不器用
美夕は聡香に看病されて、夕ご飯も部屋へ運んでもらって食べた。だが、現実世界で怪我をした時のように傷も残っていないし、痛みも今はない。何より、あの瞬間は恐怖も痛みも感じていなかったし、回りから見るほど、美夕は衝撃を受けてはいなかった。
それでも、疲れたのか夕飯を終えてすぐから眠気に襲われてぐっすりと寝入ってしまい、美夕はそのまま、帰って来ない翔太達を気にしながらも、眠りについた。
次の日の朝、美夕が目を覚ますと、隣りのベッドに寝ていたはずの聡香は居らず、ベッド脇には翔太が居て顔を覗き込んでいた。
「あれ…?翔太?帰って来たの?」
美夕が言って、慌てて起き上がると、翔太は憮然として言った。
「なんでぇ元気じゃねぇか。心配させやがってよ。」と、ポンと何かの包みを放って寄越した。「やる。」
美夕は、何だろうとそのわら半紙のような紙を開くと、中には、ディアム色の胴あてが入っていた。
「わ…これ、ディアムでしょう?高いのに!」
翔太は、首を振った。
「小っせぇし色無しだしそうでもねぇよ。」と、グーで軽く美夕の脇腹を小突いた。「腹丸出しのデザインの甲冑なんか買うからこんなことになるんでぇ。甲冑があった背中の方は、ドラゴンの爪は通ってなかったんだからな。これを着けて、ちったあ精進しな。お前にゃ打撃技は無理だ。魔法詠唱を亮介に教えてもらえ。分かったな。」
美夕は、困ったように翔太を見上げた。
「でも…私、詠唱遅いよ?」
翔太は、眉を寄せた。
「尻尾なんかにやられるよりはマシだ。いつでもオレ達が側に居るわけじゃねぇし、ここじゃあオレ達が居ても、余裕がない時がある。いつでも助けてやれねぇんだよ。」と、美夕の腕輪を開いた。「お前あれで生き延びたから、一気にレベル69になった。ちょっとは詠唱も早くなってるはずだ。金もそこそこ入った。無くてもオレ達が稼いで来たからしばらくその金で食いつないで行ける。慎一郎と話し合ったんだ。ここはみんなで助け合わないと生き延びれないとな。だから、お前も気にせず自分の身を守ることを考えろ。生き残ることが、パーティのためだ。だから、とにかく術を覚えろ。分かったな?」
美夕は、腕輪の数値を見て、確かにレベルが69になっているのを知った。そして、残高が5000ゴールド増えていることも。
「分かった。」と、翔太を見上げた。「足手まといになるつもりは、なかったんだ。ごめんね、翔太。私…いつも、迷惑かけて。ほんと、仕事でもいっつも言われるんだ…気が付かない、足りないって。でも、何が足りないのか、ほんとに分からなくて。ほんとに、ごめん。助けてくれて、ありがとう。」
翔太は、驚いたように目を丸くして、美夕を見た。
「お前…」と、言ってから、息をついた。「…いや、オレこそつらく当たってばっかですまなかった。最初にオレ達がパーティを組んだ時、四人だったろう。慎一郎と、オレと、お前と、聡香。お前達が絶対的に弱いから、オレ達で分担しようって決めてたんだ…咄嗟の時に、迷わないように。慎一郎は、聡香。オレは、美夕ってな。だがお前ってレベルはそこそこなのに気が利かないっていうか、考え方が甘くってイライラしちまってよお。聡香はあんな感じで慎一郎に絶対に従うから楽そうだし、なのにお前はぜんっぜん言うこと聞かねぇしさあ。正直面倒だって思ってた。真樹が来て、あいつはどっちも見てくれるから助かってたってのもあったんだ。」
そんなことを決めてたんだ。
男同士でそんなことまで取り決めて責任を持ってくれたなんて、思いもしなかった。だが、思い返せば思い当たるふしがある。船の中でも、慎一郎は真っ先に聡香に、翔太は美夕の腕を掴みに来た。逃げる時も美夕は翔太と一緒だった。ドラゴンが襲撃した瞬間も、自分を庇って一緒に転がったのは翔太だった。慎一郎は迷いなく聡香を庇った。二人で、決めていたからなのだ。
どちらも、きちんと守れるようにと。
美夕は、翔太を怖いとか面倒とか思っていた自分が嫌になった。翔太は、美夕に責任を持っていたから、しっかりしない美夕のことを腹立たしく思っていたのだ。
「ごめん…ごめんね、翔太。」
美夕が言うと、翔太は困ったように顔をしかめた。
