襲撃2
「岩をどかせ!」軍の甲冑を来た男が叫んでいる。「何をしている、術を使え!何のために陛下から呪文を賜っておるのだ!」
怒鳴られた兵士達は、必死に呪文を唱えて術を放って岩をどかそうと岩に向かった。後ろから、歩いて来た軍服姿の初老の男が、言った。
「…逃げられたのか。」
怒鳴っていた男は、慌てて頭を下げた。
「は…ここへ逃げ込んだのは確認したのですが、その後物凄い勢いの術が放たれ、天井が崩れて参りまして…。」
「たわけ!」その男は、いきなり激昂して叫んだ。「ロマノフ様から、何としても捕らえよとの命を受けておるのに!せっかくに見つけた奴らを、一網打尽にする機会を逃すとは!」
相手は、土下座せんばかりに頭を下げて必死に言った。
「申し訳ありませぬ、リュトフ様!ですが本当に、呪文も聴こえずいきなりのことで…」
「うるさい!早く岩を避けて追え!逃がしたら、ただでは済まぬぞ!」
「は、ははー!」
相手は、平伏して言った。リュトフはそれをまるで汚いものでも見るような目で見て後ろを振り返った。
そこには、カルロが兵士達に囲まれ、後ろ手に縛られた状態で立っていた。
「…それで、この穴はどこへ繋がっている。お前から聞いた抜け穴には、あいつらは出て来なかったぞ。」
カルロは、小刻みに震えて答えた。
「ここは、誰も使っていない穴でした。どこへ繋がっているのか、誰も知りません。だが、あいつらは南東にある遺跡へ向かうのだと言っていた。だから、その穴を抜けてそこへ向かっているはずです!」
リュトフは、フンと鼻を鳴らした。
「お前が言っているその遺跡とやら、我らは確認したがそんなもの無かったぞ。お前は、あいつらに騙されたのではないのか。お前はあいつらの裏をかいたつもりでいたが、最初からあいつらはお前など信じていなかったということだ。」
カルロは、見る見る顔色を変えると、ブンブンと首を振って否定した。
「そんなはずはない!あいつらは、オレ達に全部話して、それで街まで一緒に行こうと…命に刻印があるってやつを、探すために行くと!」
リュトフは、それまで嘲るような表情をしていたにも関わらず、それを聞いて目を見開いた。そして、掴みかからんばかりにカルロへと寄って行くと、言った。
「なんだと?!命の刻印?!」
カルロは、急にリュトフがそんな風に顔を近づけて来たので驚いて後ろへと退いた。よろついて転びそうになるのを、両脇の兵士達に乱暴に起こされながら、おろおろと答えた。
「そう、そう言っていた…最近来た奴らの中に、そんなヤツが居て。オレ達が帰ろうと思ったら、オレ達はオレ達の15年前の仲間の中の、そんなやつを見つけなければならないのだと言って…」
リュトフは、どんどんと眉根を寄せた。カルロは、脅えて後ずさった。しかしリュトフは、また必死に崩れた岩を避けようとしている者達へと向いた。
「急げ!何としても奴らを捕らえて、吐かさねばならぬ!陛下がお探しになられておる者が、奴らの仲間に居る!」
と、駆け寄って自分も術を詠唱し始めた。
驚いたそれを監督していた者達も、慌ててリュトフに倣って術を放ち始める。
リュトフは、思っていた。なんとしても、なんとしても腕に紋様があるという、命に刻印を持つものを連れて陛下の御前に行かねばならぬ!
カルロは、呆然とその様子を見て突っ立っていた。
美夕達がアガーテから呪文を教わり、それを実際に放つための心構えなどを聞いていると、ラファエルが入って来た。
アガーテは、大儀そうに立ち上がると、頭を下げた。
「ラファエル様。いかがなさいましたか?」
ラファエルは、険しい顔で言った。
「ああ、主は座っていよ。何やら地上が騒がしい…我の結界でここは見つけられる事はないが、どうやら軍が地上に大勢入っているようだ。」
美夕は、口を押さえた。まさか、翔太達が見つかって…?
