脱出
レナートは、近所中にそっと掛け合って長い紐状の物をたくさん持って来た。
ロープもあれば、針金を巻いた物もある。とにかくそんな、紐を巻いたような形の物を、たくさんもらって来て、それをせっせと麻袋に詰め始めた。
「叔父さん?商店で買って来たんですか。」
レナートは、とんでもないと首を振った。
「あのなお嬢ちゃん、軍が見張ってて、オレはお尋ね者みたいなものだ。そんなオレが、こんなものばかりせっせと買ってたら、怪しんでくださいと言ってるようなもんだろうが。近所を回って、長いもんならなんでも持って来た。お嬢ちゃんも、そっちのベットシーツやらバスタオルやら詰めてくれ。これが、これからオレ達の命綱になるんだ。
美夕は、言われた通りに袋へとそれらを詰めながら、こんな物が命綱なんて、なんて心もとないんだろう、と思った。
さっき腕輪を地下通路内で試してみたら、方位磁針は使えるようだった。でも、やっぱり掲示板の更新や、通信は出来ないらしい。どうやっても、うんともすんとも言わなかった。
誰も知らない地下通路なのだから、安全な道なのは間違いないのだろうが、如何せん自分で迷って遭難してしまう可能性がある道だった。
レナートが言うには、必ずしもどこかへつながっているとは限らない道らしい。天然に出来たものなら、それは当然だろうと思われた。
美夕はひたすらに不安だったが、それでもそんなことを言っていては皆について行くことなど出来ない。
美夕は、表情を引き締めて、レナートが言うままに布を袋へと詰め終わった。
「さあ、これは弁当だ。」レナートは、紙袋に入れたパンを美夕へと渡した。「長い道のりになるかもしれないぞ。何しろオレは、街中へと抜ける道しか今まで使って来なかったんだ。自分で見つけた道だからな。もし行き止まりになっても、また戻ればいい。そのための、紐だ。安心して落ち着いて行こうな。」
美夕は、本当の叔父さんのようにこちらを気遣ってくれるレナートに、感謝しながら頷いた。
「ありがとうざいます、叔父さん。私、きっと街を出て、軍に仕返ししたいっていう叔父さんの気持ちに応えられるように頑張ります。」
レナートは、フッと笑うと、美夕を頭をポンと叩いた。
「そんなことはいいんだよ。お嬢ちゃんが無事で親御さんの所へ帰れたら、それでな。」
レナートはそういうと、美夕に先に行けと地下通路へと下ろした。
そして、ランタンを手に持つと、地下室から階上へ向かう扉を閉め、地下室の灯りを消した。その後ランタンの灯りを頼りに地下通路へと体を滑り込ませると、さっさと床板を閉じ、背負っていた針金の先を、そこの突き出た岩へとしっかり巻き付けた。
「さあ、行くぞ。これを辿って、ここへ帰って来れるんだ。じゃあお嬢ちゃん、北西は、どっちになる?」
美夕は、急いで腕輪の方位磁針のマークを押した。方位磁針は、スーッと動いて北を指す。それに合わせると、北東はここから左斜め向こうだった。
美夕は、そちらを指さした。
「そっちです。」
レナートは、きょろきょろとその辺りを見ていたが、人が這ってやっと入って行けそうな穴を指して、言った。
「そっち方向にここから行くとなると、この穴しか見当たらないな。途中でどうなってるか分からないが、行くか。」
選択肢は他にない。
美夕は、黙って頷いた。そして、自分が方位磁針を持っているので、先に這ってその穴の中へと体を入れて、ランタンで先を照らしてみる。
先は見えない、ただの暗い穴が続くばかりだった。
「…本当に大丈夫かしら。叔父さん、ずっと先が見えないわ。」
後ろから、レナートが答える。
「そんなもんさ。オレが使ってる通路だって、途中こんな細い場所があるんだぞ。とにかく言ってみなけりゃ、何も分からん。」
美夕は、仕方なくそこを、這って進んで行った。
真っ暗で、もう気が滅入って来そうだった。
