役目
ショーンは、夜空に浮きながら腕輪に向かって言った。
「分かってるって。無茶はしねぇ。陛下はなんて言ってた?」
腕輪からは、女声がした。
『深入りはせぬように、とおっしゃってたわ。そちらにはそちらの流れがあるのだろうって。異世界の住人って聞いてそれは気の毒に思われたようだったけど、ウラノスがついてるんでしょう。だったら問題ないだろうって。だからあなたも、切りのいいところで引き上げてらっしゃい。あなたまで命を懸ける必要などないんだもの。』
リリアナの声に、心からの心配を感じ取ったショーンは、笑った。
「心配ねぇよ。誰に言ってるんでぇ。そっちに居ても退屈だしな。オレの力が無駄になるじゃねぇか。こんな力を持ってるんだからよーやっぱり使うべきところで使わなきゃな。」
こちらにも、二つの月が出ている。その星空を見上げながらショーンが言うと、リリアナは大きなため息をついた。
『あなたらしいわね…分かったわ。でも何かあったら、必ず連絡して。』
ショーンは、それには顔をしかめた。
「それがなあ…今、オレが居るのは空の上だ。そもそもウラノスがパワーベルトを消して全ての世界を繋げたわけで、腕輪が通じるってのがラッキーなんだよな。地上じゃ全く繋がらねぇ。下に居たら、何か障害があるのかそっちとは通信出来ねぇんだよなあ。」
リリアナの声は、途端に慌てたようになった。
『なんですって?!空中になんて緊急時に行けないじゃないの!魔法で狙い撃ちにされるわ!こっちと連絡も取れなかったらどうするの?!』
ショーンは、リリアナの大きな声に腕輪を耳から離して顔をしかめた。足元の森の中で、何かがガサガサと揺れるのが見える。ショーンは、声を潜めて言った。
「こらリリアナ!声がデカい、足の下は森なんだぞ!メールキンが寄って来るだろうが!」
リリアナの声は、容赦なかった。
『メールキンが何?!メールキンは飛べないんだから平気でしょ!それより、また無茶を…、』
「あー?あー?聴こえねぇ。通信障害か?おーい」
ショーンは、わざとまだ何か言っている腕輪に向かって言った。腕輪からは、リリアナの声が漏れている。
『なに?ショーン?!ちょっと…、』
ショーンは、プツンと通信ボタンを押して切った。そして、空中で大きく肩を落としてため息をついた。
「ほんとによお…あいつ嫁になった途端にあれだから疲れっちまう…。」
そうして、ショーンはそのまま空中をスーッと飛んで海斗達の潜んで居る場所へと戻って行った。
岩屋の入口へと降り立つと、慎一郎が一人で立っていた。ショーンが戻って来るのは見えていたようで、じっとショーンが近付いて来るのを待ってから、言った。
「ショーン、どこへ行ってたんだ?飛べるってのは便利なものだが、それでもうろちょろしてたらこっちのことも話せないだろうが。」
ショーンは、表情を変えた。
「何かあったのか。」
慎一郎は、腕を組んだ状態で頷いた。
「カルロ達が出て来たんだが、何やら変な様子らしい。自分達で戦うと言っているのはいいんだが、急に手のひらを返したように海斗達に合わせているらしくてな。まあそれほど脅威な奴らでもないし、一般人の格好で街へ入れたらいいんじゃないかって話にはなってるんだが。」
ショーンは、ホッとしたようで肩の力を抜いた。
「だったらいいじゃねぇか。驚かせるんじゃねぇ。あいつらはその辺のモブと一緒だと思やいいさ。」
慎一郎は、驚いたように目を丸くした。
「モブ?お前知ってるのか、その言葉。」
ショーンは、手を振って中へと足を向けながら言った。
「だから言っただろうが、オレにはお前達と同じ異世界から来た友達が居るんだっての。何でもゲームの中で同じ動きで同じことしか話さない何の役にも立たないキャラが居るらしくて、それを総じてモブって言うんだろうが。そう教わったぞ。」
慎一郎は、本当に自分達と同じ世界からこっちへ来ている人が他にも居るのだと実感していた。ショーンから聞いてはいたが、半信半疑だったのだ。
「なんか…本当に帰れるかもと希望が持てて来たよ。」
慎一郎が歩き去るショーンの背にそう言うと、ショーンは笑いながら奥へと向かった。
