クトゥ
「おい、起きろ。」
美夕は、翔太の声で目が覚めた。ハッとして起き上がると、慎一郎はもう起き上がって聡香と何か話していた。真樹が、ボーっと座っているのが見える。硬い板の上に寝ころんでいたので、あちこちが痛い。それでも起こしてくれたんだからと、一生懸命起き上がって見上げると、翔太が苦笑していた。
「そんなに急がなくていい。もう港が見えて来たから起こしただけだ。これから船を寄せて錨を下ろすから、まだ時間はあるぞ。トイレ大丈夫か?降りたら公衆便所なんかどこにあるかわからんし、行っといたほうがいいぞ。」
美夕は、頷いた。もう身内のような感覚なので、トイレだのなんだのと恥ずかしいとかそんな気持ちは全くない。むしろ、気にしてくれて助かっていた。
「ありがとう。行っとく。」と、ちらと慎一郎の方を見て、翔太の耳に口を寄せて囁くように言った。「同じ場所に居るのに、私は起こしてくれないってなんか意地悪じゃない?昨日だって翔太と玲に見張り任せきりで。」
翔太は、複雑な顔をしてクスッと笑った。
「…お前は気にすんじゃねぇ。」
え?
美夕は、一瞬何を言われたか分からなかった。戸惑ったような顔をしている美夕に、翔太は頭をくしゃっと撫でると、椅子のある方の部屋へと歩いて行く。その背を見送りながら、美夕は今聞いた言葉を心の中で反芻していた。お前は気にするな…お前は気にするなってことは、翔太達の間では何かあるってこと?
美夕の胸に、昨日感じた不安がまた押し寄せて来た。ここに居るみんなしか頼れる人は居ないのに、もしかしてその中で、何かが起こっているの…?
慎一郎は、まだ何か聡香に話していた。
美夕は、港が窓からはっきりと見えて来たのに気付いて、急いで立ち上がってトイレへと向かった。任せるしかない。自分には、何か問題を見つけてそれを解決して行くだけの、能力はない…。
表向きは何もなく、一同はクトゥの港に降り立った。
そこは、思っていたような港町ではなく、降りていきなりレンガの敷き詰められた明るい雰囲気の場所で、広間の真ん中にある噴水は、シアラの物より数段豪華で華やかなものだった。
そして、その正面には、それは大きな建物がある。壁の装飾も見事で、窓には金色の淵が入っていた。それが、昇って来たばかりの朝日に映えて、キラキラと光っている。
美夕は思わず、言った。
「…リゾート?」
そう、どこかのテーマパークを思わせる。近づいて行くと、その建物の入口には金色の装飾文字で、『HOTEL KUTOUR』と、書いてあった。
慎一郎が、顔をしかめた。
「ここはリゾート地か。」
玲が、頷いた。
「どうやらそうらしいな。漁師は見当たらない。まだ朝の5時前だしなあ。リゾート地じゃどこも開いてないか。」
慎一郎は、まだ何か考えているのか黙ってホテルと睨んで立っている。翔太が、街の方へと足を踏み出した。
「それでもパン屋とか開いてる店もあるだろう。ちょっと見て来らぁ。」
玲が、それを追うように言った。
「オレも行く。」と、振り返った。「二手に分かれたらいいんじゃないか。何かあったら腕輪で連絡を。オレは依頼人に会いにも行かなきゃならないし、いい宿を見つけたらお互いに教え合って夕方にでもそこで落ち合おう。」
美夕は、慌てて翔太の方へ寄った。
「私も行く。女も居た方が怪しまれなくていいでしょ?」
聡香は、慎一郎を見上げた。
「慎一郎様は、どうなさいますの?」
慎一郎は、チラと翔太を玲を見た。それから、言った。
「何かあった時の戦力のことを考えたら、オレはあいつらと別行動の方がいいだろう。あいつらがこっちの路地から入るなら、オレはあっちの路地から探索に行くつもりだ。」
