痣2
「どういうことだ?」
翔太が、ラファエルに詰め寄った。
「さっきまでは、連れて行くとか言ってたじゃねぇか。この痣が何なのか、お前には分かったのか。」
さっきまで敬語だったのに、慌てたのかいつもの話し方になってしまっている。
ラファエルは、気にする様子もなく言った。
「覚えがあるのよ。我は、あちらの書物でこれを見た。パルテノンの護りに、確かにこの絵があった…しばし待て、はっきりと思い出せぬのだ。」
ラファエルは、眉を寄せる。美夕は、そんな大変な物なのかと怯えて自分の腕なのに逃れようと本能的に横を向いた。翔太は、その様子を見て、更にラファエルに言った。
「勝手なことを言うんじゃねぇ!こいつは、それでなくても臆病で、なのに無理して強いふりをしやがるヤツなんでぇ!これの意味が分かるまでは、一緒になんて行かねぇぞ!こいつになんかあったらどうする!オレはもう二度とこいつの側を離れるわけにゃあいかねぇんだよ!」
美夕は、それを聞いて驚いて翔太を見た。翔太は、真剣にそう言っているようで、ラファエルを睨むように見ている。アガーテが、見かねて割り込んだ。
「待たぬか、ショウタとやら。ラファエル様とて、万能ではない。あの折、まだ幼子であられたのだ。そのままパルテノンの護りから離れてしまわれたのに、あんな小さな時に読まれた内容を、全ていきなり思い出すのは無理ぞ。同じことを、主に出来るか?」
翔太は、ぐ、と黙った。確かに、ただでさえ難しい本を、子供の頃に何回か読んだだけで、大人になって内容を思い出せというのも酷だろう。
しかし、確かにこれを見たというのなら、思い出してもらわなければならない。
ラファエルは、眉根を寄せた。
「…確かに見たのに。ただ、我は必要ないと思うてしもうたのだ。なので、軽く読み流した。だが、それが何かの印であることは確かぞ。しかも、あまり良い方向へ使うものではなかった…この印が現れるのは、確かに命に刻印が刻まれた命であるが、しかし…なんであったか。」
ラファエルは、ますます眉を寄せる。
アガーテが、その背にそっと手を置いた。
「ラファエル様、ご無理はいけませぬ。ならば命に刻印があるのは、この娘も同じということになりましょう。ラファエル様と、同じ命がやっと見つかったのでありまする。まずは、そこを喜ばねば。」
美夕は、ショックを受けた。命に刻印…命に、刻印ですって?!
「わ、私に、命の刻印があると言うの?!」
それには、ラファエルは迷いなくすぐに頷いた。
「それは間違いない事実ぞ。異世界に生まれておっても、主には命に刻印がある。そして、その印がある以上、こちらでの使命を帯びておるのは確か。しかし、その使命を全うすることが、どういったことなのか分からぬ。我は…一刻も早く、パルテノンの護りを手にしなければ。」
その本に、全てが書かれてあるのね。
美夕は、その痣を右手で掴みながら、じっと考えた。子供の頃から、皆にからかわれる対象だった、痣。長袖しか着たがらなかったのは、そのためだった。幼稚園でも、小学校でも、中学校でもこの痣のせいで先生達に特別に長袖を着ることを許されて、そのために逆に目立ち、またからかわれるという悪循環になってしまった。
それぐらい、大きな痣だったからだ。
だが、パルテノンの護りには、この痣の意味が書かれてあるという。どうして、自分がそんな目に合わなければならなかったのか、それが全て、その本に記されてある…。
「…私、行きます。」美夕は、顔を上げて、言った。「パルテノンの護りを、読むために。」
翔太が、仰天したように美夕を見た。
「何をバカなこと言ってる!お前、満足に魔法も出せないってのに!」
美夕は、翔太を真剣に見た。
「翔太、確かに私は弱いしバカだし空気読めないし困った奴だと思う。でも、この痣は昔から私を苦しめて来たの。こんなものがあるから半袖だって着られないし、いつも知られることに脅えて、隠してびくびく生きて来た。でも、その意味が分かるかもしれないのよ。生まれた時から、意味があってこれがあるのなら、私は知らなきゃ。そのせいで、もしかしたら翔太達だって巻き込んでしまったのかもしれない。でも私がその何かの使命を果たしたら、あなた達だけでも帰れるかもしれないじゃない。きっと、私は行かなきゃならないんだわ。」
翔太は、グッと黙った。美夕が痣を隠したがっているのは分かっていたし、確かに目立つ痣なのでそれなりの思いはして来ただろうと予測出来たからだ。
そして、そんな痣を持つ美夕が同じグループに居たというのは、偶然ではないだろう。恐らくは、翔太達は美夕と共にこちらへ呼び寄せられたのだろう。ならば美夕の使命というものを探して、それを達成できるように手助けしなければ、自分達は帰れないということになるかもしれない。