「なんだ泣くなよ。オレが泣かせたみたいじゃねぇか…聡香に起こすなとか興奮させるなとか言われてるのによー。オレは泣く女は嫌いだ。」
そう言いながらも、翔太は困っているだけで、怒っているようではなかった。美夕は、涙を拭きながら決心した。翔太を、煩わせないようにしよう。血まみれになって面倒なだけの私を助けてくれようとした翔太を、困らせてはいけない。
美夕は、亮介からしっかり詠唱の文言を教えてもらって覚えようと心に硬く決めた。
その日から、美夕と聡香は亮介について術の文言を教わっていた。
真っ先に聡香が教えを乞うたのは、反魂術だった。
しかし、この術を詠唱するには、普通なら結構な時間が必要だった。亮介のレベルならそれはすんなり出たが、それでも普通の攻撃魔法に比べたら、まだ遅いほどだ。
つまりは、聡香が反魂術を使うのは、今のレベルでは現実的ではなかった。
「やっぱり、レベルですのね。」聡香が、息をついた。「ドラゴンとの戦いでやっと50になったものの、私のレベルはまだこの中で一番低いですもの。反魂術を覚えるのは、普通ならレベル85になってからですものね。」
亮介は、頷いた。
「それに体力も削られるんだよ、反魂術は。」驚く美夕と聡香に、亮介は続けた。「時々自分の命を削って与えてるんじゃないかと思うぐらい疲れる。だから、あまりお勧め出来ないな。間に合うなら命のボトルを使った方が、危険は少ないんだ。」
美夕は、控えめに言った。
「そんな術を三回も連続で使わせてしまって。」
亮介は、手を振った。
「いや、いいんだ。そのための術だからな。役に立って良かったと思うよ。あの場合、命のボトルじゃ駄目だった。」
美夕は、つくづく運が良かったのだと思った。あの時、慎一郎がどうしてもと船に戻って、亮介を連れて降りてくれなかったら、自分は今頃死んでいたのだ。
亮介は、重くなった空気を打ち破るように、先を促した。
「さ、それより他の術は覚えたかな?美夕ちゃんはメモ、進んでる?」
美夕は、ハッとして自分の手帳を見た。
「はい。結構書きましたよ。これを完璧に覚えて、マスターします。風火水土と電気を三つずつとりあえずってことで。」
亮介は、頷いた。
「その後、得意分野の術を伸ばすように数を増やして行こう。」
二人は、真面目な生徒よろしく、軽快に返事をした。
「はい!」
そうして、美夕の毎日は術の詠唱を覚えることで費やされて行った。
それから数日、玲と慎一郎と翔太と真樹は、二手に分かれて街へ情報収集と、ついでに仕事を請け負って帰って来ていた。
森へキノコ狩りに行きたいから警護に来てくれとか、そんなことが多かったが、それでもその仕事は結構な稼ぎになった。
ついでに魔物を倒したら、その分またお金が増えるので、一石二鳥だった。
仕事が入った時は亮介も念のためついて行くが、今のところ、ドラゴンには会っていないらしい。
そんなこんなで、もうこの生活も二週間になろうとしていた。
美夕と聡香がそろそろかと下の酒場に降りて、先に夕食を準備してもらって待っていると、思った通り男性陣がぞろぞろと帰って来た。
「おーいい匂いだ!今日は鳥だね。何の鳥かわからんが。」
玲が言う。美夕が答えた。
「なんでもマシラっていう魔物なんですって。家畜として飼ってるらしいです。ちょっと味見したけど、鶏みたい。」
翔太が、歓声を上げて席に着いた。
「じゃあこれは鶏のから揚げだな?久しぶりだ。」と、店主に向かって叫んだ「おーいビール…いや、シューリー。」
呼び方が違う。
店主は、慣れたように頷くと、すぐに持って来てくれた。そうして、7人が食卓を囲んでいると、慎一郎が切り出した。
「ここに来てもう二週間だ。オレ達はここで飯を食って飲んでそれで生きてるってことは、この体が実体だってことはそれで証明されたと思う。で、情報はいろいろ入ったんだが、それでもこれって言うのがない。そんなわけで、この街を出ようかという話になったんだ。」
美夕が、目を丸くした。
「え、他の街で情報収集を?」
玲が、それには頷いた。
「ああ。どうやら、船は15隻だが、この街に来たのはオレ達の乗って来たのを入れて7隻。残りの8隻がどこへ着いたのか不明なんだ。」
聡香が、真面目な顔で言った。
「では、他の街へ着いているかもしれないと?」
