夜の森
あちこちで煙が上がり、松明を掲げていた支柱も全て倒れているようだった。
その煙の中、男は勝手知ったる状態で駆け出しながら、大きく一度、指笛を鳴らした。
その音が響き渡って、何が起こるのかと後ろを振り返ろうとしたが、男がどんどんと走って行くのを見失うわけにも行かず、慎一郎はその背を追いかけるのに集中するしかなかった。
砦の壁は、見るも無残に崩れてしまっている。それを見ながら、夜の森の中へと駆け込んで行くのに本能的に恐怖を感じたが、ここまで来てしまったからにはこの二人について行くより他、助かる道はないような気がした。
森の中を何も見えないままにただ、目の前の見知らぬ男の背だけを追って走っていると、回りにも何やら生き物の気配を感じた。どうやら人のようだったが、男も後ろの女も気にしている様子はない。
慎一郎は、言うべきだろうかと思ったが、結構な距離を走って来ていたので、口に出す余裕がなかった。
聡香は大丈夫だろうかとちらと後ろを振り返ると、女の隣に居るまた見た事もない大柄の男が、聡香を背負って走っていた。
どういうことだと言いたかったが、そんなことを言っている暇もないほど、道が険しくて進むのが速い。というよりも、道という道は無かった。回りに、笹に似た胸辺りまでの高さがある植物が生い茂る中、その上背の高い木々までもが月明かりを遮断して真っ暗な中を、掻き分けて足元を気にする暇もないほどの速さで走るのだ。
いったいどこまで走るのだろう。
慎一郎は、上がって来る息の中、そう思っていた。魔物が出て来てもおかしくはない。迷ってもおかしくはない深い森の中だ。
だが、こんな場所で放って置かれてもまた、自分達に生き残る道などなかった。
そうやって一時間も走った頃、やっと先頭を行く男のスピードが、弱まった。そして、ガサガサと音を立てて脇の方へと進むと、そこで止まって、辺りを見回した。後ろから来ていた女と、聡香を背負った大柄の男、そして、どこから出て来たのか二人の男が追いついて来て、先頭の男に頷きかける。
先頭の男は、そこの木々を脇へと寄せて、慎一郎に言った。
「さ、ここへ。これ以上は夜が明けてからでないと危険だ。」
慎一郎は頷いて、示された方向へ足を踏み出した。
そこは、洞窟だった。
入口は、胸の辺りぐらいの高さの植物が隠しているので、見えなかったが中は結構な広さがある。
だが、真っ暗だったので先まで見えず、入った場所で立っていると、その男がスッと手を振って手の先を光らせると、中を照らしながら進み出した。
「奥へ。光が外へ漏れると連中や魔物に見つかる可能性がある。」
慎一郎は、その男に促されて奥へと向かって行った。
入ってすぐに横へと折れ、奥へと進んで行くと、そこには簡単に木で作った椅子、ベッド、テーブルなどが置いてあるそれなりに過ごせそうな場所になっていた。ベッドは、ぐるりと洞窟の壁に並べて置いてあり、結構な数がある。
しかし壁も床も、天然の洞窟そのままだった。
男は、奥のテーブルの上に乗っている幾つかのランプに灯りを灯すと、あっちこっちへと置いて洞窟の中を照らした。
大柄の男に背負われていた聡香は、そこへ来て降ろされ、急いで慎一郎の後ろへと駆けて来た。慎一郎は、そこに揃った男4人、女一人の面々を前に、立ったまま慎重に言った。
「まずは、助けてくれて感謝する。オレは、田村慎一郎。こっちは如月聡香だ。さっき言っていた通り、リーリンシアというゲームをしている最中にこちらの世界へと飛ばされた。君達もか。」
最初に助けに来てくれた先頭に立って走っていた男が言った。
「まあ座れ。オレは、牧野海斗、そっちのデカいのはスティーブ・ペイン、女はブレンダ・アレン、で、クリフと、カーティス。みんなこっちで囚われてるあっちの世界の人間だ。オレは今30だが、15の時にゲーム中にこっちへ飛ばされて15年、こっちで生活してる。オレの仲間はここからもう少し下った位置にある、そんな者達ばかりのアジトに集まって生活してるんだ。クリフとカーティスはこっちへ来てから15年の付き合いにあるが、スティーブとブレンダはつい最近ライデーンから山へ入って来た所で魔物に襲われてたところを助けた。恐らく、お前達と同じだろう。」
ブレンダが、腕を見せた。
「同じ腕輪でしょう。掲示板を見たわ。それで、あたしがカイトに言ってあなた達を助け出しに行ったのよ。」
慎一郎は、ブレンダを見た。
「君達は、ライデーンに着いたのか。船は何隻だった?」
ブレンダは答えた。
「ライデーンには二隻よ。24人が下船したわ。ほとんどが日本人だったけど。まあ、日本のゲームだったから当然だろうけどね。」
海斗が、肩をすくめた。
「オレとは正反対だな。オレは両親と一緒にドイツに居たから、ここへ来た当初回りはドイツ人ばっかりだった。通訳に重宝されたもんだ。」
慎一郎は、驚いていた。ライデーンでは、24人も降りているのだ。
「他の人達は?」
ブレンダは、息をついた。
「分からないの。あたし達が助けてもらってから、ここでのことを教えてもらって、他の人達も合流して帰る道を探さないとと一度ライデーンへと引き返したんだけど、もう誰一人居なかったわ。街に人達が言うには、船で西へ向かったと言っていたけど、あたし達もそこまでは追えないから消息は不明。」
西…島か?
