神様2
ラファエルは、まだ赤子の頃からそれは利口で、誰も太刀打ち出来ない力の持ち主だった。
この地を守るというパルテノンの護りという呪術書をまだ幼い頃に読破し、地を守り、皆を守ることを幼い頃から誰に教わるでもなくやってのけた。
その頃外では、その40年ほど前に王座についていたアレクサンドルが何やら慌ただしくしていたが、パルテノンはシーラーンの地中深くに隠されていて、影響を受けることはない…と、思っていた。
15年前、突然に襲撃を受けるまでは。
突然の事に成す術は無く、まだ五歳と幼かったラファエルを守るため、全てのパルテノンの民達は必死に抗った。
年老いた修道士達は、命を投げうって盾となり、ラファエルを逃す時を稼いだ。
ラファエルは涙を流しながらも、その頃の精一杯の力で保護の術を放って巫女や若い修道士達を守り、そうしてここへ、逃れて来たのだった。
「…あれから、ラファエル様は一層術に励まれて。」アガーテは、長い話を終えて、誇らしげに目を細めた。「今では皆を守って余るほどのお力をつけられ申した。御父君のウラノスが残して行かれた術だけでなく、ご自分でも工夫なさってそれはたくさんの術を操る皆を導くに相応しいおかたにおなりじゃ。この上は御父君が望まれたように、この地を正して行かれねばならぬ。このような場にお籠めしておくようなおかたではないのじゃ。」そうして、じっと射るような目で美夕を見つめた。「時は近いのだろう。ウラノス様が仰ったように、同じように命に刻印を持つ者がこうして現れた。そなたはどのような役目を担うのか分からぬが、しかしラファエル様をお助けするのが主の責務だと我は思うておる。ラファエル様がこの地を正す助けになる何かを、主は成さねばならぬのだ。」
美夕は、今聞いたことを、途中からは書き記す余裕もなく聞いていた。ウラノスという名前は、聞いたことがある。前世の記憶とかそう言ったことではなく、昔読んだギリシャ神話の中に出て来た神様の名前だったからだ。
しかし、あのウラノスそのものではないだろうとは、思った。こちらの神は、ウラノスと名乗っておる、と言ったとアガーテは言った。つまり、名前は何の意味もなく、ただそう名乗っているだけだと美夕は直感的に思ったのだ。
ウラノスからしたら、名など何でもいいと思っている、と、なぜか美夕は思った。
「…アガーテ様は、では役目を果たされたのですね。」
美夕が何となくそう思って言うと、アガーテは、それは嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。美夕はびっくりしたが、アガーテは何度も頷いた。
「そう、我の役目は終わった。ラファエル様はご立派にご成長なされて、ここを出て世を正す旅に出られようとしておられる。」
美夕は、驚いてアガーテを見た。
「え、ですがラファエル様は、パルテノンの護りをご覧になるために出て行かれるおつもりなだけで、すぐにここへ戻って来られると思いますけど。」
アガーテは、微笑んでゆっくりと首を振った。その様は、かつてはそれは美しかっただろうと思わせる品の良さが滲み出ていて、美夕は思わず見とれた。
「主も知ることになろうぞ。時が満ちた。だからこそ、主らはここへ引き寄せられたのだ。ラファエル様はこれから、世を乱す輩と戦わねばならぬだろう…案じられるが、御父君が見守っておられる。きっと成されるであろう。主には、主の責務をしっかりと果たして参れと申すしかないの。」
美夕は、ただただアガーテを見つめた。ウラノスという神を心から信じ、ラファエルを育て、旅立つのを見送ろうとしている。神に捧げたその一生というものを、美夕は目の前で見たことが無かったのだ。
「アガーテ様も、こちらでラファエル様が使命を果たされるのを、見守られるんですね。」
