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青春四季  作者: ねこやなぎ。
第一章 青い春
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第五話 「向日葵の悲哀」

第一章 第五話 「向日葵の悲哀」


 現代文は得意だった。

 2007年6月下旬。春崎高校は期末テストの只中にある。とはいっても、今日が最終日で、最後の教科は現代文であった。試験時間を15分も余らせてしまい手持ち無沙汰になった俺は、テスト用紙に自分の名前をちゃんと書き忘れてないかなどと最終確認しつつ、まだ明けきれてない梅雨の空を横目で眺めていた。

 説明文と小説の二つがあるが、どちらかといえば俺は小説の方が好きだった。作品の登場人物の心情を読むのはおそらく得意だ。だってそれは執筆した作者によって決められたものであり、正解がある。また、それらは全部フィクションだ。現実には一切関係がない。たとえそこでどんな喜劇や悲劇が起こっていようとも、俺には関係ない。あくまでも他人事として、俺はその世界に入り込めることが出来る……だから、楽だった。

 高校生活も、そうなるよう願っていた。誰にも干渉されずすべて他人事にした生活を送る。何よりも楽な生活。

 だが、そうはいかなかった。

 中学以来の二人のクラスメイトである、鈴波憂と、白間直。二人は一学期もあと一ヶ月足らずで終わるというのに、登下校と昼食時を中心に、相変わらず俺とともに行動していた。

 中学からの付き合いだ。同じ高校に行くと聞いた時、高校でも何らかの縁はあるだろうとは思っていた。だがどこかで二人は俺のことを忘れていくんだろう……なんて感じていた。しかし、蓋を開けてみればクラスは一緒。関わらないわけがなかったのだ。

 無論、俺から二人に話しかけたことなんざない。逆に、俺が二人を跳ね除けたこともない。

 ────なんだかんだ、二人といるのは、大方は楽だと感じていた。


 それが何よりも問題なんだ。


 俺は、直と憂の二人にこのまま依存してしまうのが嫌なのだ。依存して、心ない言葉をかけるんじゃないかと────。


 無機質なチャイム音が鳴る。思考はそこで強制的に打ち切られる。

 「はーい、回収。後ろのやつ頼んだぞー」

 試験監督である教師の気だるげな掛け声とともに、テスト用紙が後ろから無機質な音を添えながら回収されていく。

 雨が地面を打ち付ける音が虚しい。そういや、俺たち三人がここまでの関係になったきっかけも、とある雨の日だった。

 ぼんやりと黒板を見つめる。白チョークで淡々と綴られた各教科の試験時間が目に入る。

 束の間、担任である相川知美が教室に戻ってくる。……これから軽くHRを始めるらしい。

 テスト期間故、出席番号順に席に座っている俺は、左斜め後ろあたりに座っているだろう2人の友人のことをなんとなく認識した。そして、ほぼほぼ無感情に相川のHRの言葉を聞いていた。ほとんど、内容は頭に入ってこなかった。

 そうして、クラス委員の起立、礼、という気だるげな号令がかけられる。俺はありがとうございます、という定型句を、俺自身にすら聞こえないくらいほどの大きさの声で呟き、廊下に自分の荷物を取りに出た。窓に映る景色は、相変わらずの雨。

 「お疲れさん、時人」

 鞄を手に取った時、後ろから聞きなれた声がする。振り向くと当然そこには、鈴波憂と白間直の二人がいた。

 二人とも俺の近くに置いていたらしい自分の荷物を手にする。

 「いやぁあ、テストやっと終わったぜえぇ……」

 直が大欠伸をしながら述べる。今朝、前回の中間の成績がかなり悪かったらしく、今回は徹夜して頑張っていたと自分で誇らしげに自慢していた。

 「直もお疲れさんだな、二学期もちゃんとやれよ?」

 常通りの笑顔を浮かべて、憂がそう言う。こいつはなんだかんだテストに関しては程よくやるやつだった。要領がいいと言えばいいのか。

 「あぁ、はいはい、わかってるわかってる」

 猫を跳ね除けるような手の動きをさせながら、直は憂にそう言い、俺の方を見た。その後に直の口から発せられる言葉はもう分かっていた。

 