一方、翔太達は、一週間前にこの隠れ家の洞窟へ来てから、ここの魔物のことや、軍のことなどを海斗達に聞いて、学んでいた。
美夕との連絡が、全くつかなくて思わぬ足止めを喰らった形になっていたが、それでもそれなりに予備知識を着けることも出来、そして体力も回復することが出来、チームにとってはプラスのことが多かった。
そして彼らは、街へも潜入してさっさと要用のアイテムや食料など手に入れて戻って来る。どんな手を使っているのかと思ったが、なんと彼らは、荷物を小さくする術を知っているのだという。
これは、翔太達最近上陸した者達にとっては、とても革命的なことだった。
「え、え、ということは、今まで重い思いをして運んでた、食料とか甲冑とかは?!」
真樹が、興奮気味に言うと、海斗は苦笑した。
「みんな小さくしてミニチュア状態だ。使う時に大きくする呪文を唱えて大きくするのさ。そうか、知らないのか、そんなことも。」
翔太が、憮然として首を振った。
「何しろ、オレ達はデジタルの世界でゲームをしてただろう。船の中で、いきなり今回はアナログだとか言われて、アイテムを現物のように持つように言われて、ずっと背負って来たんだぞ。お前達は、そうじゃなかったのか。」
海斗は、首を振った。すると、あちらでアイテムの配布をしていたカーティスが寄って来て、言った。
「オレ達も、来た時はアイテムだってなんだって、背負って移動させられてたよ。だが、軍に追われて森を逃げ回っている時に、誰も行かないっていう島の北側の方へと逃げ込んでね。」
海斗は、カーティスに頷いて先を引き継いだ。
「そうそう、あの時はほんとに駄目かと思った。クリフが足を踏み外して竪穴に落下して、オレはそれを追って飛び込んでって。」
カーティスは、さも可笑しそうに声を立てて笑った。
「そうだったな。オレも飛び込もうかと思ったが、もしかして上がって来れなかったらと思って、ロープを持って上で待ってたんだよな。」
海斗は、同じように笑いながら言った。
「そしたらそこが潜むのにいい感じだったんで、カーティスも呼んで。で、その竪穴から横に伸びる洞窟へと歩いて行ったら、そこで調査しているとかいう、何人かの人達に会ったんだよな。」
翔太は、長い話になりそうだったので、ため息をついて遮った。
「ああ、別に顛末全部聞きたいんじゃねぇ。で、この呪文は誰に聞いたんだ?」
海斗とカーティスは、楽しく話していたのに話の腰を折られて少しムッとしたような顔をしたが、言った。
「ああ、で、そこで会った人達に聞いたんだ。それが不思議な人達で…このリーリンシアの住民ってのは、ほんとに魔法が使えなくて、新しい呪文なんて知りたくても教えてもらえるなんてことあり得なかったんだが、その人達は違ったんだ。」
それには、真樹が興味を持ったようで体を乗り出した。
「え、そんなにいろいろ知ってたの?」
カーティスは、頷いた。
「知ってる知ってる、そりゃあいろんな呪文をな。でも、こっちの環境が変わったら駄目だからって、あんまり教えてもらえなかった。こっちのってことは、どこか別の場所から来たんですかって聞いてみたんだが、それにも苦笑して、申し訳ないが、誰にも教えられないんです、と言って教えてもらえなかったんだよ。でも、これだけは便利だからって、教えてくれた。何しろ、穴に落ちた時にクリフが怪我してしまって、その荷物まで担いで行かなきゃならなくて、それに同情してくれたからなんだけどな。」
真樹は、キラキラと瞳を輝かせてそれを聞いている。横で黙って聞いていた亮介が、言った。
「へえ、オレも会いたいもんだな。オレは見ての通り魔法だけが取り柄だから、もっと魔法を覚えたいんだよ。もちろん、ゲームの中で覚えられる魔法なら全部覚えてるが、もっとスキルアップしたいね。」
真樹は、驚いて亮介を見た。