聡香は、頷いた。
「では、私もそのように。」
亮介と真樹が、顔を見合わせた。
「うーんどうだろうな。オレは別にどっちでもいいんだが。」
亮介が言うと、真樹は首を傾げた。
「戦力から言うなら、亮介さんはこっちじゃない?」
慎一郎の方を指す。亮介は、唸った。
「そうだなあ。だが回復出来るのはオレと聡香ちゃんだろう。ってことは、オレはこっちへ行った方がいいと思う。翔太達と一緒に行く。」
亮介は、そう言って美夕の方へと歩いて来た。真樹は少し顔をしかめたが、必然的に慎一郎と聡香の方へと歩いて行く。
「じゃ、また後でねー。」
真樹の声に、美夕は振り返って手を振った。
「うん、後でね!」
だが、その美夕を振り返っていたのは真樹だけだった。
美夕はまだ、何かの予感がしたように胸が騒ぐのを無理に押さえつけるしかなかった。
街へと入って行くと、そこはリゾート地らしく華やかな明るい雰囲気の、鮮やかな建物や、花や植物が多い、広い路地だった。こんなに早い時間にも関わらず、もう店の前を掃いている人の姿や、もう店の中で食事をしているような人も見えた。どうやら、早朝に客船が着くので、それに合わせて開けている店もあるようだった。
翔太が言った通り、パンの焼けるいい匂いが漂っている。美夕は、それを胸いっぱいに吸い込んで言った。
「あー!いい匂いだあ!お腹空いて来たなあ。」
翔太が振り返って言った。
「あのなあ、弁当作って持って来ただろうが。我慢しろ。」
美夕はすがるように翔太を見上げた。
「でも…店に入らないと話聞けないよ?またお昼にでもお弁当は食べて、今はお店に入ろうよー。」
翔太は、美夕を睨みながら見下ろした。
「お前はもー!何で金使うことばっか言うんだよ!」
玲が、呆れたように割り込んだ。
「まあまあ、だがあの匂いには抗い難いじゃないか。情報も欲しいし、オレも依頼人が起き出す時間までどっかの店で時間を潰してもいいんじゃないかと思う。」
美夕は、目を輝かせた。
「わ、ほんと?!」
亮介も、微笑みながら言った。
「そーだなあ、オレもあのパンの匂いには抗い難いよ。ちょっと入ろうや。」
翔太は、腰に手を当ててハーっとため息をついた。
「そんなために稼いでるんじゃねぇのによー。わかったわかった、じゃ、どっかの店へ入ろう。」
美夕は、嬉しくてぴょんぴょん跳ねた。
「やった!こんなきれいな街のお店でお茶出来るなんてー!」
美夕は、先にあっちこっちの店を覗いて回っている。亮介が、それを目で追いながら、微笑まし気に眺めて言った。
「ちょうど姪っ子ぐらいの歳だからかなあ。娘みたいに思うよ。」
翔太がズカズカ歩きながら、言った。
「じゃあオレも息子だな。あいつとは同い年だからよ。」
どことなく投げやりな感じだ。亮介は笑った。
「お前はなんか苦労してそうだもんな。見た目はそんなじゃないのに、考え方に生活感あるよ。」
翔太は、憮然として言った。
「…高校の時から一人だからな。ずっと働いて、生活費稼いでたからよ。リーリンシアは、これまで働いて来たオレへの褒美だったんでぇ。これがあるから、結構毎日楽しめた。こっちでは、オレは別のオレだしな。ほんとはこんな姿、見せたくなかったんだけどよ。」
向こうから、美夕が手を振っていた。
「おーい!ここにしようよー!」
翔太が、それを見て苦笑した。
「はいはい。」
小さくそう言うと、翔太はそちらへ足を向けた。
亮介は、このゲームのプレイヤー達にはつくづくいろいろな背景があるんだと、それを聞いて思っていた。




