夢か現か
その男は、黒髪に鳶色の瞳の、彫りの深い凛々しい男だった。着ている黒の戦闘用のスーツも、すんなりと似合っている。突然のいい男に美夕はどきまぎしたが、慎一郎は、特に驚く風でもなく言った。
「…先に船で渡って来たプレイヤーか?」
相手は、頷いた。
「オレ達は二隻目でここに来た。船が急におかしな事になって…お前達もそうか?」
真樹が、頷いた。
「最終船でな」と、船を顎で示した。「あれだよ。」
相手は、眉を寄せた。
「だったら早く船から離れた方がいい。あの船は、しばらくしたらまた沖へ出て、そこで沈む。」
聡香が、口を押えた。翔太が、足を踏み出した。
「どういう事だ。」
相手は、息をついた。
「沈むんだよ、跡形もなく。それを見たオレ達は、運営がみんな死なせて強制的にゲームオーバーにしたんだと思った。だがオレ達は降りた…取り残されたんだから、これは死ななきゃならないと森へ向かったんだ。魔物はすぐに現れた…かなりの大物がな。こりゃ楽に死ねると思ったもんさ。」
慎一郎は、険しい顔を崩さずに相手を見た。
「だか、お前は生きている。」
相手は、頷いてしばらく、下を向いていたと思うと、ブルブル震え出した。
「…軽い気持ちだったよ。少々痛いが傷はつかないのがいつもの事だ。そうして、形ばかり剣を構えていると…」相手の震えは、激しくなった。「隣りに居た奴が、魔物の爪に貫かれたんだ。」
聡香が、フラッとした。それを慎一郎がかなりの素早さで受け止める。翔太が、同じように震える声で言った。
「…見たのか。確かに貫かれるのを。」
相手は、立っていられないらしく、膝をついた。
「見た。いつもなら、血しぶきも上がらないしあんなにリアルに内臓まで見ることはない。だが、オレは確かに見た…そいつが血を吐いて人形のようにその場に倒れるのを。助けを求めるような視線でこっちを見るのを。だが、オレはあまりにリアルな映像に動けなかった。他の仲間も同じようにパニックになって、術なんか放つ余裕がなかった。オレは必死で剣を振り回した…気が付いたら、魔物は死んでいて、仲間達の死体が回りに散乱していた。腕も脚も千切れた奴らも居た。」と、腕輪を見せた。「魔物を倒した金は入ってたさ。だが、これはもうゲームじゃない。あいつらは間違いなく死んでた。これは現実だ!」
慎一郎は、もはや失神寸前の聡香を支えながら、言った。
「そういうふうに見せてるだけなんじゃないのか。ホラーゲームならそうだろう。」
相手は、鼻で笑った。そして、目の前にリンゴを出した。
「味が分かるのにか?」慎一郎が、息を飲む。相手は続けて言った。「分かっていたが我慢ならずに食べてみたんだよ!そしたら、味もする、腹も膨れる。おかしいだろう?あのバーチャルスーツには、舌に何かを感じさせる機能は付いていなかった!」
皆が、しんと黙った。美夕は、そっとその男が出したリンゴを手に取った。味は、しないはず。スーツには、舌に何かを当てたりするものは無かったし、私は感じられるはずない…、
分かっていながら、美夕はそれを思い切ってかじった。
ジュワッと果汁が滲みでて来る。噛みしめると、その甘さがはっきりとわかった。皆が、固唾を呑んで美夕の反応を見守っている。美夕は、皆に向かって、言った。
「…甘いよ。リンゴに間違いない。」
皆、ショックを受けた顔をした。翔太が、美夕の手からリンゴを引ったくって、思い切りかじった。
そして、シャクシャクと音を立てながらかじり、言った。
「…うめぇじゃねぇかよ。」
美夕は、複雑な表情で答えた。
「うん…そもそも、齧った感じが伝わって来るなんて。いつもなら、齧ったってことになって、勝手に歯形もついて、数値が回復して…それぐらいなのに。ものすごく、リアル。」
その間にも、翔太はガツガツとリンゴを食べ進み、あっという間に芯だけになっていた。
「…。」
翔太は、その芯を手のひらに乗せて、じっと見つめている。慎一郎も、それを見つめていた。真樹が、首を傾げた。
「なに?芯が何かあるのか?」
翔太は、険しい顔のまま真樹を振り返った。
「無くならねぇな。」
慎一郎も、真剣な顔で頷いた。
「ああ、ゴミが残った。」
