孤独と弱さ
真樹は、呆然と遠く見えるパージの街を見ていた。
この広い土地で、たった一人になってしまった事を、やっとひしひしと感じ取っていたのだ。
美夕とは違い、自分は誰を信用していいのかも分からず、知っている人間が全く居ない場所に、たった一人で取り残されてしまったのだ。
パージの街へ、暗くなってから行こうとさっきまで思っていたのだが、確かに軍隊というものは、夜回りをしている交代の兵が居るものだろう。
そんなところへのこのこと出掛けて行って、カールが言っていたように顔を見咎められて捕らえられるのは、目に見えていた。
それに、自分は翔太のように体が強い方ではなくて、力も人並みだ。戦闘能力もそうでもなく、魔法もそこそこだった。だから、翔太や慎一郎の補佐として戦うことで役に立っていたのだが、あの二人とは違って、一人ではこの世界で生き残れる自信は全くなかった。
虚勢を張ってああ言い放って残ったものの、このままここで身動きできずに、結局食料が尽きて死ぬことになるのでは、と俄かに不安になって来ていた。
遠いとは言っても立っていたら見つかるかもしれない。
真樹は、じっと膝を抱えて座って考えた。これから、どうしたらいいんだろう。今から、翔太達を追いかけてみようか。でも、追いついたらどんな顔で翔太を見たらいいんだ。翔太は、きっとバカにするんじゃないのか…。
こうなっても、まだ自分の中のプライドが邪魔をすることに真樹は顔をしかめた。だが、同じ男としてあんな言い方をされたら腹も立つ。翔太は、ちょっと自分が強くて力があるからって…。
真樹は、浮かんで来る涙を押さえて下を向いた。このまま、死ぬのかもしれない。誰にも、気付いてもらえないまま。それなら例え無謀だと思っていても、翔太達と一緒に行って戦って死んだ方が、良かったのかもしれない。それも出来ないなら、いっそわざと捕まって、慎一郎が居るシーラーンへ連れて行かれた方が生き残れるんじゃ…。
真樹は、顔を上げた。そうだ、捕まろう。そうしたら、きっと慎一郎に会えて、そこから逃げ出す手段だって見つけて行けるかもしれない。
そう思ってパージを睨むものの、なかなか足が出なかった。いざ捕まると思うと、その勇気が出ない。翔太は、なんて言っていただろう。そう、美夕に。
『ここに居るオレ達は男だからってのもあるが、一人でも生き残って逃げる気概がある。だが、お前はまだ、誰かを頼ってる。オレは頼られるのは嫌いじゃねぇ。だが最初から頼る気しか無い奴は嫌いだ。自分のことは、自分で守れねぇとこんな旅は出来ねぇ。』
…そうか。オレも自分一人で生き残って逃げる気概が無かったのか。
真樹は、どうして自分が美夕にあれほど同情したのか今分かった。自分も、美夕と同じだったからだ。
真樹は、また座り込んだ。誰かに頼っていては、きっと生き残れない。こんな気持ちでは…。
ガックリと背中を丸めて岩陰に座ると、真樹はそのままじっと丸まって後悔した。どこにも行けない…どうしたらいいんだろう…。
慎一郎は、また海斗の背を追って走っていた。
空は白んで来て、それでも深い森の中まで届く光は少ない。
海斗は文字通りその森の中を熟知していて、ここまでの数時間魔物には遭遇していなかった。
聡香はブレンダ達に任せて、慎一郎と海斗は森へと向かったのだが、その速さは並みではなかった。
「さっきは女連れだったし加減していたが、今度はそうはいかんぞ。魔物の巣窟を、狩りの場所を避けて行くんだ。音に反応するから、こちらが草を踏み分ける音を聞き分けて来る可能性もある。その時は、とにかく逃げることを優先にするんだ。やむを得ず戦う場合は、傷をつけたらすぐにその場を離れるんだ。回りの魔物が血の匂いでどんどん集まって来て、逃げることが出来なくなる。」
海斗は、そう言って洞窟を出てからずっと走っていた。慎一郎が遅れるかどうかなど、考えてもいないような様子で、ひたすらに走って走って、時に何かを気取ったのか脇へと潜み、そしてまた走った。
慎一郎は、足がもういうことをきかなくなって来ているのを感じていた。
どれぐらい走っているのかも、もう分からない。体力には自信があった。毎日職場までの数キロを走っているし、長距離も大丈夫だと思っていた。だが、ここは足場が悪い。しかも、山を緩やかに下っていた。下りは膝に負担がかかる。
そんな場所なのに、海斗は何とも無いかのようにそれは軽快に走った。慎一郎は、歯を食いしばってそれを追った。
すると、急にスピードが落ちたと思ったら、海斗はゆっくりと歩き出した。
「…もうすぐ、パージ近くの森へと出る。ここまで来たら、魔物も出ない。街の結界が近いからな。」
慎一郎は、汗を滴らせながらゼイゼイと肩で息をしつつ、頷いた。何か答えたかったが、声が出ない。それを見て、海斗は苦笑した。
「なんだ、真夜中に一人で森を抜けると言ったヤツとは思えないな。体力に自信があったんじゃないのか?」
