隠れ家へ
美夕は、リーリアの声で目を覚ました。
「…リーリア?朝なの?」
リーリアは、頷いた。
「ええ。昨夜は話し込んでしまいましたものね。ですが、朝の礼拝も終わって、これから朝食の時間なので呼びに参りました。」
相変わらず、リーリアはおっとりと微笑んでいる。
美夕は、今の話をボーッとする起き抜けの頭で考えた。朝の礼拝…?朝食…?
美夕は、ガバッと起き上がった。
「え、もうそんな時間?!ごめんなさい、リーリアはもうとっくに起きてたってことでしょう?私ったら、すっかり寝入っていて…。」
急いでブーツに足を突っ込む美夕に、リーリアは慌てて言った。
「いいんですの。礼拝は夜明けからですし、今はまだそんなに遅い時間じゃありませんわ。」
言われて腕輪の時計部分を見ると、朝の7時前を指していた。
美夕は少しホッとして、それでも急いで上着を着た。
「起こしてくれてありがとう。あまり遅くなると、翔太達に何を言われるか分からないし助かったわ。それで、翔太達は?」
リーリアは、首を傾げた。
「どうでしょうか。あちらの者達が呼びに行ったのでもう出て来られるんじゃないかしら。」
なら、急がなきゃ。
美夕は、立ち上がった。翔太達は旅慣れていて、恐らく目が覚めてすぐに行動するなんて朝飯前のはずだ。先に朝食の席に行けなくても、せめて同時に着いておかないと、自分が本気で旅をするつもりでいると分かってもらえないかもしれない。
美夕は、リーリアを急かした。
「さ、行きましょう!」
リーリアは、美夕がやたらと急ぐのでためらいながらも、部屋を出て歩き出した。
相変わらず、廊下は白くて何も無いが、所々に現れる扉の上には、親切に緑のネオンサインのような表示があった。
昨日は、トイレの場所もこれで簡単に分かったし、そこからリーリアの部屋に帰るのも、扉の上にリーリア、と書かれてある部屋に戻れば良かったので、美夕は困る事もなく、本当に重宝していた。
廊下をそうやって物珍しげに見ながら歩いて行くと、前から翔太とレナート、海斗が歩いて来るのが見えた。その後ろからは、ラファエルも付いて来ていた。
「あ、おはようございます!」
美夕が大きな声で言うと、ラファエルは微笑み、翔太は顔をしかめて立ち止まった。
「朝から声がデカいぞ。また寝坊するのかと思ったが、何やらすっきりしてるみたいだな。」
美夕は、誇らしげに胸を張った。
「もちろん。旅をするなら、きちんと起きる時に起きて動けないとね。」だが、美夕はそこで顔をしかめた。「でも、あの、ちょっとお手洗いだけ行って来ていい?先に食べてて。」
翔太は、ハッハと笑った。
「なんでえ、済ませて来いよな。」
リーリアが、気遣わしげに美夕を見た。
「まあ、気が付きませず。ご案内しますわ。」
美夕は、笑って手を振った。
「平気よ、さっき通り過ぎた部屋でしょ?この食堂って書いてある所に戻ればいいんだから、大丈夫よ。」
美夕は何気なく言って踵を返そうとしたが、リーリアが息を飲んで口を押えたので、その動きを止めた。ラファエルも、穏やかな笑顔だったのに、真顔になった。
「…なんと申した?」
美夕は、どぎまぎした。また私、空気の読めない変な事を言ってしまったのかしら。
「え…あの、上にあるネオンサインみたいな緑の字です…なんの部屋か表示してあるんじゃないんですか?」
翔太が、チラと上を見て、ハーッとため息をついて肩を落とした。
「何もねぇよ。何言ってんだよ全く。」
それこそ美夕は驚いた。無いって…あれが見えないの?!