「島へ渡ったのか。」
海斗が、首を傾げた。
「何もない小さな島だがな。どうしてそうなったのか分からないが、とにかくそっちとは連絡はつかない。オレ達も仲間と連絡を取りたいが、15年前に軍に捕まった時、それで連絡を取り合っているのを見られて取られてしまってな。今では、アジトに居る者達以外に誰が生き残っているのかもわからない。オレ達は軍から逃げたが、もしかしたらもうみんな、連れ去られてしまったのかもしれないな。」
慎一郎は、聡香を振り返った。聡香は、まだ不安そうに慎一郎を見上げている。慎一郎は、また海斗の方を見た。
「とにかく、連れ出してくれたことに感謝する。連れを休ませてやってもいいだろうか。あまり体が強い方ではないので。」
ブレンダが、進み出た。
「そうね。弱っちい子なのに、よくこんな場所で生きてたね。こっちへ。あたしの服を貸してあげるわ。そんな恰好じゃこれから先捕まえてくれと言ってるようなもんよ。ほら、横穴で着替えてから休みな。」
聡香は、慎一郎に問うような視線を送った。慎一郎が頷くと、聡香はやっとブレンダについて横穴へと入って行った。
海斗が、それを見て言った。
「お前に頼り切りだな。あんな荷物を抱えてシーラーンへ行くつもりだったのか。」
慎一郎は、ため息をついた。
「本当なら、逃げた仲間と一緒に連れて行かせるつもりだった。オレは情報を集めるために、軍の誘いに乗ることにしたんだが、最初は仲間も一緒に来て、不都合があったら途中で逃れるつもりだったんだ。それが、あいつらは軍に追われたらしく、別に逃れた。聡香だけが残されて、仕方なく連れて来ていたんだ。あのままでは隙があっても逃げることは出来なかっただろう。感謝している。だが、あの砦をどうやって襲ったんだ?」
慎一郎が、やっと側の椅子へと腰かけると、海斗は頷いた。
「オレとクリフとカーティスは、もう15年ここに居ると言ったろう。この辺り、シーラーン南側の森の中は熟知しているし、魔物の巣も魔物の種類も習性も知っている。」と、隣りに座るクリフを見た。「オレ達は同じ学校のクラスメイトだったんだ。同じ外国人クラスに居た。二人ともアメリカ人で、オレは日本人。最初、英語ならオレでも何とかなったから、すぐに仲良くなって学校でも一緒、家に帰ってからはオンラインゲームで一緒に遊んでいた。その時、これに巻き込まれた。ここへ来てから、二人も日本語を覚えて使えるようになったんだがな。」
クリフが、頷いて先を続けた。
「最初は言葉も分からないし、カイトが居ないとどうなってたか分からない。シーラーンへ連れて行かれそうになった時、あいつらの言葉が分かるカイトが混じっていると、向こうは知らなかった。だから油断したんだ。捕らえるつもりなんだと知って、オレ達は逃げた。他にも数人ついて来たが、数人は信じずにそのままついて行った。それから、あの時見た男達には誰一人会ったことがない。」
海斗が、言った。
「それで、まあオレ達はこの辺りに居る比較的小さめの魔物、メールキンという魔物の巣を襲ったんだ。肉食で群れで狩りをする奴らで、そうだな、恐竜のラプトルと似ていると思ってくれたらいい。それを砦の壁を爆破して追い込んで、その混乱に乗じてお前達を連れ出した。今頃はお前達が居ないのを知って、向こうではオレ達が動いたんだと知っただろうな。」
慎一郎は、驚いたように眉を上げた。
「君達は、向こうに知られてるのか?」
すると、黙っていたカーティスが言った。
「知られているどころか、オレ達の居所を探ろうと必死だ。オレ達は潜んでいるし、住み処も一定の時間を開けて転々としているから、捕まることはなかったが、それでも奴らは執念深くオレ達を探している。数人の仲間が捕まることがあっても、すぐに取り返しに行くからシーラーンまで連れて行かれたことはまだ一度もないがな。だが…」
カーティスは、海斗を見た。海斗は、物憂げに頷く。慎一郎は、眉を寄せた。
