別離
慎一郎は、クトゥの軍駐屯所の部屋で腕輪を閉じた。
真樹のパーティ登録も解除されて数時間、いつまで待っても残りのメンバーが復帰して来る気配はない。
つまりは、完全にパーティを出て、別に新しいパーティを結成したということだ。
聡香が、不安げにこちらを見ている。慎一郎は、軽く頷いた。
「…あいつらは来ない。それがあいつらの選択だろう。」
聡香は、表情を曇らせた。
「途中何かから逃げているようでしたわ。追われていたのかしら。」
慎一郎はじっと考え込んでいたが、ふと窓の外を見た。
窓の外には、昼間は見なかった数十人の軍装をした男達が集まって来ている。どこかに居たのを、呼び戻されたのかもしれない。
慎一郎は、小さく言った。
「…間に合わなかったか。」
「え?」
聡香が、不安げに問うように言うと、慎一郎は聡香を見た。
「君は回復と防御にしか能力がない。何かあった時は、戦おうと思わず逃げるんだ。分かるな?オレは自分で自分の身は守れる。君さえ自分の身を守ってくれたら、オレは逃げることが出来るんだ。何かあったら、オレは君のことなど考えずに逃げる。君も、オレのことなど考えずに逃げろ。」
聡香は、驚いて何度も首を振った。
「そんな…慎一郎様に何かあったら、放って自分だけ逃げるなど…」
慎一郎は、がっしりと聡香の両肩を掴んだ。聡香は、驚いてビクッと身を縮めた。
「オレは逃げる。君を置いて。君もオレを置いて逃げろ。命は、一つしかない。今までみたいにちょっと痛いでは済まされない。あいつらは、オレ達を置いて逃げたぞ。恐らく、こちらが危険だと思ったんだろう。君も、それぐらいの判断が出来ないと、ここでは生き残っていけない。分かったな?」
強い口調で言われ、聡香はただ頷くよりなかった。今まで生きて来て、ここまでキツイ言い方をされたことが無かったのだ。
怖くて、ガクガクと震えていると、慎一郎はそれに気付いて肩から手を放した。そして、横を向いて言った。
「オレが甘かった。あいつらなら、来るだろうと。だが、あいつらはあいつらなりに何か、別の情報を手に入れたのかもしれない。それで、こちらが危険だと思ってオレ達を見捨てたんだ。もうパーティですらない。君も、覚悟をしておいた方がいい。もしかして、こちらは危険な道だったかもしれないぞ。」
聡香は、それを聞きながらうなだれていた。命はひとつ…分かっている。これはゲームではないのだ。それでも、自分には慎一郎を見捨てて行くことが出来ない。慎一郎が何を考えているのか分からない…!
その頃、翔太達6人はクトゥとアデリーンを結ぶディーン街道という街道を歩いていた。
これまでのところ、魔物は出ては来ない。時々気配を感じるものの、そっと音を立てずにじっとしていたら、すぐにその気配は去った。どうやら、動くと襲って来るようだった。
音にも反応するようだったので、なるべく静かに足を運び、呼吸の音にまで気を遣って歩いた。空には、ここが異世界だと知らせる二つの月が出ている…一つは三日月で、一つは十六夜だった。
装備屋で夕食を取ったのでお腹は空いていなかったが、こんなに長く歩くのが初めてな美夕は、苦しくなって来た。気を紛らわせたいので話をしたいが、皆じっと黙って黙々と歩いている。音を立ててもいけないのに、話をするなどもってのほかなのだ。
美夕がそれでも必死に皆について行こうとしていると、翔太が小さく言った。
「お前、遅い。」
美夕は、翔太を見てしょんぼりと言った。
「ごめん。」
もう、言い訳をする元気もない。翔太は、小さくため息をつくと、リュックを玲へと投げた。
「頼む。」玲がそれを受け取って、軽々と自分の荷物ともども担ぐのを見てから、美夕へと背を向けた。「ほら、運んでやる。」
美夕は、慌てて首を振った。
「い、いいよ!また足手まといに…」
翔太は、顔をしかめた。
「今が足手まといなんだってーの。オレが背負えば、もっと早く歩ける。ちょっとでも先へ進んどきたいからな。」
美夕は、おずおずと翔太の背に乗った。翔太は、軽々と立ち上がると、さっさと歩き出した。
「ご、ごめんね、重いね。」
翔太は、首を振った。
「いや。あの荷物より軽い。しまったな、玲、荷物一個持とうか?」
玲は、首を振った。
「大丈夫だ、これぐらい。80キロの装備担いで山登りしたこともあるしな。人を運ぶ方が、重さより難しいんだぞ。面倒だろうが…カバンに入れたら軽いんだがな。」
翔太は、頷いた。
「次の街で買おう。こいつ入れるヤツ。」
亮介が、ポンと手を叩いた。
「お、持ってるぞ。甲冑を入れてくれと、装備屋がくれたのが。」と、自分のカバンから引っ張り出した。「どうだ?船の帆に使われてる生地だから強いとか言ってたが。」
翔太は立ち止まって美夕を下ろすと、その少し油で汚れた生成りの袋を見た。きちんと背負えるようになってはいるが、あっさりとしたただの袋で、とても人を入れて運ぶようなものではない。
それでも翔太はそれを担いだ。
「よし。ほら、入れ美夕。」
ええ?!
