将軍
翔太達がカールの家に着く数時間前、慎一郎は聡香と真樹と合流し、公園の端、街はずれにある大きな建物へと足を踏み入れていた。
「ここでお待ちください。」
案内してくれた白髪の男は、スッと頭を下げると目の前にある広い大きな階段を上がって行った。頭上には大きなシャンデリアが下がり、床は全面濃い赤の絨毯張りになっている。大きな窓には、艶やかな布のカーテンが掛かっていて、綺麗に皺の本数までそろえられて、左右へと束ねられていた。
「…凄い高そうな感じ~。」
真樹が、小さく言う。同感だったが、慎一郎は口に出そうとは思わなかった。すると、上からきちんとした軍服の正装のような服を身に着けた、男が一人、降りて来た。
「やあ、歓迎するよ、異国の方々。まさか今また、あなた方のような戦士に会うことが出来ようとは。」
慎一郎は、警戒気味にその男を見上げた。
「我々は今朝着いたばかりで、こちらのことは皆目わからないのだ。なので、少しでも情報をもらえたらとここへ来た。あなたは、この建物の責任者か?」
相手は、階段を降り切って慎一郎の前へと立った。
「ああ、私はシーラーン軍将軍、シードル・ロマノフ。ここは国のクトゥ軍駐屯所。」
慎一郎は、眉を寄せた。
「軍?」
それにしては、それらしくない。回りがのどか過ぎて、武器の類は一切見当たらない。
ロマノフは、フッと笑った。
「そう人数も居ないのだ。それに、そんなに数も要らないしな。あなた方も知っているだろう…我々が戦うべきなのは、他の国でもなんでもなく、魔物だけなのだ。」と、踵を返した。「さあ、あなた方も知りたいことがあるのだろう。私も聞きたいことがある。こちらへ。」
相手は、そう言うと一階の奥へと歩き出した。真樹はどうしようと慎一郎と聡香の顔を見たが、慎一郎は険しい顔をしたまま、ロマノフの後を追って歩いた。聡香はためらいがちにそちらへ足を進めて、真樹に頷きかけて促すと、一緒にその後について歩いて行ったのだった。
部屋に入ってから、一通り自分達の境遇を話した慎一郎は、ロマノフを見た。
「オレ達は自分達のことを話した。次は、あなたの番だろう。シアラで住民からチラと聞いたが、前にもここへオレ達のように戦う者達が来たことがあったという。彼らのことは知っているか。」
ロマホフは、じっと椅子の肘に腕を置いてこちらの話を聞いていたが、頷いた。
「知っている。時々に南の方から、客船のようなものが、いつの間にか現れて、港に停泊していることがあったのだ。不思議なことに、住民はその存在に違和感を感じず、それが外洋へ出て行って消えるまで気が付かない。まるで魔法のようだとか、幽霊船だとか言われているのだ。だが、それが現れるようになってから、軍しか扱えないような大きな魔法を使い、武器を巧みに扱う武装集団が街へと現れるようになった。皆一様に、船から来た、元の国へ帰りたいと言う。だがそんな方法は我々にも分からない。試行錯誤している間に、結局はこの国に住みつき、国民の役に立つことを選ぶ者達が多い。」
慎一郎は、首を振った。
「オレ達は違う。国へ帰る術を何としても見つけ出す。どうしてこんなことになっているのか分からないままで、こんな所で安穏と暮らしていられない。」
ロマノフは、肘掛に肘を置いた方の手で、顎に触れた。
「そうだな…シーラーンの王城へ行けば、何か情報が残っているかもしれない。」
慎一郎は、眉を上げた。
「王城?あの、山の上の首都とかいう場所にあるのか。」
ロマノフは、頷いた。
「ああ。15年ほど前に現れた戦闘員達は、みんな情報を求めてそこへ行ったのだと聞いている。帰還の方法が分かるまで、軍の手伝いをするのと引き換えに、陛下が情報を探すことを許してくださった。方法を探し出したのか、しばらくして次々に彼らはシーラーンを去ったんだと聞いている。私はその頃地方の一武官だったから、詳しいことは知らないが。」