「え、亮介さんすごい!あんなに戦えるのに、まだ覚えるんだ!」
尊敬の眼差しに見える。亮介は、その素直な反応に、びっくりしたようで照れたように顔を赤らめた。
「え、いや、そこまで大したことは出来ないんだ。ほんとに、オレの魔法にも限界があるしな。だからこそ、何があってもこれが出来るってことを、覚えておきたいって思うんだ。オレは、翔太や慎一郎みたいに、斬り込む技術を全く持ってないから。いつも後ろで、詠唱してるばっかりだし、せめて魔法なら何でも出来ないとって思って。」
海斗は、そんな亮介の様子に笑いながら言った。
「確かに、あの人達の魔法には底が無いんじゃないかって思ったね。何しろ、命の気の限界が来ても、っそれを大地から吸い上げて仲間に供給することが出来る人が居たんだ。すごいなあって思って、その術だけでも教えて欲しいって懇願したんだけど…」
亮介も翔太も、それには身を乗り出した。
「なんだって?命の気をいくらでも使えるってことか?」
翔太が、さすがに驚いてそう問うと、カーティスが真面目な顔で頷いた。
「そうなんだよ。普通、オレ達は自分の体の中に持ってる命の気がなくなったら、もう魔法を放てなくなるが、あれがあったらいくらでも使えるじゃないか。だから、カイトと二人で必死に頼んだ。」
翔太も亮介も真樹も、続きを期待してじっと二人を見る。
しかし、海斗はガックリと肩を落とした。
「…駄目だった。というのも、あの術は誰でも使えるものじゃないんだそうだ。生まれつき、その能力を持って生まれている人が居て、あの人達の居る世界では、そういう人を普通の術を使える人達と区別して、特別に術士って呼んでるんだそうだ。ちなみに、術を使えるだけの者達は術者。だから、オレ達は軒並み術者だってことだ。ここの住民のほとんどが術者ですらないんだから、そう思ったらオレ達だってそこそこ大した人間なんだが。」
翔太は、ガックリして力を抜いた。
「なあんでぇ。生まれつきかよ。そんなの、オレ達の中に居るわけないじゃねぇか。オレ達は、ただのプレイヤーなんだぞ?選ばれた人間じゃねぇ。期待させやがって。」
亮介も、頷いて肩を落としている。
「だな。オレも、それが出来るようになったら、いくらでも大きな術を連発出来るぞってかなり期待したのに。」
海斗とカーティスは、ハハハと笑った。ガックリしていたのは、芝居だったらしい。
「そんなにうまく行かないさ。ま、オレ達はオレ達が出来ることをしようや。」
そんな風に和気あいあいと話に花を咲かせている向こう側で、聡香が置いてある木の椅子に座って、そっと傍らに立つ慎一郎の方を、気遣わしげに見た。慎一郎は、そんな皆が話しているのに加わるでもなく、何かを考えながら手に持っている地図を見つめている。
慎一郎は、特にあからさまに避けられているわけでもないが、それでも勝手にシーラーンへと行く軍へ同行することを決めた事実や、それまでのワンマンな進め方に皆の反感をかっているようだ。それは、聡香も感じていた。しかし、それでも慎一郎は、聡香の恩人であり師だった。今まで助けて来てもらった恩義は、こんなことで消えるはずもない。なので、今の状態は聡香にとってもいい状態ではなかった。
美夕さんが居てくれたら、少しは雰囲気が違うのに。
聡香は、そう思ってため息をついた。美夕は、いい意味で回りの空気を読めないので、雰囲気が険悪でもあのあっけらかんとした対応で、それを吹き飛ばしてしまうところがあった。本人は気付いていないようだったが、聡香は、例え戦闘で少々役に立たなくても、それでもこういう普段の雰囲気づくりのためにも、美夕は居てくれた方がいいのだと思っていた。
明日の夜には、森の端へと迎えに行くのだという。
聡香は、早く美夕が合流できたらいいのにと、密かにもう何度目かのため息をついていたのだった。