「え、デカデカととは言わないけど、どの扉の上にもあるよ!リーリアの部屋の扉の上にはリーリアって書いてあったもの!」
リーリアと、ラファエルが顔を見合わせた。美夕は、いよいよ変なことを言っているのかと不安になって黙る。翔太が口を開こうとすると、ラファエルが先に言った。
「…ならば主は特別よ。」横の翔太が、びっくりしたような顔をして、ラファエルを見た。ラファエルは続けた。「あれは、選ばれた者にしか見えぬサイン。ここの者達の中でも見えるのは我とリーリア、アガーテしか居らぬのだ。昔はもっと居たようだが、血が薄くなったのか今はこの三人しか見えぬ。我の命には刻印があるが、主はどうなのか…我には見えぬが、しかしリーリアとアガーテには刻印は無いのだ。」
美夕は、仰天してそれを聞いた。あんなにはっきりと、当然のように見えるあれが、他の人には見えないっていうの?!
「そんな…きっとたまたまです!私は、魔法もそんなに得意でなくてレベルは低いし、体力だって無いし、まして命に刻印なんて、あるはずありません。そもそも、ゲームしててこっちへ来ただけですし!」
翔太も同意見のようだったが、黙っていた。海斗とレナートが、訳が分からないという顔をしている。
ラファエルは、しかし真面目な顔を崩さずに言った。
「良く主を調べたようが良さそうよ。しかし、今は用を足して来るが良い。朝食の席で話そうぞ。」
そうして、ラファエルは先に立って扉を開き、食堂へと入って行く。
翔太達も気遣わしげにこちらを見ていたが、その後に従って中へと入って行った。
美夕は、混乱していたが考えても仕方がないので、急いでトイレへと向かったのだった。
食堂へと入ると、皆がズラリと並んで、四つの長いテーブルを前に静かに食事をしていた。
全ての人が居るのだが、学校の一クラスより少し多いかな、と言ったぐらいの数に見えた。
ほとんどが男性で、体のしっかりとした、しかし色彩は白っぽい感じの者達ばかりだ。長テーブルの二つは男性達、一つは女性たち、そしてもう一つはアガーテとラファエル、そして翔太達が座っていた。なので、美夕は急いでそちらへと足を進めた。
「おう。ここだ。」
翔太が言う。美夕は頷いて、翔太の横へと座った。正面には、ラファエルとアガーテが並んで座っている。翔太の横には海斗、そしてその横にはレナートといった順番だった。
「あれ、リーリアは?」
美夕が言うと、翔太は目の前の肉を口へと放り込みながら答えた。
「あっちだ。巫女達のテーブルだってよ。」
見ると、そのテーブルの一番端に、リーリアが座って食事をとっている。皆が皆とても静かで、大きな声では間違っても話せないな、と美夕は思った。
美夕も、目の前に置かれたスープに口をつけていると、ラファエルが言った。
「それで…ミユ。主は、いつからあのサインが見えておった?」
美夕は、努めて声を抑え気味にして、答えた。
「こちらへ来た時からです。レナート叔父さんと一緒にラファエル様が私達を廊下へと促した時から、扉の上に緑のサインがあるのが見えていました。でも、みんな見えていると思って、迷わなくていいな、ぐらいにしか思っていませんでした。」
アガーテが、黙ってラファエルを見上げる。ラファエルは、そんなアガーテに頷いて、先を続けた。
「主は、別の世界から来たのだの。なのに、我らの世界では特別な力と思われている力を持っている。こういう力を持つ者というのは、皆何か神からの意思で責務を持たされておることが多いのだ。主は、あちらの世界のことでも良いが、何か心当たりはないか?」
美夕は、考えた。しかし、あちらの世界でも普通の事務員で、しかも、仕事が出来ないと言われてつま弾きにされるような立場だった。何しろ、空気があまり読めないので人の間は苦手だった。ゲームに傾倒して行ったのも、そんな現実を忘れたいからだった。
「いいえ。」美夕は、悲し気に首を振った。「私は、この通り何も出来ないただの人で。あちらの世界でも、職場で仕事も出来ない事務員でした。ゲームの世界が大好きだったのは、こちらに居たら現実を忘れられるから。本当に、何も出来ない出来損ないなんです、私。」
自分で言っていて、気分が暗く落ち込んだ。翔太が、無表情でそんな美夕を見ている。ラファエルは、じっとそれを聞いていたが、首を振った。
「場、というものがある。我だって、主が言う職場とやらに配属でもされておったら、回りの者にどう思われたか分からぬぞ。命というのはの、そう単純なものではないのだ。どこででも活躍できるというものでもない。稀にそんな命も居るが、大きな責務を持って生まれていて、その能力を持っていなければ成し遂げられないからこその力。大抵が何かの能力に特化して生まれておって、そこで活躍することを想定されて生まれておるのだ。主は、場が違っておったのだろう。もしかして、であるが、だからこそ、主はこちらへ来たのかもしれぬぞ。」
美夕は、驚いてその話を聞いていた。場が違っていた…私の場は、こっちって事?
