から、声を掛けられた。
「そこのお嬢さん!見て行かないかね。」
美夕は、それが自分に向けての声なのだと気付き、振り返った。
そこは、上に申し訳程度の小さなヒサシが着いている、見たところ商店のようだった。
うちの近くのタバコ屋さんみたい。
美夕はそう思ったが、そこのカウンターから声を掛けているのは中年の男性で、中からは機械の油っぽい匂いがした。
「見た所、お嬢ちゃんの甲冑は体に合ってないみたいだ。どうだね、装備を見ていかないか?」
美夕は、無残にもスカスカになってしまっている胸の辺りを押さえた。アバターの時ははち切れんばかりだったのに、今は本当に大きすぎて、擦れてあっちこっちが痛いのだ。
翔太が、脇から言った。
「こいつに合う甲冑はあるかい?なるべく防御は上げたいんだがな。」
気が付くと、皆が立ち止まってこちらを見ている。その商店の男はうーんと顎に手を置いて答えた。
「もちろんうちは装備なら何でも揃えるし、サイズだってすぐ直すが、こんな可愛らしい色のやつは無いがな。あって赤か。」と、少し声を潜めた。「だが、まあ、あんまり派手な甲冑もお勧め出来ないがね。」
それには、真樹が言った。
「赤はオレと被るから駄目だよ。他の色にしてくれないかなあ。」
美夕は、もう買うことになっているのかと慌てたが、確かにこのままでは戦いにも支障が出るかもしれない。渋々そのカウンターへと寄った。
「良さそうなのを見せてください。」
男は、嬉しそうな顔をした。
「お、話が分かるね。よし、ちょっと待ってな。」
男は、奥へ引っ込むと、幾つかの甲冑を抱えて戻って来た。
「お嬢ちゃんのサイズだったらこの辺だ。全部ディアムだ。」
美夕は、一瞬退いた。ディアムというのは、この世界での最硬度を誇る金属だ。金色に近い銀色で、色付きの物はまた高い。ちなみに翔太も慎一郎も全てディアムの装備だった。
「でも…高いよね?」
美夕が恐る恐る言うと、男は豪快に笑った。
「そりゃあディアムだからなあ。」と、端から順番に言った。「これが1000ゴールド、こっちが2500ゴールド、この薄い色付きのヤツが3000ゴールド。」
美夕は、目を丸くした。ここでの単位を円に換えると、1ゴールドが10円だ。今着ている甲冑が一式で500ゴールドだったことを考えると、かなり高い。
だが、翔太が後ろから言った。
「ディアムにしたら安いじゃねぇか!オレなんか一式で5000ゴールドしたんだぞ?お買い得だ。」
店主が笑った。
「兄さんのは色もついてるし大きいからなあ。使ってるディアムの量が違いますよ。で、お嬢ちゃん、どうするね?」
美夕は、控えめに腕輪を開いて表示される残高を見る。今あるのが4000ゴールドだ。昨日ダンジョンを回って魔物を倒しまくった成果だった。でもここでこれを使ってしまったら、これからご飯を食べたり宿に泊まったりするお金が無くなってしまう。
翔太が、遠慮なく横からそれを覗き込んで言った。
「4000か。うーん、じゃああの端の1000ゴールドのヤツにしとくか。」
美夕は、それをちらと見た。シンプルで何の色もついておらず、デザイン性にも乏しい。ディアム自体が綺麗な金属なので色はいいが、寸胴な形になっているので、女の子という感じではどう見ても無かった。
美夕が黙っていると、亮介が言った。
「そっちの薄いオレンジのヤツがいいんだろう?デザインもいいしな。」
美夕が小さく頷くと、翔太が呆れたように言った。
「はあ?金もないのに贅沢言うな。この後宿屋にも泊まるし飯も食うのに。オレ達をあてにするなよ。」
美夕は泣きそうな顔をする。
「わかってる…でも、これからもずっと着るからと思って。」と、決心したように顔を上げた。「これにします。」
美夕は、薄っすらオレンジの甲冑を指した。店主は、首を傾げた。
「いいのかい?宿屋はピンからキリまであるが、大体一泊500から1000ゴールドぐらいするぞ?」
美夕の決心は、揺るがなかった。
「大丈夫。夜までに稼ぐから。」
店主は、美夕の顔を見て、頷いて顎を振った。
「そこから中へ。サイズを合わせよう。」
美夕は、言われるままに中へと入って、そして新しい甲冑を装備した。
きちんと装着してもらい、美夕はその店主に向かって頭を下げた。
「ありがとうございます。」
店主は、笑った。
「こちらこそありがとうな、お嬢ちゃん。」と言ってから、声を落として言った。「だがな、あまり目立つ行動はとらない方がいいぞ。こっちの連中は、あんまり信じられる奴らばかりじゃないからね。」
どういう意味かと思ったが、美夕はあまり深く考えずに、ウキウキとした気分で装備屋を後にしたのだった。