 「さて、帰るか!」


 満面の笑みで、『いつも通り』が告げられる。


 常ならば、俺は何も意識せずにこのまま二人と廊下を歩く。そうして憂と直のくだらない話を聞きながら下校する。もう1年弱続けられた日常だった。

 ────だから、このまま慣れてしまうことが嫌だった。

 

 「悪いけどさ」


 俺はそう口にした。二人は怪訝な顔をする。そのまま二人の目を見ないようにして、続ける。

 「今日俺用事あるから」

 そう、無機質に聞こえるように告げて…二人の前から足早に立ち去る。憂と直の表情は全く見えなかったが、おそらく唖然とした表情をしているのだろう。二人は何も言葉をかけてこなかった。

 無論、用事なんてない、あるわけがない。見え透いた嘘だった。二人には当然バレているのだろう。でも、そんなことは別に俺は構わない。

 今日は本当に不安定だった。耳に届くのは、テストを終えた解放感でやけに浮かれている生徒らの声と、先程よりも激しくなった雨音。俺はそこはかとない虚しさを覚える。


 そのまま俺は、教室棟から職員棟へと歩みを進め、3階への階段を上る。もうここまで来てしまえば、生徒達の声はほとんど聞こえず、ただただ虚しい雨音だけが響いていた。

 

 そうして『図書室』と書かれた看板を目にする。俺は、この渦巻く不安を掻ききりたいと思いながら、その扉を開けた。


 香る、本の匂い。やはり、本という無機物は俺の心を落ち着けるものだった。司書の先生と目が合い、軽く会釈をする。その隣にこちらに背を向けてはいるが、図書委員の────おそらく、相川知美の弟である相川心の姿があった。

 彼には声をかけぬまま、図書室の奥へと進む。今日は現代小説に触れてみたいと思った。昼休みに時々、1人でふらりとここに通いつめていたので、ある程度どこにどのジャンルの本が並べられているのかは把握していた。

 現代小説が置かれている棚の列へと足を踏み入れる。

 ────すると、そこには見知ったクラスメイトの姿があった。一番上の本が取りたいのか、少し背伸びして手を伸ばしているクラスメイトの姿が。

 彼女は俺に気づいたらしく、こちらに目を向ける。何も言わないのはさすがに歩が悪い、と感じて、何気なく彼女に────福本未来に話しかけた。

 「……よぉ」

 「お疲れさま」

 福本は短くそう返して、また本に手を伸ばす。本自身に手は触れてはいるのだが、なにせぎっしり詰められているのためなかなか出てこないらしい。

 俺は仕方ないなと思いつつ、福本の取ろうとしている本に手を伸ばした。福本は驚いた顔をしていたが、そのまま俺は取った本を福本に押し付けた。

 「……ありがと」

 どこか照れくさそうに礼を言う。そんな姿が珍しくて、思わず俺はまじまじと見つめてしまった。福本は怪訝そうに眉をひそめ、俺の横を通り過ぎようとする。その時に、福本が手に取った本の題名が目に入って、思わず、あ、と小さく声を漏らしてしまう。


 「何」

 福本は不快そうな声でそう返す。俺は沈黙を貫こうとしたが、やめた。彼女はその場に立ち止まって、真っ直ぐに俺の瞳を見つめていた。

 「その本、中学の時読んだなって思っただけだよ」

 俺の返答に、彼女は少し目を丸くした。それもそうだろうな、と思った。その本の作家は、特に代表作もなく、極めてマイナーな部類に入る存在だった。

 「知ってる人なんて、珍しいわね」

 「本当だな、俺も初めて見た」

 お互いをどこか認め合うような言葉を掛け合う。────なぜ俺はその本を読んだのか、思い出していた。俺自身が元々、好きになった作家の本は一通り読破する性格だった。それで中学の時、図書館である1冊の本のタイトルに惹かれ、手にして……その作者の持つ独特な雰囲気感に呑まれたのだ。

 「『柊、睡蓮に添えて』は読んだことあるか?」

 そのタイトルを口にする。作品の内容は、先を見通す力を持った少年が、その力を用いて友人らに起こりかかるトラブルを忌避していく……というものだった。舞台はあくまでも現代的で、その中にファンタジー要素が混ざっている……ローファンタジー作品とでも呼べばいいのだろうか。その作者の作品は、どれもそのような雰囲気だった。