「…よく、分かりません。私、こちらでもやっぱり足手まといで。皆の足を引っ張って、一緒に旅をするのも困難になってしまったほどでしたもの…。」
翔太が、視線を落とした。他ならぬ翔太自身が、美夕をレナートに預けて置いて来る決断をしたのだ。玲も亮介も、カールだって美夕を厄介者扱いだった。確かにあのまま、美夕を連れての旅では皆の間に溝が出来てしまっていただろう。真樹でさえ、ああして一度は意見を違えて離脱したぐらいなのだ。
ラファエルは、空気を察したのか、苦笑した。そして、声を落として言った。
「まあ、主を見ておると、リーリアと同じ匂いがするものよ。あれも、己の責務が分かっておらず、まるで回りの動きが読めぬのだ。なので昔から、そう幼い頃から巫女の間では厄介者扱いだった。未だにサインが見えるという特別な命であるのに、自覚がない。巫女の間ではサインが見えるのにあんな風なリーリアに、妬みもあるのだろう、つらく当たる者も多いからの。あれは、なので二歳の頃から体に自覚を促す印が現れてしもうて、それが腕にあるものだからあれも必死に学んで消そうとしたのだが、未だに消えずにおる。我も、共に世のために戦う者は多い方が良いので、あれには早く自覚して欲しいのだが、こればかりは己との戦いであるからの。」
美夕は、ろくに味も分からない状態だが、それでもパンを咀嚼しながら、ラファエルの話を聞いていた。印…体に印が出るんだ。
「女性の体にそんなものがあると、きっとつらいですものね。目立つんですか?」
ラファエルは、息をついた。
「本人に自覚させるためであるから、目立つ。リーリアの印は右の上腕。赤い炎のような形。これが命に刻印があると、更に複雑な印になるのだと聞いている。リーリアの場合は、ただ炎の形で単純な物ぞ。」
美夕は、ピタと止まった。赤い、痣…?
すると、隣りに座っている、翔太が言った。
「お前…左腕の、あれは?」翔太は、声を抑えるのを忘れて言った。「あの、ドラゴンと戦って死にかけた時、オレはお前を運んだから見たぞ。聡香も、亮介も術を掛ける時に見てるはずだ。最初、戦いで着いた傷だと思って消そうとしたが、全く消えなかったんでぇ。かえって濃くなるようだって、聡香が術を放つのを止めたんだ。」
ラファエルとアガーテが、美夕を見た。
美夕は、左腕を抑えた。そう言えば、あれからしっかりとあの痣を見ていない。でも、あれは生まれつきあって、育って来たから出たわけじゃない。
「あれは…生まれた時からあったの。自覚がないからとか、そんなの関係ないと思う。だって、ほんとに赤ちゃんの時から…。」
ラファエルが、身を乗り出した。
「見せてみよ。」
美夕は、ためらった。こちらで翔太が大声を出したので、他のテーブルの人達もこちらを振り返っている。
それに気付いたアガーテが、ラファエルを横から押さえた。
「お待ちくださいませラファエル様。女子にこのような場所で服を脱がさせてはなりませぬ。お食事がお済みになったら、我の部屋へ参りましょう。」
ラファエルは、グッと抑えると、椅子へと座り直して、頷いた。すぐにでも確認したいようだったが、美夕はそれで助かった。あの痣は、小さな頃からコンプレックスだったのだ。半袖を着ていると皆の注目の的になってしまうほど、大きくてはっきりとした赤い痣だった。
美夕は、ここへ来るまでの前向きな気持ちも忘れて、朝食のパンは少しも喉を通らなかった。




