メールキン2
一方、ランタンを消し、レナートについてそろそろと光の下へと向かっていた美夕は、前を行くレナートが、不意にピタと立ち止まったのを感じて急いで自分も足を止めていた。
ランタンがなくても、これぐらいまで来ると薄っすらとした光の反射でこちらの足元もぼんやりとだが見えていた。
段々に近付いて来ると、日の光は、山の木々の隙間からこちらへ向かって降りて来ているのが分かる。
そこそこの高さがあったが、岩がゴツゴツとしていて足場があるし、登れないことはないようだ。
美夕は、ホッとしながら歩いていたが、気になることがあった。
日の光に下へと向かっているにも関わらず、なぜかそちらからは、生臭いような空気が流れて来ているのだ。
最初はどこかから流入して来ているのか、と気にしていなかったが、そちらへ近づくにつれて、臭いはどんどん強くなって来る。
美夕が首に巻いているスカーフを鼻の辺りまで上げて、その臭いを抑えようとしていると、レナートが、緊張したように体をこわ張らせたまま、小さな声で言った。
「…いいか、落ち着いて聞け。ここから、来た道を下がる。ゆっくりとだ。」
美夕は、怪訝な顔をしてレナートを見上げた。
「叔父さん?あれぐらいの高さなら、私登れるわ。大丈夫よ。」
レナートは、それでもまるで凍り付いたように固まったまま、言った。
「あそこを登ることは出来ない。いいな?ゆっくり行くんだ、音を立てるな。それから、頭を動かすな。余計な動きはするな。」
美夕は、何を言っているのだろうと顔をしかめて光の方を指さした。
「外へ出れるじゃないですか。臭いなら、我慢できます。」
「馬鹿!動くな!」
レナートは、急いでその腕を抑えた。
美夕は、その瞬間、その広い光が降り注ぐ空間の壁にあたる場所に幾つも開いている横穴の中で、何かがキラっと光ったのを目にとめた。
それが、二つ、虹色に見えたが、徐々に穴から何かと共に出て来て、縦に黒い切れ込みがあるのが分かる。それが、魔物の頭についている、大きな目だということに気付いた美夕は、声を上げた。
「ひっ!」
レナートは、美夕の口を抑えたが、遅かった。
その空間の壁にある無数の穴という穴からは、同じように二つの光、もちろんそれも目が現れて、こちらへと向けられている。
レナートは、美夕を押した。
「行け!走れ!」
美夕は、駆け出した。
レナートも、斜め前を物凄い勢いで走っている。
「キャーーーー!!」
甲高い悲鳴かと思ったが、背後から聞こえて来るその声はその、魔物達の鳴き声だった。
美夕は、足場の悪いそこで足を絡ませながら必死に走りながら、思った。さっき子供の声だと思って聞いた声は、魔物の声だったんだ…!!
レナートは必死の形相だ。美夕も、何が起こっているのか理解するのも後手後手で、ただただ走るしか出来なかった。
この広さなので、魔物は簡単に追いついて来る。振り返ると、その数は驚くほどだった。
「こっちだ!」
レナートが、脇で叫んで横穴へと飛び込む。
美夕は、突然のことだったので必死にブレーキを掛けると、身を翻してそこへ頭から飛び込んだ。
「キエエエエエーーー!」
無数の声がすぐ背後で聞こえた。
「早く!」
レナートは、頭から飛び込んで転がっている美夕の腕を、思い切り引っ張って奥へと引きずり込んだ。
その瞬間、今まで美夕の足があった辺りに複数の恐竜のような顔が突っ込まれて、バクリと口を閉じたのが見えた。
「グルウウウウウ!キエエエ!」
その穴からは、三つのそんな首が突っ込まれ、こちらを見て抗議するように鳴いている。その穴の中は入口の割には大きく、レナートと美夕が身を寄せ合って震えてそれを見ていると、そのうちの一頭が他の二頭の押して外へ出し、自分だけ入ろうと更に首を奥へと突っ込んで来た。
美夕が体を固くすると、レナートはなだめるように、しかし震えながら言った。
「大丈夫だ、あいつらは腹から下が太いんだ。絶対に入れない。」