慎一郎は、足を前へと投げ出すように進めながら海斗を睨んだ。
「…こんな足場の悪い場所を、下って行くとは思わなかったんだ。何時間走った?」
海斗は、首を傾げた。
「さあな。五時間近くになるんじゃないか。途中で何度か止まったじゃないか。ずっと走っていたわけじゃない。なあ、慎一郎、ここじゃこんなことは日常茶飯事だ。移動方法が自分の足か馬に似た魔物のウールンしかないからな。ウールンは大きいから目立って夜に移動するには危ないし、オレ達は必然的に走りまくってるんで、体力がついてるんだよ。命が懸かってるからな。お前達も、生きて帰りたいならそれなりの体力をつけた方がいいぞ。」
慎一郎は、まだ息を整えながら、仕方なく頷いた。
「…お前の言うことは分かる。これでもあっちの世界では毎朝走ってたんだ。こっちで育ったお前達とは違うだろうがな。努力はする。」
海斗は、苦笑しながらガサガサと足元の背の高い草を踏み分けて、迷いなく進んだ。慎一郎は、黙ってそれを追いながら、水を口にした。夜の森を抜けるなど、本当に無謀なことをしたもんだ。
慎一郎は、自分に呆れていた。いくらあいつらを見捨てられなかったからと、夜の森へ飛び出すなんて。そもそもあいつらは、自分を見捨てて行ったというのに。
段々と、視界が開けて来た。前方から、光が漏れて来る。木々が途切れる手前で、海斗がふと、立ち止まった。そして、言った。
「…パージだ。ここから見える。」
慎一郎は、急いで海斗に並んだ。そこは高台になっていて、遥か下に町があるのが見える。海の脇に、たくさんの建物が朝日を受けて光っていた。
「軍は来ていそうか?」
海斗は、頷いた。
「恐らくはな。軍がパージまで行くのなら、河を下って海へ出てパージの港へ行く。そうした方が早いからだ。歩きで街道を行くなど敵わない速さだ。お前の仲間が街へ入ってなきゃいいが、もうこの時間だ。恐らく到着してるだろうし、何も考えてなかったら街へ入ってるかもしれないな。」
慎一郎は、じっと街を見つめた。
「…いや。あいつらは用心深い。追われているのも知っている。だったら、入る前に必ず確認しているはずだ。」
海斗は、驚いたように慎一郎を見た。
「確認?どうやって。」
慎一郎は、剣を抜いた。
「オレは自信が無いが、千里眼の魔法というのがあるんだ。それを使えば、向こうの映像と音が見える。といって、この距離だと遠過ぎて詳しくは見えないだろうが、軍が居るか居ないかどうかぐらい判断できる。」
慎一郎は、抜いた剣を前に縦に持って、じっと目を閉じた。そして、ブツブツと呪文を唱え、何かに集中して眉根を寄せた。
そのまま、その場に根が生えたように動かない慎一郎に、海斗は言った。
「…何か見えたか?」
慎一郎は、目を閉じたまま言った。
「…オレはあまりこの魔法が得意じゃないんだ。だが、魔法が得意なヤツが仲間の中に居る。だから、もっと詳しく見えたはずだ。オレには、たくさんの甲冑の擦れるような音しか聴こえないんだ。」
海斗は、途端に険しい顔をした。
「それなら、間違いなく軍が来ているということだ。この世界には、甲冑を着ているのはオレ達のような異世界から来た戦闘員と、軍の兵士だけだ。今あそこには戦闘員は居ない。だから、甲冑の音がするなら軍が来ているってことだ。パージには入れない。」
慎一郎は、目を開いた。
「その甲冑の音の中に、あいつらが居たらどうする。」
海斗は、険しい顔のまま首を振った。
「言ったはずだ。捕まっていたら手を出さない。オレは捕まるわけにはいかないんだ。お前が捕まりたいなら行けばいいが、オレは行かない。」
慎一郎は、パージへと視線を移した。確かに、捕まるわけには行かない。ここまで案内してくれただけでも海斗には感謝しなければいけないだろう。だが、捕まっているのなら、助けなければシーラーンへ連れて行かれてしまう。
「だがこのままなら、シーラーンへ連れて行かれてしまうだろう。」
海斗は、息をついた。
「まだ捕まっているとは限らないだろう。お前も言ったように、千里眼で見たなら入ってないはずだ。パージへ入っていなければ、その辺で様子を伺っているか先へ進んだはず。」
慎一郎は、諦めて剣を下ろした。
「お前の言う通りだ。とりあえず辺りを探してみて、それでも居ないならオレはライデーンへ向かう。掲示板を利用してもいいが、今居場所を知らせるのは良くないだろう。捕まった奴らも居るだろうし、そいつらの腕輪を軍が見てないとも限らない。お前はどうする。」
海斗は、肩をすくめた。
「聡香を預かっているし、お前にはオレ達の居場所が分からないだろう。オレも一緒に行く。だが、ライデーンでも見つからなかったら諦めろ。やっと逃げ切れたんだ。捕まりたくはないだろう。」
慎一郎は頷いて、森の中を移動して翔太達の気配が無いか探って歩いた。