聡香が、ハッとしたように言った。
「ゴミって…この世界でゴミなんて出ませんわ。」
慎一郎が、頷いて聡香を見た。
「その通りだ。食べ終わったら自動的に芯まで食べたみたいに消えてしまう。なのに、これはここにある。」と、男の方を見た。「じゃあ、あくまでこれは現実だというんだな。」
相手は、頷いた。
「ああ。」と、背後に停まっている船を顎で示した。「オレは、仲間を失ってここへ戻って来てからもうこれで5隻の船を見てる。全員が降りて来た船は無かった。多くて半分。残りの半分は運営の対応を待つと言っているんだと降りて来た奴らは言っていた。全く誰も降りて来ない船もあった。だが全てに共通してるのは、全部その内沖へ出て行って、島と島を繋ぐ橋の下辺りを通過すると沈む。残った奴らは茫然とそれを見て、今お前達がしていた決断と同じことを考えて、森へ向かう。オレが、こうして止めているにも関わらず。」
聡香が、青い顔をしながらも言った。
「そんな…誰も、信じませんの?」
相手は、苦々しい顔をして、首を振った。
「ああ。頭がおかしいと思われてな。だからオレも、知恵を絞ったんだ。どうやったら、信じてもらえるかってな。」と、リンゴの芯を見つめた。「リンゴを使って説得するのはこれで三度目だ。みんな自分の頭で考えない馬鹿ばっかりなんだよ。」
翔太は、じっとそれを聞いていたが、リンゴの芯をその男へと投げた。
「まだ信じられねぇが、だが腹が少し膨れた。現実だってオレの体は言ってる。だから、お前が言ってることは嘘ではないと信じたいとは思うけどな。」
相手は、その芯を受け取った。そして、自分の背中に背負っているバッグからビニール袋を引っ張り出して、そこへ入れて口を縛った。どうやら、ゴミ入れにしているようだ。
「生きて行かなきゃならねぇからな。ここでのルールは守ってるんだ。ちなみに住民達はモブじゃないぞ。みんなきちんとここで生活してる奴らだ。あいつらからいろいろ聞いて、ここ数時間慣れることに費やして来た。オレはここでのことに慣れてる…お前達は、どうするつもりだ?」
どうするつもりって、どうしたらいいんだろう。
美夕が戸惑っていると、慎一郎が息をついた。
「ああ、わかった。お前は仲間が欲しいんだな?だから、オレ達を助けた。それで、自分が役に立つんだとアピールしてるんだろう。」
相手は、誤魔化すこともなくあっさり頷いた。
「そうだ。馬鹿な奴らとは行動したくないが、お前達は少しは物を考えることが出来るようだし、オレも一人じゃ帰り方が分からない。オレを仲間に入れて、一緒に解決して行かないか。」
翔太と慎一郎は、顔を見合わせた。今まで、グループのことは皆この二人が決めてサクサクと進んでいたので、その習慣が抜けないのだ。
だが、真樹が言った。
「いいんじゃないか?」翔太と慎一郎が、驚いたように真樹を見た。真樹は肩をすくめて続ける。「こんな異常事態なのに、情報は多い方がいいんじゃない?どうせ何も分からないんだし、一緒に旅をしようよ。」
慎一郎は、眉を寄せたまま言った。
「だが、登録できるのは5人だろう。一緒に旅をするのに、お互いの居場所を知るのも難しくなるぞ。」
真樹は、自分の腕輪を開いた。
「そんなの、今普通じゃないのに何人でも登録できるんじゃない?」と、腕輪を相手の男にずいと出した。「ほら、腕輪出して。」
相手は、頷いて自分の腕輪を開いて、受信機能をONにした。真樹の腕輪と男の腕輪が、チカチカと赤く光ったかと思う、パッとグリーンの光に替わった。
「あ、登録完了した。」
美夕が、思わず言う。慌てて自分の腕輪も開いて表示を確認すると、その画面には『レイ』とカタカナで表示が増えていた。
翔太と慎一郎も、急いで確認する。
「確かに…今は異常事態だな。」と、腕輪をパチンと閉じた慎一郎は、顔を上げて右手を差し出した。「よし。じゃあこれからは仲間だ、レイ。というか、オレ達はアバターの姿で無くなってから本名で呼び合ってるんだが、お前はどうする?」
相手は、慎一郎の手を握りながら、言った。
「同じだ。玲。井口玲だ。王様の王に命令の令を書いてレイと読むんだ。」
慎一郎は、頷いて手を放した。