美夕は、ゴクリと固唾を飲んで、ただ頷いた。魔物は、目の前でバタバタと暴れている。
すると、穴の脇がパラパラと崩れて来ているのが見てとれた。だからといって、すぐに崩れるようでもなかったが、それでも、美夕は言った。
「…ここから、もっと奥へ入った方が良さそう。」
レナートは、それを聞いてランタンを着けて回りを見回した。そして、幾つかある穴の中で、一番大きそうな奥のひとつを見た。
「あそこから行こう。さあ!」
美夕は頷いて立ち上がると、まだ暴れながら鳴き声を上げている魔物を背後に、更に奥へと歩き出したのだった。
しばらく奥へと進むと、ホッとしたのか急に足が傷み出した。
見ると、両方の膝が擦り切れて血が流れていた。
「叔父さん…少し、待ってください。」
レナートは、ハッとしたように立ち止まり、美夕を見た。レナートも、よく見ると頭に擦り傷を作っていて、顔の横を血が流れて落ちていた。
美夕は、手を上げた。治癒魔法の呪文は、亮介から聞いて各種頭の中に取り揃えてある。それに、よく考えたら自分は攻撃魔法だってもう、結構な数の呪文を覚えていたのだ。
どうして戦う選択肢は無かったんだろう…。
美夕は、魔物相手に逃げるだけしか出来ず、レナートを傷つけてしまった自分を責めていた。
魔法は、すぐに発動した。そして、美夕とレナートの二人を包んで、体中に気付かなかった傷まで、綺麗に消して行くのを感じた。
ボロボロで体力も消耗していたにも関わらず、それもあっさりと回復したので美夕がホッとしていると、レナートが自分の手足や頭に触れて、感心して言った。
「こいつは…恐れ入った。やっぱり嬢ちゃんは戦闘員だな。昔、街へ来てた奴らもこうして、少しぐらいの傷なら治してしまった。今までのオレ達には考えられん魔法だったな。」
美夕は、それでも落ち込んだまま言った。
「でも…魔物が居るのに気付かなかったし、逃げるばかりで戦うことなんか頭に浮かばなかった。私って、やっぱりこういうの、向いてないんです…。」
レナートは、首を振った。
「まああそこまで近付いちまったら見つかるのは時間の問題だった。静かに下がったら見つからない可能性もあったが、あの数だ。例え戦うことを思い出してたとしても、戦ってたら囲まれて逃げることも出来なかったと思う。あれは、メールキンの、巣だ。」
美夕は、目を丸くした。
「え、巣だったんですか?!」
レナートは、苦笑して頷いた。
「あいつらは、洞窟の中に巣を作って群れで生活してるんだ。昼間はそこで寝て、夜に狩りをする。あいつらは、巣穴で寝てたところを叩き起こされた状態だったってわけさ。怒って当然だな。」
レナートは、唇をゆがめた。笑ったのだろうが、まだ表情が硬くてそうは見えなかった。
「それなら…私一人じゃ戦ってたら死んでました。そんなたくさんの数を倒せる気がしないし。」
レナートは、息をついてその辺りの岩へと腰かけた。そして、あっちこっちを探って、水のボトルを引っ張り出すと、言った。
「カバンは落として来ちまったし、あるのはこの水だけだ。道は全くわからん。戻ればアデリーンの家には帰れるだろうが、またあの道へ行かなきゃならないだろう。メールキンの奴らが待ち構えてないとも限らない。どうする?」
美夕は、腕輪を見た。まだ、何の投稿の着信もないこれは、相変わらずの圏外のようだ。これの、方位磁針だけを頼りにここまで来た。
「…今のは、西へと逃げて来たみたいです。このまま、北へ進んでみませんか?そこで、上へ上がれるところがあったら、とにかく上がりましょう。もう紐もありませんし、荷物が水しかない以上、一刻も早く地上へ上がらないと。迷うのは避けないと。」
レナートは、頷いて水を美夕に放って寄越した。
「お嬢ちゃんも飲んでおいた方がいい。北へ行こう。」
そうして、美夕はレナートと共に、北の方向へと伸びているように見える穴を選んで、そちらへ向かって再び歩き出したのだった。