「だが、なんだ?」
海斗は、息をついた。
「オレ達は若い。15の時に飛ばされたおかげで、15年経ってもまだ戦える。だが、他の者達はもう50近い。長く戦っていない者も居る。オレ達に任せきりで、安穏としているからだ。オレ達の留守に襲われたら、恐らくは誰も抵抗出来ないだろう。今夜もお前達を救いに出ると言ったら、大部分が反対した。自分達の身を守る者がそばを離れるからだ。だが、オレ達だって三人だけで皆を守るなんて無理だ。つまり、もうオレ達にも限界が来てるんだ。そろそろ、一般人に混じって普通に生活してもらうしかないなと、考え始めていたところだった。」
クリフが、言った。
「だが、お前達が来た。若く、戦える戦闘員だ。一緒に戦うことも出来るし、また帰る方法も一緒に探してくれるだろう。オレ達は、お前達に期待してるからこそ、助けたのだ。」
慎一郎は、顔をしかめた。
「オレ達はお前達の仲間を守って戦うつもりはない。早々に帰る方法を見つけて、ここから脱出することを考えている。だからこそ、情報が欲しいと危険なことにも飛び込もうとしたんだ。あてにしてもらっては困る。」
海斗は、首を振った。
「帰りたいのはオレ達だって同じだ。ここでの生活は逃亡生活なのだ。このままここで一生を過ごすつもりなんかない。だが、情報を集めようにも身動きが取れないんだ。何とかする方法を、お前達と一緒に探そうと思っている。だからこそ、危険を冒して助けに行った。このままだとお前達だって、オレ達と同じ運命になるぞ。お前にも仲間が居るなら、早く合流して一緒に脱出の方法を探そう。」
慎一郎は、そこへ来てハッと思い出した。そうだ、翔太達はパージに向かっているはず。
「仲間は、クトゥから逃れてアデリーン、パージへと向かっているはずだ。オレ達はシアラに着いたが、他の仲間の船がパージにも着いていると聞いているからな。軍に追われているから、先回りしている可能性がある。危険を知らせなければ。」
慎一郎が腕輪を開いて掲示板を呼び出そうとしていると、海斗とクリフ、カーティスが顔を見合わせた。
「…間に合わん。」海斗が、言った。「なぜか軍が陸路をアデリーンへ向けて移動していると聞いた。分散してパージにも出ている。もちろん、船でだ。パージには恐らくもう到着しているはず。アデリーンには、もう明日の朝ぐらいには到着するだろう。どちらに居るにしても、軍と遭遇するのは時間の問題だ。」
慎一郎は、腕輪を見た。時間は、深夜2時。ここからアデリーンへ行くとなると相当な時間が掛かると見た方がいいだろう。間に合わない…。
「…ここから、パージとアデリーンならどっちへ早く到着出来る。」
海斗は、驚いた顔をした。
「何を言っている。無理だ、みすみすお前まで捕まりに行くつもりか。諦めろ、まだ捕まっていない仲間を探して仲間に加えた方が早い。」
慎一郎は、海斗に迫った。
「どっちだ?教えてくれ、あいつらは生き残らなければならないんだ!」
海斗は、その迫力に黙ったが、クリフが、横から言った。
「…ここからなら、パージが行きやすい。森の中を抜けて行くからだ。走り続けても到着するまでには五時間はかかる。」
慎一郎は、頷いて立ち上がった。
「方向を教えてくれ。魔物の巣を避けて行ける道を。」
カーティスが慌てて立ち上がった。
「馬鹿かお前は!夜は格好の餌食になる!メールキンの狩りの時間なんだぞ!」
慎一郎は、カーティスを睨んだ。
「それでも、あいつらは生きたいからこそ逃げたんだ!このまま放って置く気にはなれない!」
「待て」海斗がカーティスを止めて立ち上がった。「わかった、オレが一緒に行く。だが、二人で軍を相手にするのは無理だ。もう捕まっていたら、諦めろ。チャンスを待つんだ。」
慎一郎は頷いた。あいつらは、オレを見捨てて逃げてでも生きることを選んだのだ。オレだって、一緒に生き残って見せる。あくまで、一緒に帰る!