「オレは田村慎一郎。そっちのごつい体のが安村翔太、こっちのアイドル顔が松本真樹、そっちのピンクの甲冑が佐々木美夕、隣りのやたら美人のシスターが如月聡香。」
翔太は、自分の名前が呼ばれた時軽く手を上げて合図した。真樹は、紹介文言に苦笑して軽く頭を下げる。美夕は頭を下げて、聡香も綺麗に品よく頭を下げた。
玲は、ホッとしたように緩く微笑んだ。
「一度には覚えられそうにないが、なるべく早く覚えるよ。」と、まるで違う人物のように穏やかに微笑んで慎一郎を見た。「それで、どうする?宿へ行くなら、案内する。オレ達が持ってる腕輪に入ってるゴールドが使えるのかどうか試して来たからな。リンゴも、それで買った。」
翔太が、顔をしかめた。
「ゴールドが通貨か?しまったな、ここへ来るのに武器を新調したんで、結構使っちまったよ。」
玲は、頷いた。
「森へ入れば、魔物が嫌ほど出て来る。それを退治するなり、街の仲介屋に荷運びとかの仕事を仲介してもらって仕事するなりしたら、すぐに貯まるさ。そこはゲームと同じだ。」
慎一郎は、船の方を見た。
「だがなあ…あれを放って置くのも、人道的にどうだろうとか思うんだが、どう思う?」
皆は、向こうに停泊している自分達が今降りて来た船を振り返った。
「まさか…あいつらを下ろそうと思ってるのか?」
翔太が言う。慎一郎は、さも嫌そうに顔をしかめた。
「分かってる、その間に出発しちまったらオレ達まで巻き添えだ。だが、分かってるのに放って行くのもって思ってしまってな。」
美夕は、向こうにぶら下がっているさっきやっと降りた縄梯子を見た。またあれを降りるのか…というか、中の人数結構居たけど?!
「ちょっと待って、タラップのないのに、あの縄梯子で一人ずつ降りて来るの?!絶対無理よ、間に合わない!」
真樹も、それには頷いた。
「オレもそう思う。あの縄梯子以外に降りる場所が無いんだよ。まして説得出来ないといけないから、沈むことを言うんだろう。大混乱になるぞ。」
玲が、頷いて慎一郎を見た。
「やめた方がいい。何がどうなってこうなってるのか分からないが、この原因を作った何かは、全部がここに降りることを望んでないんだ。恐らく、運とか判断力とか見ているんだと思う。それから外れた奴らは、死ぬ。だが、もしかしたら戻ってるのかもしれないぞ?」
慎一郎は、まだ納得していないようだった。
「それでも、お前は仲間が目の前で確かに死んだのを見たんだろう。オレだって、これは間違いなく自分の体だと思う。視界が現実みたいにクリアだ。一緒に船に乗って来たんだ、見殺しには出来ない。」
真樹が、困ったように翔太を見る。翔太は、息をついてそれを見返した。慎一郎と玲はしばらくそのまま視線を合わせていたが、玲の方が根負けして頷いた。
「仕方がない。だがみんなで行くことはない。オレが一緒に行こう。だが、船が動き出したら、誰が脱出してなくてもオレは先に降りるぞ。お前もそれを条件に船に戻れ。わかったな?」
慎一郎は、真面目な顔で頷いた。
「分かった。」と、皆を振り返った。「オレは行って来る。お前達は、降りて来た奴らに状況を説明してやってくれ。別に信じなくてもいい、下ろしてやるまでが仕事だと思ってるからな。後は勝手にやってくれって感じだ。」
翔太は、慌てて前へ出た。
「オレも行く!グダグダぬかしやがったら片っ端から桟橋へ放り投げてやる。」
慎一郎は、苦笑しながら首を振った。
「いや、お前は下で援護してくれ。オレ達が脱出出来るように手伝って欲しいんだ。すんなりいくとは思ってない。従う奴はそれでいいし、残るってヤツが居るならそれでもいいさ。ただ、何も知らないままってのが嫌なだけだ。」と、玲の方へと足を進めた。「行って来る。」
そうして、新しい仲間の玲と、慎一郎は船へと桟橋を走って行った。
それを見送りながら、美夕は複雑な気持ちだった。マーリン様、そのままだ。言うことも、やることも。
もちろん中身が慎一郎なのだから、そのままなのは当たり前だったが、美夕はどうしても慎一郎の頭頂部に目が行ってしまっていた。
カッコいいんだけどなあ…。
美夕は、ため息をついてそれを見送った。