 「あるけど」

 「そうか……、俺はあの作品が一番好きだな」

 先のことが見通せるという点に惹かれた。ガキみたいな考えだとは思うが、そうすれば、色々良い選択を出来たはずだと感じていた。


 「私は、一番嫌い」


 福本の言葉は冷たい返答だった。俺は少し眉をひそめる。彼女の瞳は常よりも鋭かった。

 「なんで」

 思わず、そう問いかけてしまう。彼女は俺を一瞥してから、言った。


 「先のことがわかったって、意味が無いと思うから」


 そう、冷淡な声で。

 ────そのまま彼女は踵を返して、俺の前から消えた。


 何か、触れてはいけないことに触れたような、そんな気がした。


 その後の俺は、虚ろな思考に陥りながらも、帰路につく。

 図書室を出て、階段を降りる間、あんなに煩わしかった雨音が、全く耳に入ってこなかった。

 昇降口に辿り着き、容赦なく降り続ける雨を目にして、(からくり)人形のような動作で傘を差す。

 ぼたぼたと傘を突き刺す音が耳触りだった。


 先程の福本の表情が脳裏に焼き付いて離れない。

 人を、否────世界を拒絶した瞳だった。

 作品の話から一転、あんな状況に陥るなんて微塵も思っていなかった。それ故に衝撃が大きい。

 別に俺が悪いってわけではないのだろう。ただ意識せず琴線に触れたことはやはり気にしてしまう。

 馬鹿馬鹿しい考えだと思って口元が歪みそうになる。あんなやつから敵意を向けられようが知ったことではない。そんなに接点もあるわけではない。

 ────ではなぜ気にしているのか。

 分かっている。意図せず傷つけてしまったのではないか、という不安があるからだ。

 どうせ杞憂だ。気にしすぎだ。昔からの自分自身の悪い癖。そうやって何度も自分を納得させようとするが、心は今一つ落ち着かないままだった。

 雨に打たれ続けながら坂を降り切る。駅に一歩足を踏み入れた瞬間、肩をぽんっと軽く叩かれた。

 『いつも通り』なら後ろにいるのは憂と直の二人。ただ、今日は『いつも通り』ではなかった。俺はあの二人を拒絶してきたのだ。それならば、後ろにいるのは誰か────。

 足を止めて、振り返る。


 「やぁ、陸くん」


 薄幸そうな笑みを浮かべ、そこに立っていたのは、相川心。先程図書館にいたのは記憶していたが、後ろから追いつかれているというのは完全に予想外だった。図書委員の仕事はもう終わったのだろうか……などとは思ったがそれらの疑問を口にすることはせず、ただ短く、おう、とだけ返した。

 「陸くんはそういや電車勢だったね」

 相川心は言いながら俺の隣に並ぶ。こいつはどこか直や憂とは馴れ馴れしかった。人懐っこいとも言うべきか。

 「そうだ」

 「だよね、あぁそういえば、未来ちゃんと付き合ってるの??」

 どこかそわそわした口振りで、相川心は俺に問いかける。放たれた言葉の意味を呑み込みきるまでに時間がかかった。

 「はぁ……?」

 そうして俺の口から漏れたのはなんとも情けない声。想定外のことには、人間誰だってこうなると思う。

 「いやいやさっき図書館で仲良さそうだったから」

 爛々と瞳を輝かせながら言う。こいつは恋バナが好きな乙女なのか。

 「なわけ」

 徐々に応対するのも面倒くさくなり、短い言葉で会話を切り上げにかかる。だか相川心はしつこかった。

 「あー、そうなんだ。てっきり痴話喧嘩見ちゃったのかと」

 先程の図書館にての出来事を見られていたのかと思いなお居心地が悪くなる。一瞬だけだが相川心が現れてから、福本の件は忘れていた。鋭い福本の瞳が脳裏に浮かぶ。

 「盗み聞きとは、趣味が悪いな」

 バツが悪そうな声色で相川心を批難する。その場にいたならひとこと声でもかけてくれたらよかったのに、などという逆怨みを覚えた。まぁ確かに、俺と福本が話していたら声をかけづらいような気はする。お互い無愛想であるし。相川心は笑顔で、ごめん、と謝ってきた。