「それは…翔太達が捕まってここが知れたのでは。」
ラファエルは、美夕を見た。
「その可能性はあるの。しかしここが見つけられる事はない。我がここに居る限りあれらには気取られぬ。だが、あれらが諦めるまでここを出る訳にはいかなくなった。」
美夕は、真っ青になってガクガクと震えだした。そんな…翔太…。
「地下から、私でも入って来る事が出来ました。まさか洞窟を使うなんてことは…?」
ラファエルは、首を振った。
「それはない。あれは、主だからこそ近付けたのだ。我もなぜに勝手に入って来れたのかと最初思うたが、主と我の気は似ておる。同じ種類の命だからだ。ゆえ、結界に弾かれる事なくああしてたどり着けた。思えば同じ命が呼びあった結果やもしれぬな。」
しかしリーリアが、横から言った。
「ですが翔太様達は…?使われておらぬ入り口から参られましたわ。ラファエル様からここには不浄な輩は入って来られぬと聞いておったので、私もお話に出て参りましたが迷いこんで来られたのですわ。」
ラファエルは、今度はリーリアを見た。
「あれは、我が招き入れたのだ。結界に掛かったのを気取って見たら、あやつらはこの島の民達とは違う、軍に追われておる命と同じだと分かったからの。話を聞きたいと思うた…我の助けになるやもと思うたしな。」
アガーテは、顔を曇らせた。
「では、しばらくは動けぬということに?」
ラファエルは、ため息をついて頷いた。
「わざわざ出て参ってここに居ると教えてやるわけにはいかぬしな。ジョウタ達のことは案じられるが、致し方ない。」
美夕は、最後に見送った翔太の後ろ姿を思い出していた。何がなんでも帰りたいと、美夕を守ると…。
美夕は、顔を上げた。
「…ラファエル様、私が参ります。」アガーテもラファエルも、仰天した顔で美夕を見た。美夕は続けた。「翔太は私を守ってくれました。いつでも。今度は私が守らなければ。捕まったと言うのなら、助けなければ。きっとシーラーンへ連れて行かれたのでしょう。アガーテ様から術を教わったし、行けます。一人なら目立たないし。方角を教えてください!」
アガーテは、慌てて手を振った。
「ならぬ!主一人で何が出来ると申すのじゃ。術と申して今やっと呪文を幾らか覚えたばかりではないか。まだ実際に放ったこともないのに。巫女の術はの、選ばれた者にしか放てぬ重いもの。まだ主がそこまで成長しておるのか見てもないのに、ここを出すわけには行かぬ!」
急いで言葉を口にしたので、アガーテは最後激しく咳込んだ。慌てて寄って行ったリーリアが背を擦り、ラファエルが手を振って次の瞬間にはその手に水の入った液体を持ち、急いでアガーテに差し出した。
「慌てるでない。それでなくともここ最近は加減が良うないのに。」
アガーテは、ラファエルからそのグラスを受け取ったリーリアから介添えされて、何とか水を口に含んだ。美夕は、自分でも無謀なことを言ったのだと分かっていたが、それでも顔を上げてそれを見ていた。
ラファエルが、落ち着いたアガーテを見て、美夕へと視線を移した。
「主、己で何を言っているのか分かっておるのか?ショウタに守られておったのは主が弱いゆえであるぞ。術を少し知ったぐらいで、いきなり強くなるわけではない。それを、たった一人でシーラーンへなど、無理に決まっておろうが。勇敢な行動は推奨されようが、無謀な行動は神も望んでおられぬ。」
美夕は、それでも捕まった翔太達のことを思うと、ここで退くことは出来なかった。自分には、命に刻印が入っているのだ。なのに、ここまで不甲斐ない行動しかしてこなかった。役に立つ時に、役に立たなければならないと気が急いて仕方がないのだ。
「ラファエル様、確かにおっしゃる通り、私はとても弱かった。でも、レナート叔父さんと一緒にここまでたどり着きました。少しは強くなったつもりです。また地下を行かねばならないとしても、今度は岩に光る印をつけておく術も覚えているし迷うことはありません。この島は、火山の噴火で出来たと聞いておりますし、シーラーンの近くまで、地下を辿ったら何とか辿り着くかもしれないと思っているんです。」
それを聞いたラファエルは、少しハッとしたような顔をした。アガーテが、何とか息を整えて低い声で言った。
「…確かにこの島の地下には無数の洞窟が伸びておるが、主が言うようには行かぬ。なぜなら、パルテノンもそういった洞窟の一つにあって、そこを襲撃されたのだ。シーラーンは、そのパルテノンの上にある。王のアレクサンドルの手がパルテノンまで伸びておる今、地下ばかりでシーラーンまでたどり着くことは叶わぬ。」
ラファエルは、じっと考え込んでいる。
美夕は、ラファエルに必死に訴えた。
「確かにたった一人でシーラーンへなど無謀なのかもしれません。ですが、その手が伸びていない場所ギリギリまで近付いて、そこから地上を潜んで行けば、何とかなるかもしれません。地上へ出れば、私達には腕輪がある。お互いの居場所を知らせることも出来るんです。地下では無理なんですけれど…。」
アガーテは、黙って険しい顔でラファエルを見た。ラファエルは、息をついて、美夕を見た。
「主の気持ちは分かった。どちらにしろシーラーンへは参らねばならぬ。だが、今すぐではならぬ。地上には軍が闊歩しておって、我がここで結界をしっかりと見張っておらねばどこからか破られる可能性があるのだ。ここを離れたら、さすがにあれらに合わせて結界を調整するのは無理ぞ。まず、主はショウタ達がどこに居るのか正確に知らねばならぬ…もしかして、シーラーンではないどこかへ移送されておったら、主の努力も無駄になろうぞ。それこそ、皆が主を助け出そうとシーラーンへおびき寄せられることも考えられる。足手まといぞ。そうならぬよう、慎重に考えて行動するべきよ。」
美夕は、戸惑うように腕輪を見た。でも…地下に居る限りは腕輪は機能しないのに…。
ラファエルは、その様子を見て、息をついて頷きかけた。
「こちらへ。地上に近い場所がある。そこならば、もしやそれが機能するのではないのか。」
美夕は、顔を上げた。
「地上に近い?でも…軍に見つかるのでは。」
ラファエルは、頷いた。
「その危険性はある。主は、己を抑えて決して油断せぬと肝に銘じよ。分かったの。」
美夕は、ゴクリと唾を飲み込んだ。たった一人でシーラーンへ行くと啖呵を切った自分が、そんなことも出来ないとは言えない。
美夕は、頷いてラファエルに従ってアガーテの部屋を出た。
アガーテとリーリアが、それを不安そうに見送っていた。