と思ったが、自分は運ばれる対象の物みたいなものだ。文句は言えない。
足で踏み抜いたりしませんように、と願いながらそこへ入る。翔太は、また何も背負ってないかようにすっくと立ち上がった。
「お、楽だぞ。これで行こう。」
美夕は、翔太が立ち上がった瞬間袋の中で尻餅をついて、袋の底の端にお尻がハマっている状態だった。まるで、ハンモックにつられているような感覚だったが、文句も言えないので、じっと黙ってそのまま袋の中で三角座りの状態で、ひたすらに揺られて運ばれたのだった。
何かが、お尻にゴツッと当たったような気がする。
美夕がそう思って、うとうとしていた目を薄っすら開くと、暗い中声が聴こえた。
「まったく変なところで肝が据わってやがる。人の背中で爆睡ってどういうこった。」
翔太の声だ。玲の声がする。
「いいじゃないか、疲れて熱でも出されることを思ったら、それぐらいの方がいい。」
美夕は、自分が袋の中に居ることをようやく思い出し、慌てて袋の上から顔を出した。
「ごめん!寝てた!着いたの?」
それを聞いた玲と翔太が仰天して美夕の口を押えた。
「シー!!まだ途中だ、休憩してるんだよ!」
翔太が声を押し殺して言う。回りを見ると、まだ荒野のただ中で、岩場の影に降ろされて、皆腰を下ろしたところだったようだ。
美夕は、またやってしまった、と下を向いた。
「ごめん…。」
翔太は、ため息をついた。
「何もしゃべるなって言ってるんじゃねぇ。小声だったら大丈夫だとさっき話してて何も寄って来ないから分かった。だが、声を上げたら分かるだろうが。しっかりしろ、お前死にかけたんだぞ?ちょっとは気を付けろ。」
亮介が、顔をしかめた。
「君はどうも軽率だな。」と、翔太を見た。「これから先の旅を考えても、今度の街に預けて行くことを考えた方がいいかもしれないぞ。甲冑さえ脱いだら、普通の娘と変わらないんだ。危険もない。情報を掴んだら、迎えに来るようにした方がいいじゃないか。」
美夕は、ギクリと体を固くした。こんな…何も分からない知らない場所に、たった一人で置いて行かれることを考えたのだ。
「ご、ごめんなさい。本当に、これからは気を付ける。少しは戦えるし、戦力になるから…。」
だが、玲とカール、亮介と真樹は顔を見合わせる。翔太は、そんな皆の様子に考え込んだ。
玲が、言った。
「そうだな…君を戦力としては考えてないのが正直なところだ。歩いていても、体力が他と完全に違うから、こうして荷物になってるだろう。それに、これから先魔物が出て来たとして、オレ達は自分を守るのに必死だ。君のことまで考えていられないかもしれない。死ぬことを思ったら、アデリーンで待ってた方がいいんじゃないか。」
美夕は、ガタガタと震え出した。どうしよう…置いて行かれるんだろうか。何も言わないが、真樹も美夕とは目を合わせてくれない。カールも、どこか厳しい目でこちらを見ていた。
救いを求めて翔太を見ると、翔太は、じっとこちらを見ていた。美夕と目が合うと、翔太は言った。
「…別に荷物になるのはいい。オレにしたら背負ってるのも分からねぇぐらいだからな。だが、このままじゃお前、死ぬかも知れねぇぞ。分かるだろう…体力も意識も、ここに居る誰より低い。咄嗟の時、自分で自分を守れねぇと、今度の旅は死ぬことになる。」
美夕は、翔太をすがるように見上げた。
「でも…こんな何も知らない場所で、一人で待ってるのは不安だわ。いつ帰って来るのかもわからないのに…。」
翔太は、息をついて手にしていたボトルから水を飲んで、言った。
「…それだよ。」翔太は、厳しい顔をした。「一人で不安。ここに居るオレ達は男だからってのもあるが、一人でも生き残って逃げる気概がある。だが、お前はまだ、誰かを頼ってる。オレは頼られるのは嫌いじゃねぇ。だが最初から頼る気しか無い奴は嫌いだ。自分のことは、自分で守れねぇとこんな旅は出来ねぇ。分かるか?オレはお前を守る義務があると思ってる。慎一郎から頼まれたのを受けたからな。だが、まずはお前自身が自分を守り切る気持ちが無いと、オレには無理だ。オレの命を投げ出さないと、お前を助けられる気がしねぇ。だが、オレにはそこまで出来ねぇよ。まだお前よりオレの命の方が大事だ。そんな関係でもないからよ。自分の女なら死ぬ気で守るがな。」
美夕は、ショックを受けて黙り込んだ。確かにそうなのだ。翔太は最初から、まだアストロとしてしか知らない時から、同じことを言っていた。頼られるのは嫌いじゃない、だが最初から頼る気しかない奴は嫌い…。
ここでは、美夕は絶対的に不利だった。戦いのスキルも低く、体力もない。これから皆の重荷になる未来しか、美夕自身にも思い浮かばなかった。
美夕がうなだれていると、翔太がボトルを置いて、右手でグッと剣の柄を握った。そして、それを振り向きざまに抜きながら言った。
「…まあこうして魔物を声一つで呼び出しちまうような奴なんだから、連れて来た方が馬鹿なんだがな!」
「!!」
美夕は、皆が一斉に翔太に倣って戦闘態勢に入る中、ただ茫然と、目の前に現れた大きな太ったティラノサウルのような魔物を見上げた。