 そういえば彼は中学が福本と一緒だったな、ということを思い出す。左に曲がれば改札だったが、俺は本当に気まぐれで足を止めた。

 「福本とは、仲良かったのか」

 先程の件がなければ、生涯訊ねなかったであろう質問を口にする。相川心は少し驚いたような顔をした。彼は僅かな間をおいて、こう答えた。

 「ん〜、椎奈ちゃんとはよく話してたけど、未来ちゃんとはあんまり。ほら彼女、めちゃくちゃクールだしね」

 相川心はオブラートに包んではいるが、やはり福本は周りからしたらとっつきにくいのだろう。彼女がクラスの他の女子と話している姿も、正直あまり目にしたことはなかった。

 「そうなのか……ありがとな」

 大した情報は得られず、どこかじりじりと痛むこの胸のうちを休ませることは出来なかったが、一応相川心に礼を言う。

 「いやいや。……まぁ」

 そうして、彼は俺の肩に手をぽん、と置く。その動作にほんのりと懐古の念に駆られる。彼は、こう言った。


 「誰にでも、触れられてほしくないことはあるでしょ、────あんまり、気にしなくていいと思うよ」


 一瞬、その姿が『誰か』と重なって。


 「……あぁ」


 呆然とした俺の声は、そのまま駅の構内に吸い込まれたのだ────。


 * * * * *


 時は流れて、夏。


 気だるげな梅雨もいつしか明け、蝉が鳴く季節。 

 照りつけるような陽射しが、馬鹿みたいに地上に降り注ぐ季節。


 ────あれから、特に俺と福本の関係性に変化はなかった。ただ、要件だけを話す関係。

 関係性だけではない、特に日常生活にも変化はないままだ。

 あの次の日、俺と直と憂は普通に登校から下校まで一緒だった。二人は前日の俺の不可解な行動を口にすることもなく、ただいつも通りに絡んできた。

 俺もあほらしくなって、やめた。俺から行動してもこいつらは態度を変えはしまい。……そこに、ほんの少し安らぎを感じている自分は憎らしかったが。


 だが、ここ三日間はいつもと違った。

 春崎高校が、三者面談の期間に入ったのだ。今日は最終日である。

 俺は初日だったが、憂と直は今日がその日らしく、俺は先に帰ることにした。俺の面談の日はこいつらも先に帰った。

 「じゃあな」

 「おう!」

 「また明日な!」

 二人は校内をうろつきながら親を待つらしい。そんな彼らに別れを告げ、俺は昇降口を出る。暑い。空は晴れ渡っていた。汗がじわりと滲んでいく。歩く度に制服がベタついて気持ち悪かった。


 春崎の制服を来た生徒らに混ざって、坂を降りる。時折青い空に感動を覚える。夏の空はほかのどの季節よりも青く澄み渡っている気がした。途中で蝉の鳴き声が耳を劈く。それもそうだ。帰路には樹木が多い。思い返せば蝉は八日間しか生きられなかったか。短い蝉の生涯────それはそれで羨ましい気がした。


 そうしていつも見なれた駅を前にして……すぐ、見知った生徒がいることに気がつく。黒い長髪を吹く夏風に靡かせた福本未来の姿。彼女は駅へと登る階段の下に立っていた。

 会釈だけしておくか、と横断歩道を渡りきる。そこで、俺は気づいた。彼女は違う制服の生徒と共にいた。

────倉崎中の同級生なのだろうか。それならば、声をかけずとも悪くはあるまい。

 だがよく見てみるの彼女の表情は険しかった。言うなれば、先日俺に見せた表情……。俺はあのことをどこか思い出した。焦燥を覚えながら、彼女らに一歩一歩近づいていく。

 決定的な瞬間は、その次だった。


 

 「────あんたまだ、嘘吹聴してまわってんの」



 快晴の夏空の下に似合わぬ、罵倒。


 福本の、表情が目に入る。────悲哀の、瞳だった。

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