美夕が言うと、それにはアガーテは少し、寂し気な顔をした。
「…それは叶うまいな。」美夕が驚いてアガーテを見ると、アガーテは小さく微笑んだ。「我の責務は、終わった。この歳までこの婆が力を持ったまま生きて参れたのは、神のご加護があったからこそだと思うておる。我はここまで。ゆえ、主ら命に刻印を持つ者達には、しっかりしてもらわねばならぬのだ。ラファエル様を助け、共に戦うと定められた命であるのだからの。我には羨ましい限りよ。」
そう言って美夕を見つめる目は、本当に寂しそうだった。本当なら、体の自由が利く歳であったなら、アガーテも共に戦ってラファエルを助けたかったのだろう。そして、ラファエルが立派にこの地を正しく導いて行くのを見守りたかったのだ。だが、神に定められているのはここまで。アガーテには、分かっているのだ。
美夕が、絶句していると、アガーテは視線を遠くどこかへと向け、言った。
「…我らは、皆生かされている。神が定めたもうたその時間、その加護の下に。主の務めを果たせることを、我は祈っておる。ゆえ、時はない。さあ、これよりは術を。少しでも多くの術を主に教えよう。必ず、覚えるのじゃ。我の代わりだと思うて、務めてくれ。」
美夕はまた、ペンをしっかりと握りしめた。
少しでも多くの術を覚えなければ。
自分には、たくさんの人の願いが掛かっているのだと、美夕は初めて心の底から自覚した。
左腕の痣が、少し痛む気がした。
日が暮れて来ていた。
外の見張りに立っていた翔太の所へ、慎一郎がやって来て言った。
「替わろう。飯が出来てるぞ。食って来い。」
翔太は、頷いた。
「ああ。さっきメールキンの声がしたから、気を付けろ。海斗が言うには、こっちのほうには来ねぇらしいが分からん。」と、足を中へと向けかけてから、ふと止まった。「…そういえば、カルロ達は出て来たのか?」
慎一郎は、深いため息をついて首を振った。
「いや。奥へ籠ったっきり飯にも出て来てない。まああっちはあっちであるんだろう。オレ達は一緒に行動してもしなくてもいいしな。海斗達に任せてる。お前は、美夕と一緒に行くんだろう?」
翔太は、少し驚いたような顔をした。
「お前はって、慎一郎も来るんだろうが。15年前の奴らと一緒に行動するのか?」
慎一郎は、手を振って笑った。
「いや、そんなはずはないだろう。オレも行く。だが、そのラファエルとかいう男と合流した後は、あっちで考えよう。…一緒に行動しない方がいい。」
翔太は、中へ入りかけていたのを、慎一郎の方へと向き直った。
「どういうことだ。」
慎一郎は、目の前に広がる森の方へと目を向けながら、答えた。
「オレと聡香、真樹は、面が割れてる。お前達と一緒に居て、見つかったら誤魔化しようがないだろう。だが、お前達なら甲冑さえ何とかなったら分からなくなる。」と、剣に短い呪文を唱えた。剣は、小さく縮んで手の中にマッチ棒のように転がった。「…物を小さくする術もショーンから教わった。甲冑はかさばらずに隠すことが出来る。お前達は、美夕が何を成すのか知らんがそれを果たすために、一緒に行け。オレは、別の方向から行く。そうすれば、何かあった時一網打尽にならずに済む。どうせ二手に分かれた方がいいのだ。なに、腕輪があるんだ、連絡はつく。」
翔太は、黙り込んだ。慎一郎の言うことは正しい。だが、こんな場所で分かれて再び会う約束も出来ない。帰り方が見つかっても、離れていたら間に合わないような事態に陥るかもしれない…。
だが、慎一郎は見張りの為に森を見たまま、翔太を見ない。
翔太は、否定も肯定もせず、逃げるようにその場を離れた。ゲームの世界とはいえ、命は一つ。しかも、本当の死なのかもしれない、死が隣り合わせの世界…。
翔太は、擦り切れて来た足の甲冑を見つめて歩きながら、これから起こることの重さを感じていた。