聡香が、息を飲んだ。真樹が、目を輝かせて慎一郎を見た。
「じゃあ…シーラーンに行ったら、帰り方が分かるんじゃないか?」
慎一郎は、真樹に黙っていろと視線で威圧するように合図し、ロマノフの方を見た。
「どうやったら王城へ行ける?」
ロマノフは、じっと慎一郎を見た。
「…首都は国の主要な人物しか入れないようになっている。前に来た戦闘員達も、首都へ入れたのは国の役に立つという約束の元に行ったからだ。あなた方は、我々の役に立とうという気持ちはあるのか?」
慎一郎は、頷いて身を乗り出した。
「ここから首都へ向かうまでの間、魔物を始末する役目を請け負う。また何か他に仕事があるというなら受けよう。しかし、一刻も早く帰りたいのは確かだ。他に何か仕事を言いつけるつもりなら、情報の開示を先にしてもらいたい。それでどうだ。」
ロマノフは、また慎一郎から視線を動かさない。
「…先に開示して、何もせずに逃げないという保証はない。シーレーンについて、情報の半分を開示する。その後、仕事を一つだけ請け負ってもらおう。それが終わったら、残りの半分を開示する。それでどうだ?」
慎一郎はまだじっとロマノフを見ていた。真樹と聡香は固唾を飲んでそれを見守っている。真樹が何か言いたそうに口を開こうとした時、慎一郎は言った。
「いいだろう。」真樹が、驚いたように慎一郎を見た。慎一郎は真樹の方も見ずに続けた。「仲間も居る。あいつらにも伝える。出発はいつだ。」
ロマノフは、椅子の背にもたれた。
「明日の朝にでも。」
慎一郎は、頷いて立ち上がった。
「では、その時にここへ来よう。」
まだためらっている真樹と聡香がそれに従おうと慎一郎を追うと、ロマノフが椅子に座ったまま言った。
「…宿はどうするつもりだ?決まってないなら、寝る場所ぐらい提供するが。この、部下のリュトフに言いつけておく。戻ってからこれに言うといい。」
慎一郎は一度立ち止まって頷き、そしてそこを出て行った。
それを見送ってから、ロマノフは茶を運んで来たリュトフに言った。
「…もしかしたら行くのはあの男だけになるかもしれんな。あの男の仲間とやらを探せ。誰に接触してどこに居るのか調べて報告させろ。」
リュトフは、サッと右手を胸に当てると、頭を下げた。
「は、閣下。」
そうして、隙の無い身のこなしでそこを出て行った。
ロマノフは、窓の外を眺めながら、茶を口に運んでいた。
軍駐屯地の建物から出て長い柵までの道を歩いている時、真樹が先を行く慎一郎に、必死に歩幅を合わせながら言った。
「慎一郎!みんなに相談もしないで決めて、こんなの納得出来るわけないよ!第一、あの男が言ったことって本当だったのか?オレは、初めて会ったああいう権力者っぽい男って信用しないようにしてるんだけど!」
聡香が、遅れて衣装の足元を必死に蹴さばきながら、追って来て言った。
「そうですわ。まずはご相談するべきでしたのに。あちらも何か情報を掴んでいるはず。全部考え合わせてから決めるべきだと思いますわ!」
慎一郎は、前を見て二人の方には視線を向けなかったが、柵を出た途端に、街の方へと足を向けながら言った。
「実際に帰った者達が居るんだろう。だったら王城へ行くべきだ。あいつらだって同じことを思うはずだぞ。それに、どうせ首都には行かなきゃならんだろう。何かあるのは確かなんだ。」
真樹が、首を振った。
「危険じゃないって保障はあるの?!誰の言うことを信じるかで、後のストーリーが全然変わってしまうんだよ!どうして返事を保留にしないで、勝手に決めちゃうのさ!」
慎一郎は答えない。気が付いたら、街中へと入って来ていた。慎一郎は、そこで腕輪を開いた。
「…翔太?今どこに居る。至急街外れの軍駐屯地近くの、カフェの前まで来てくれ。」
真樹と聡香は、慎一郎の頑なな様子に戸惑いながら、それを聞いていた。