海斗も同じように思ったのか、じっと黙って翔太達を見ている。
ラファエルが、口を開いた。
「確かに、ミユの言う通り。ミユが成すべきことがあってこちらへ来たのだとしたら、共に来た主らも同じであろうの。そして、15年前に来たという主ら」と、海斗を見た。「主らの中にも、恐らくそういった者が居たのだと思うぞ。だが、何があったのか分からぬが、そやつは使命を果たせずに死んだのかもしれぬ。それとも知らずにどこかで生活しておるのかもしれぬ。そして主らは、こちらに取り残されてしもうておったのやもしれぬの。」
海斗は、ショックを受けた顔をした。ということは、自分達は帰る方法が見つからないのに、必死に探していたということなのか。
翔太は、険しい顔でラファエルを見た。
「もう、あんたらだけの問題じゃねぇ。オレ達が帰れるかどうかも掛かってる。いくら何でもこの痣を持ってるのがこいつだけじゃあないとは思うが、それでもこいつを死なせたらオレ達だって帰れねぇ可能性があるってことだろう。もう既に一回死なせるところだったんでぇ。何とかこいつを守り切りてぇ。知恵を貸してくれねぇか。」
ラファエルは、頷いた。
「難しいが、我も力を貸そう。だがの、我は誰の命も守る責任があるのだ。ミユだけを特別扱いは出来ぬ。我はミユを含めた皆を守る。ゆえ、主らはミユを守れば良い。それから、そうそう命に刻印のある者など居らぬぞ。恐らくは、ミユと、居てもあと一人ぐらいであろう。」
海斗は、息をついた。
「翔太達はそれで帰れても、オレ達はどうなる?オレ達が来た時に一緒に来たらしい、この痣があるヤツってのは死んでるのか、生きててもそんなことは知らずに生活してるのかどっちかだろう。探すなんて無理だ。いくら小さな島だって言っても、死人まで分からん。」
翔太が、それにはどう答えたらいいのか悩んでいると、レナートが、じっと美夕の腕を見て考え込んでいた。それに気付いた海斗が、レナートを突いた。
「こらレナート、なに腕ばっか見てるんだよ。そりゃ若い子の腕なんかなかなか見ることなかっただろうが。」
美夕が、びっくりして慌てて上着を着た。レナートは、仰天した顔をしてブンブンと頭を振った。
「違う違う!そんな邪な気持ちで見てたんじゃない!ただ…なんかどこかで見たなと思ってな。どこだったか…結構前だ。あの、嫁と娘が死んだ時。混乱してたしどこでだったかって…。」
海斗は、それを聞いて目の色を変えた。
「なんだって?!それは15年前なんじゃないのか!どこで見た?!腕に出てたのか?!」
レナートは、海斗の剣幕に背を仰け反らせて避けながら、必死に言った。
「いや、だから覚えてないんだ!ちょっと待ってくれ、確かに誰かの腕だったんだ!だが、お前達戦闘員はみんな甲冑着てたしそんなもの見る機会なんかなかったし、鍛冶屋の客だったのか…あの頃のことは忘れようとしてたんだ!待ってくれ!」
翔太は、同情してレナートを庇うように言った。
「海斗、ちょっと待ってやれ。つらい思いをしたんだ、忘れちまっても仕方がない。それに、そいつは使命とやらをこの15年果たせてないんだろう。生きてるとも思えない。」
海斗は、翔太をキッと睨んだ。
「お前は美夕さえ何とかしたらそれで帰れる希望があるかもしれんが、オレ達はそいつに掛かってるんだぞ!もし死んでたら…オレ達は帰れないのかもしれない!」
ラファエルが、なだめるように割り込んだ。
「落ち着かぬか。我はそうは思わぬ。このミユが、主らの光になろうぞ。違う世界から来たのなら主が言う通りであろうが、しかし同じ世界から来たのであろう。同じ所へ帰るのであるから、一緒に事を成せば戻れるはず。そうでなければ何のために同じ世界から刻印のある者を連れて来るのか理由が分からぬからの。」
すると、黙っていたアガーテが隣で重々しく頷いた。
「その通りですぞ、カイトとやら。神はそなたらをお救いになろうとこれらをまたこちらへお呼びになられたのやもしれぬ。我らが神は、意味もなく事を起こされたりなさらぬ。主らの神に祈るのじゃ。我らが神と共に、主らを助けたもうぞ。」
海斗は、納得していないように黙った。
翔太にも、その気持ちは分かったが、黙っていた。今この時に、こんな状況で、神など居ないとは誰にも言いきれなかったのだ。とにかくは、今はラファエルと美夕を信じて、この世界での成すべきことを果たして、帰ることを考えるしかないのだ。
レナートは、まだ思い出そうと苦悶していた。