「ああ帰れる帰れる。オレがついてるって。」
そうして、ショーンは中へと入って行った。
夜は更けて行った。
美夕は、まるでお通夜のようなシンと静まり返った食事を終えて、リーリアと同じ部屋へと戻って来ていた。
食事中は静かにしていなければならないらしく、アガーテも黙っているしラファエルも静かに食事を取っていて、終わってから美夕に話しかけて来るような状態だった。
これまで皆でわいわいと話しながら食べていた美夕には、とても食べた気のしない食事だったが、ここの皆にとってはこれが普通の状態らしく、美夕も文句を言うことも出来ず、ただ黙って黙々と食べるしかなかった。
皆が一列に並んで行儀よく食堂を出て行くのを見送ってから、美夕もこちらへと帰って来たのだ。
リーリアが、もう戻っていて笑顔で出迎えてくれた。
「ミユ。待っていたの。お風呂に入りに行くでしょう?私も行くので、一緒に行こうと思って。」
美夕は、そのかわいらしい様にホッとしてつられて微笑んだ。
「ありがとう。行きたいわ。ここでは毎日お風呂に入れるからいいわね。旅をしていたら、いつ入れるか分からないからとても嬉しいわ。」
リーリアは、美夕にタオルを手渡しながら、頷いた。
「そうね。私は旅をしたことはないけれど、こちらへ逃れて来る時のことは薄っすらと覚えておるわ。毎日がとても不安で…ラファエル様が居なければ、魔物に襲われておったかも。お風呂どころではないわね。」
美夕はタオルを受け取って、リーリアと二人で今入って来たばかりの扉を抜けて、また廊下へと出た。
廊下を歩きながら、リーリアは言った。
「アガーテ様からは、いろいろ教わっておるの?」
美夕は、そう問われて今日のことが走馬灯のように頭の中を流れて行って、途端にガクンと落ち込んだ…必死に教えられた呪文をメモに取って来たが、アガーテからはそれを明日までに全て覚えて来いと言われているのだ。
その量は大変なもので、これまでに美夕が覚えていた呪文の軽く倍はあった。
美夕の様子を見て、リーリアは心配そうに美夕の顔を覗き込んだ。
「ミユ?もしかして、難しいのですか?」
美夕は、息をついて頷いた。
「ええ。私が知っていた呪文とは、全く種類の違う呪文で…なんでも、巫女の間に伝わる呪文で、アガーテ様のように力のある巫女でなければ伝えられないものなのだとか。私には命の刻印があるのだから、きっと使わなければならない時が来るとおっしゃって…今日教わったものを、明日までに覚えて来るように言われているの。」
リーリアは、口に手を当てて同情したように悲しげな目で美夕を見た。
「まあ…。それは大変。私も痣があるので、刻印が無くとも力のある巫女になるのは間違いないとおっしゃって、きっと同じものだと思うけれど、呪文を覚えるように申されたわ。他の巫女には伝えておられないみたい…。」
リーリアは、そこまで言って、口をつぐんだ。恐らくは、それで他の巫女達の妬みの対象になっているのかもしれない、と美夕は思った。見ていると、リーリアは他の巫女達より格段に若く、そして末席に座らせていて誰も話しかけているようではなかった。いつも一人で、とても心細そうだったのだ。
そして、リーリアからは自分と同じ空気を感じていた…きっと、空気が読めなくて疎まれることが多いのだ。
美夕は、心の底から同情して、風呂の扉を押し開きながら言った。
「ねえ、じゃあ教えてくれないかしら。私、覚えるのが遅くて困っているの。全部は無理かもしれないけど、頑張って覚えて行かないと。」
リーリアは、美夕について風呂場の脱衣場へと入って来ながら、慌てて首を振った。
「まあ私などが。だって、まだ全て覚えていないの…それで、アガーテ様にも皆にも何と要領の悪いと、いつも叱られてばかりで…。」
美夕は、笑ってリーリアの肩に手を置いた。
「私もなの。いつも仲間に要領が悪い、空気が読めないって言われて叱られてばかりなの。一緒にがんばろう!きっと、二人なら出来るよ。」
リーリアは迷うような顔をしたが、思い切って、頷いた。
「そうね。二人なら、きっと出来るわね。」
そうして、二人はすっかり元気になって、風呂へと入って行ったのだった。