玲は、頷いた。
「そうだ。そもそも、こっちが正解かもわからない。海から来た商人に聞いたが、クトゥの方にも着いた船があったらしい。それは出港する暇もなく、跡形もなく消えたらしいけどな。幽霊船だってもっぱらの噂になっているらしい。」
「そっちは何隻ですの?」
聡香が訊く。慎一郎は首を振った。
「それは分からなかった。詳しいことは、クトゥへ行って見ないと分からない。」
真樹が横から言った。
「オレが聞いた中には、東にある港町のメジャルってところにも、船が着いたようなこともあったよ。でも、一番何人も言ってたのが、クトゥの方だったから、そっちへ行った方がいいかって話になって。」
美夕が、うーんと腕を組んだ。
「あの地図を見たら、クトゥとメジャルってちょうどここから同じぐらいの距離で、反対側になるものね。ここからクトゥって、船でどれぐらい掛かるの?」
それには、玲が答えた。
「ちょっと大きめの客船が出て居て、日に一便あるんだが、4時間ぐらいだ。夜に出るからその便で向こうへ行こうかと思ってる。」
美夕は驚いて外を見た。もう、夕暮れ時だ。
「それって…まさか今夜じゃないよね。」
慎一郎が、首を振った。
「そのまさかだ。深夜0時発で明け方到着、向こうからは朝7時発で昼前着らしいぞ。戻って来るならそれだが、行くんだから深夜0時のヤツだ。」
美夕は腕輪を見る。今、午後7時。確かにまだ時間はあるけど…。
「なんか、慌ただしいね。」
翔太が、首を振った。
「いや、ゆっくりし過ぎたぐらいだ。もう二週間もここで大した情報も取れないまま過ごしちまった。現実のオレ達がどうなってるのか分からねぇし、悠長にも構えてられねぇんだよ。早いとこ有力な情報を拾って、行動して行かないとこのままじゃみんな、ここでジジババになっちまうぞ。」
確かに何がどうなっているのか分からないまま、ここでままごと遊びのように暮らしていては何も解決しない。
慎一郎は、手にしていたフォークを置いた。
「さあ、とにかく食え。そして、余ったらそれでサンドイッチでも作って、船の中で食えるようにして置こう。ここは何でも揃ったし大きな街だったが、次の街がそうだとは限らない。美夕、後で翔太と街へ食料の買い出しに行ってくれ。瓶詰や缶詰があるはずだ。」
翔太が、フォークを置いた。
「オレが背負ってる命のボトルも売るぞ。亮介が居るしこんなに要らねぇ。数本持ってたらいいだろう。オレはこれから食料を背負わなきゃならねぇからな。」
美夕は、顔をしかめて慎一郎を見た。
「それにしても、翔太にばかり持たせるのも…みんなで分担しましょうよ。」
慎一郎が言った。
「もちろんそうだ。持って行くのは食料だけじゃない。オレと玲は天幕とか、野宿になってしまった時の装備を整えに行く。そのために、この二週間あっちこっちで稼ぎまくってたんだからな。」と、真樹を見た。「お前はここを引き払う準備を頼む。支払いはまとめて済ませててくれ。」
真樹は、頷いた。
「分かった。」
美夕は、こんなに長い間みんなと一緒に居ることはなかったので分からなかったが、真樹がまだ結構学生っぽいのに気が付いた。ゲームの世界で戦っているだけなら頼りになったし年齢など関係なかったが、こうして生活していると、どころどころが子供っぽかったりする。それがまた可愛かったりするのだが、そんなことを言うと怒りそうなので口にはしなかった。
それでも、ここ最近は少し、しっかりして来た。慎一郎や玲にも、仕事を任されることが多くなって、ここでの生活は間違えると命に関わって来るようなことが多かったので、自然、意識が高くなったらしかった。
真樹はまだ18歳だが、それでもきっと帰った頃にはすっかり変わってしまっているのかもしれない。
美夕は、自分はどうだろうと考えた。相変わらず気が付かないことが多かったが、最近では聡香が一緒に居てくれるので、さりげなくこんな時はこうしたらいい、というのをやって、示してくれる。美夕はそれをじっと見て覚えて、次そんなことがあった時は、そうするようにと努めていた。
少しは、普通の女子らしく気遣いが出来るようになるだろうか。
こんな時なのに、美夕はそんなことを期待していたのだった。




